芭蕉の一句         土田耕平


       壽貞尼が身まかりけるときゝて
  數ならぬ身とな思ひそ魂まつり  芭蕉
 この句は長い間私の疑問であつた。人の死に對して「數ならぬ身とな思ひそ」とは作者がいくら芭蕉であつても少し厭味ではないかと思はれた。ところが詞章中にある壽貞尼なる人は遁世前芭蕉の妾であつた事が分るに及んでこの句は釋然として胸に入つて來た、厭味どころではない、尤も千萬な述懷である。「魂まつり」は「わしがお前の魂を祭つてやるぞ」といふ意味を含んでゐる。いかにもあはれ深い句である。
 これは全く作者の獨り言語に違ひない。人に示すべき性質のものはなく只自らの心やりに吟んだ句だと思ふ。この句を味ふにあらかじめ讀者の用意が要る所以である。芭蕉が蓄妾したことに就ては少し云つて見たいこともあるがこゝでは云はぬ。只私はかういふことを云ひ得る。芭蕉は作句に際して自らを欺かなかつた、他人の思はくを憚ることなしにありのまゝに歌ひあげた、といふことである。この事は詩人としての彼を考へる時何より有難い。
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