土田耕平作品集

土田耕平の写真
 歌人。童話作家。明治28年(1895)長野県諏訪市大和に生まれる。10歳で父と死別、18歳で母を亡くす。諏訪中学に入学するも3年で退学し、下諏訪小学校に奉職。この頃島木赤彦に逢い、以後師事して、歌を「アララギ」に発表。のち、私立東京中学に編入学。赤彦と同居してアララギの編集を手助けする。

中学卒業後帰郷して小学校に勤務するも間もなく罹病。療養のため伊豆大島に渡る。その後は諏訪、伊那、飯山、須磨、明石、大和郡山など転居すること30数回に及び「漂泊の歌人」などともいわれた。

不眠症、胃腸病、心臓症、腎臓病などを患いながらも、アララギや信濃毎日新聞歌壇の選者などに当たる。この間、童話集の「鹿の目」「蓮の實」「原つぱ」「夕焼」「裾野」、歌集の「青杉」「斑雪」を世に送り出す。

耕平の「清澄歌風は歌壇の注目するところ」となり、「写生を基調とした透徹した歌風」「赤彦の写生道をそのまま生かした作風」で青年層などに共鳴されたという。
耕平終焉の地
昭和15年(1940)、長野県飯田市鼎の寓居にて永眠。享年44歳。郷里の諏訪市大和寿量院の先塋の傍に葬る。没後、歌集「一塊」が未亡人、斎藤茂吉らによって編まれた。その後、遺稿集3巻(1943)、童話集(1949)、著作集4巻(1985)などが出版されている。

「下伊那はわれに三度の古里ぞ山に雪ふるを見つつかなしむ」 碑陰に刻む。

   童話集   歌集「青杉」   歌集「斑雪」   歌集「一塊」 

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