獨語    土田耕平

 
    棧はしや命を絡む蔦かつら   芭蕉
    霧晴れて棧は目もふさがれず   越人

 これは元祿の昔芭蕉越人の二俳人が木曾路を旅した時の詠であるが兩句を對比して見ると極めて興深い。
 同じ時刻同じ風物に向つて居ながらかういふ違つた句が出來る所を見ると、作者の氣品といふことが沁々考へられる。「高山奇峯頭の上におほひ重なりて左は大河ながれ岸下の千尋の思ひをなし尺地もたひらかならざれば鞍の上靜ならず只あやふき煩のみやむ時もなし。」といふ如き境に立つた時、二人の胸裡は共に緊張して居てその間に差違があらうとも思はれぬ。しかも詠句の上に大なる徑程を生じたのは、同じく張り詰めたものであり乍らその心の態度が異なつて居た為めであつた。
 越人の句もとより懸命なことが分る。しかしこの句をいくら精錬して行つても芭蕉の句には近づけない、否これ以上進んだら自滅の境に陷らなくてはなるまいと思ふ。この場合越人その人の觀照態度が變化しない以上到底芭蕉の境地に達することは出來ない。芭蕉の句は實に驚異すべきものである。命を絡む(○○○○)の如き月並の言葉が絶大な力を以て讀者に望んで來る。世の無常相に對してぢつと信順の目を注いでゐる作者の姿が在々(ありあり)と私の前に見えて來る。芭蕉の句に於ては他の人が使つたら全くの月並に陷つてしまひさうな言葉がよく生動して居る場合が多い。夏草やつはもの共が夢のあと(○○○○)、行く春や鳥啼き魚の目は泪(○○○)、これ等は特に著しいものであらう。かういふ句の價値がいく分なり解つて來たことは私の喜びである。
 私は勉強のため先輩の作や古人の作を讀む時何よりその句法に注意を拂ひたいと心懸けて居るが、それと同時に作者の心に直ちに跳び込むだけの用意も怠るまいと考へてゐる。句法は心の表はれであるから畢竟同根のものとも云へようが、或る場合にはその句法など云々する先に、作の動機を見てしまはなくてはその作がまるで分らないことがある。前の芭蕉の句などはその一例になると思はれる。また先縱の作に導かれる道すぢを自ら省みるに、その句法が直ちに自分の力になると、句法の奧にひそんだ作者の人格が自分をいたく動かす場合と、この二つに分けて考へられるのである。直接自分の利益になるものは勿論前者であるが、眞に深い影響を與へてくれるものはどうしても後者である。
 それから又今度は自ら作歌の苦勞する時にも直接心を惱ますものはその句法のことであるが、時々は自分の觀照態度を反省しなくてはならぬ時期に出逢ふ。そして自らの弱小に氣附いて嘆息することは少くない。私は到底今の自分の力ではどうもならないと思はれる問題を幾つも持つてゐる。それはいくら作歌の上に腕が確かになつても今のやうな不純な心では手がつかぬと思はれる境地である。私が十年二十年の遠い年月の後を期して居るのはその點であつて、單に歌作上の習練を云ふのではない。一體こんな風に歌作上の問題を切り離して妥當でないかも知れないが自分の心の不純を思ひ、又歌壇の空氣の不純を思ふと本末を明らかにして置く要もあるやうである。
 要するに自然及自己に對する敬虔なる態度がやがて詩を生むのであるから、この根本が空虚であつたら全然道はないと思ふ。作歌の苦勞が自分の性命を高めて行くことは事實であるが、これは反動作用であつて主力とすべきものではない。どこ迄行つても本末顛倒することは許されぬ。
 私は嘗て、自分は到底下凡な人間であるがせめて歌だけはいゝものを作りたい、とこんなことを考へて居たが今考へると耻しくなる。よき歌を作るには先づ自分をよくしてかゝらなくては駄目だ。芭蕉が終に妻を娶らず漂泊の中に一生を終つたのはさうするのが自己の性命を最も清新にする道であると考へたからである。この眞劍の態度を學ばずして徒に芭蕉の句境を覗ふのは間違つて居る。優秀な作の裏には必ず懸命なる作者がひそんで居ることを思はなくてはならない。私は他人の秀作に對する時この點を必ず見逃すまいと心懸けるつもりである。これが自分の一生を意味あらしめる道であると信ずる。(二月八日)             (アララギ 大正七年三月號)
 
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