九月二十一日(元緑七年)………今度はしのびて西國へと思ひ立ち給ひしかど何となくもの佗びしく世のはかなき事思ひつづけ給ひけるにや此句につきてひそかに惟然に物語りし給ひけり
幽玄極りなし奇にして神なるといはん人間世の作にあらず其夜より思念深く自失せし人の如し雲に鳥の五文字古今未曾有なり――惟然記――
とある。
實際俳句や短歌の如き短詩形に含まれた妙味は、これを散文に引延すことは到底不可能である。只その句なり歌なりを讀返し讀返し味はふより外仕方ないと思ふ。さう思ひながらもいい作に接した場合には、それに就て何か云つて見たくなる、どうかしてこの喜びを他人に傳へたい心になる。右の芭蕉の作にしても、ほんとに理解し共鳴してくれる人が案外少ないやうな氣がして殘念である。芭蕉の句を理解し得ずして芭蕉の生活を云々する人が多いやうに思ふ。どうも齒痒い感じがするのである。
この句をよく味つて見ると、死に近い頃の芭蕉が如何なる心境に住してゐたかが分つて來るやうに思ふ。病弱な身體を持ちながら旅から旅へと自然の渇仰に一生をささげた人の心がよく分るやうに思ふ。生悟りの樂天家でなかつたことは勿論である。と云つて憂愁に沈み果てた人の有樣ではない。只深い寂しい心である。人間性の最深所より發する嘆息の聲である。ここで私は更にもう一句持ち出さずには居られない
これである。やはり花屋日記所載中のものであつて、九月二十九日芝柏亭に一集すべき約諾なりしが數日打續きて重食し給ひし故か勞りありて出席なし發句おくらる
秋ふかき隣はなにをする人ぞ 翁
此夜より翁腹痛の氣味にて泄瀉四五行なり尋常の瀉ならんと思ひて藥店の胃苓湯を服したまひけれど驗なく晦日朔日二日と押移りしが次第に度數重なりて終にかかる愁とはなりにけり……(下略)
とある。旅懷の句に遲るること八日の作である。芝柏亭に就いては今手元に參考書なき故詳にすることを得ないが兔に角浪花近在のものに違ひない。いづれにしても句の價値には關係ないことであるから、その穿鑿は止めにして、さて前の旅懷の句からこの「秋ふかき」の句に移ると、いよいよ作者の心境が深嚴なところへ沈んで行つてゐることを覺える。しんとして物みな音をひそめた世界である。その中に一人ぽつんとしてゐる時、かすかに
私は短詩の深さが此處まで到り得ることを思ふと何とも云へぬ氣持がする。しみじみ有難く思ふのである。そして作者芭蕉に對する尊敬の情を禁じ得ないのである。
芭蕉は漂泊の中に一生を終へた人であるがもともと丈夫のからだではなかつた。歿したのは五十一歳であるが年よりも非常に老けてゐたさうである。上の二句を讀んで見てもさういふ氣がする。體痩せて心愈々滿ちたる感である。秋ふかきの句などは何となく神祕的のところがある。しかもそれは寫生の上に築き上げられた神祕境であつて近頃の西洋詩によく見る蜃氣樓の類とは品を異にするのである。句作によつて絶えず自己の性命を高擧して來た彼は遂にかかる名句をし成て生を畢へた。「芭蕉翁の晩年の心境」と題目は大きいが私の云ひたいのはこれだけであつた。
(信濃教育 大正九年九月號)