芭蕉翁晩年の心境    土田耕平

 
 『芭蕉翁花屋日記』は翁の臨終に侍した門人どもの日記である。ある人の説によると、これは後人の僞作であるといふ。或はさうかも知れない。若しさうとしてもこの書は單なる虚構に成るものではない。しつかりと芭蕉の性命に觸れ得た人の文字である。私はこの事を堅く信じてゐる。この書によると
 九月二十一日(元緑七年)………今度はしのびて西國へと思ひ立ち給ひしかど何となくもの佗びしく世のはかなき事思ひつづけ給ひけるにや此句につきてひそかに惟然に物語りし給ひけり

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    此秋は何で年寄る雲に鳥(○○○○○○○○○○○)    翁

 幽玄極りなし奇にして神なるといはん人間世の作にあらず其夜より思念深く自失せし人の如し雲に鳥の五文字古今未曾有なり――惟然記――
とある。此秋は何で年寄る雲に鳥(○○○○○○○○○○○)、私はこの句に就いて考へて見たいのである。(花屋日記が若し僞作であるとしてもこの句は確實に芭蕉の作である。これは疑ふ餘地のない事である)元祿七年十月二日に芭蕉は歿してゐるから九月二十一日と云へばその間僅かに三十日あまりである。暗い死の影はもう間近く迫つてゐたのである。同じ年の五月、江戸の草庵を發して、七月伊賀の郷里に老兄を訪ひ、九月奈良を經て浪花に出た。更にこれより西國地方に遊ばんとしたのであるが、それは到頭果されなかつた。急に病を得て再び起つことが出來なかつた。花屋日記所載の事件は皆浪花滯在中のことである。右の一句も浪花での作と見てよいであらう。
 實際俳句や短歌の如き短詩形に含まれた妙味は、これを散文に引延すことは到底不可能である。只その句なり歌なりを讀返し讀返し味はふより外仕方ないと思ふ。さう思ひながらもいい作に接した場合には、それに就て何か云つて見たくなる、どうかしてこの喜びを他人に傳へたい心になる。右の芭蕉の作にしても、ほんとに理解し共鳴してくれる人が案外少ないやうな氣がして殘念である。芭蕉の句を理解し得ずして芭蕉の生活を云々する人が多いやうに思ふ。どうも齒痒い感じがするのである。
 この秋は何で年寄る雲に鳥(○○○○○○○○○○○)、「何で年寄る」から下の句に移る際疾いところにこの句のいのちがあると思ふ。自らの衰病を嘆く心が、おのづと雲浮び鳥飛ぶあたりに高擧されて行つたのである。悲しみと喜びと交錯した深い心持である。「何で」は疑問詞といふよりも寧ろ感嘆詞に近い色調を持つてゐる。どうしてこんなに衰ろへを感ずるのか、と嘆息してゐるのである。「何故に」「何の理由で」などといふ相對的の疑問詞ではない。もつと絶對的の心である。答を待ち解決を欲してゐる心ではない。「何で年寄る(○○○○○)」一語々々引緊つて沈痛な響を傳へてゐるではないか。そこのところを味ひたいのである。さうすれば下句「雲に鳥(○○○)」がよく胸に入ると思ふ。もう説明を要しないことである。もし「何で年寄る」をかるがる讀過してしまふたなら、「雲に鳥」が何のことやら、さつぱり分らなくなつてしまふ。そして「この秋は何ゆゑにかくも老衰したのか、雲鳥に心を努したるが故に」などといふ解釋も生ずる。これでは仕方ない。「雲」「鳥」ともに作者心中の結象であつて今現に見てゐるかゐないかはどちらでもよい。
 この句をよく味つて見ると、死に近い頃の芭蕉が如何なる心境に住してゐたかが分つて來るやうに思ふ。病弱な身體を持ちながら旅から旅へと自然の渇仰に一生をささげた人の心がよく分るやうに思ふ。生悟りの樂天家でなかつたことは勿論である。と云つて憂愁に沈み果てた人の有樣ではない。只深い寂しい心である。人間性の最深所より發する嘆息の聲である。ここで私は更にもう一句持ち出さずには居られない
   秋ふかき隣は何をする人ぞ(○○○○○○○○○○○○)   翁
 これである。やはり花屋日記所載中のものであつて、九月二十九日芝柏亭に一集すべき約諾なりしが數日打續きて重食し給ひし故か勞りありて出席なし發句おくらる
   秋ふかき隣はなにをする人ぞ    翁
 此夜より翁腹痛の氣味にて泄瀉四五行なり尋常の瀉ならんと思ひて藥店の胃苓湯を服したまひけれど驗なく晦日朔日二日と押移りしが次第に度數重なりて終にかかる愁とはなりにけり……(下略)
 とある。旅懷の句に遲るること八日の作である。芝柏亭に就いては今手元に參考書なき故詳にすることを得ないが兔に角浪花近在のものに違ひない。いづれにしても句の價値には關係ないことであるから、その穿鑿は止めにして、さて前の旅懷の句からこの「秋ふかき」の句に移ると、いよいよ作者の心境が深嚴なところへ沈んで行つてゐることを覺える。しんとして物みな音をひそめた世界である。その中に一人ぽつんとしてゐる時、かすかに人間のけはひ(、、、、、、)を感じた。「何をする人ぞ」と云つてもこれは自問自答に近い心であつて對他的の質疑ではない。また隣の人音をとがめた意でもない。「秋ふかき隣」と云つてゐるので分る。一切萬象自他ともに觀念の世界に融け込んでゐる。その底知れぬ寂しさの中に動いてゐる人間はみな夢の如く幻の如くである。この句をよむと何となく恐ろしい心持がする。とても長くは耐へられぬ心境だといふ氣がする。こんなに澄みとほつた心を持續することは人間には不可能である。前の句にはまだしも悲しみの相が目立つてゐる。この句になるともう何の相もない。一切空である。
 私は短詩の深さが此處まで到り得ることを思ふと何とも云へぬ氣持がする。しみじみ有難く思ふのである。そして作者芭蕉に對する尊敬の情を禁じ得ないのである。
 芭蕉は漂泊の中に一生を終へた人であるがもともと丈夫のからだではなかつた。歿したのは五十一歳であるが年よりも非常に老けてゐたさうである。上の二句を讀んで見てもさういふ氣がする。體痩せて心愈々滿ちたる感である。秋ふかきの句などは何となく神祕的のところがある。しかもそれは寫生の上に築き上げられた神祕境であつて近頃の西洋詩によく見る蜃氣樓の類とは品を異にするのである。句作によつて絶えず自己の性命を高擧して來た彼は遂にかかる名句をし成て生を畢へた。「芭蕉翁の晩年の心境」と題目は大きいが私の云ひたいのはこれだけであつた。
                                    (信濃教育 大正九年九月號)   
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