「氷魚」を讀みて    土田耕平

 
 「氷魚」一卷を通讀して見るに、大正四五年頃は、作者の態度が亂れてゐて、いい歌は少ない。六年の「龜原の家」あたりから、急に引き繁つて、それからはぐんぐんと深いところへ入る。「北海道」「落葉松」「逝く子」「善光寺」「わが父」と緊張した作がつぎつぎに出て來る。當時作者の身邊には悲傷事が多かつた。その悲しみに耐へ得た心と、永年の作歌精進と、兩つが合體して、ここに作者の眞面目が發揮されたことと思ふ。「切火」以來、作者の迷ひは可なり長かつた。しかし一旦めざめてからの進み方は恐ろしい程迅速であつた。氷魚の前半と後半とでは、その作風に於て、殆ど別人の感がある。
 大正六年以後の作になると、もう他人に訴へたり、自ら甘へたりしてゐる所はない。飽くまで強く確かなる足どりを以て、ひとり曠野の道を邁進するの慨がある。歌に潤ひとか餘情とか、さういふ物は缺けてゐるが、打てばかんかんと響きを發する鋼鐵の強みがある。氷魚の特長は、その鍛へられたる強みであらねばならぬ。今や作者の進みつつある道は、實に恐ろしい道だ。力を張つて張つて張りつくした後に始めて本道に達するのであつて、途中で力を拔いたり、餘裕を見せたり、姿をつくろつたりした歌は皆いけない。歌柄が固く荒調子に行つてゐる故、一度力が入れば、大山の重きを成す代りに、少しでも横道へそれると、歌が歪んだりいびつ(、、、)になつたりする。事實「氷魚」一卷の中にはさうした歌が多いのである。
 戰ひは未だ終りを告げて居らぬ。實はこれからだといふ氣がする。高い高いところを目がけて作者は猛進しつつある。多少の犧牲は致し方ないのである。大正四五年の作は論外として、それ以後に於ても、駄作は可なり目につく。類型類想の作が多く、おほげさに云ひ棄てた作が多く、無理矢理に捩ぢすゑた作が多い。しかも作者は、常に一段々々と高處に目をつけてゐる。必ずしも現在の作歌に萬全を期して居らぬ。これが失敗しても次の作に資するところがあればよい、といふ遣り方だ。腰をおろして安逸を貪つてゐる姿ではない。「氷魚」を讀んで一種焦燥を感ずるのはこれがためである。實は「氷魚」は未完成の感じのする歌集である。一首々々から云つても、全體から云つても。しかし偉大なる未完である。むかうの方に、恐ろしく大きなものを控へたる未完である。昨々年の秋、作者と二人で三原山麓の掘割道を歩いた時、「眞に澄み入るのは五十歳からであらう」と云はれた。その沈痛なる語氣がこんど「氷魚」を讀んで見て、新しく胸によみがへつて來た。多くの人々が、早老してしまふ今の世に於て「氷魚」の作者こそは、眞に晩成の人だといふ氣がする。「氷魚」一卷に漲つてゐる勇猛不退轉の氣慨は我々後生をいかに勵まし力づけてくれたであらう。作者の健在を深く祈りたいと思ふ。
 實は、私は、「氷魚」の精評をすることを作者にお約束してあるのだが、頭のよくないためであらう、どうしても系統だつたことが書けぬ。強ひて書けば、悉く駄辯になつてしまふ。幾囘も稿を代へて、今夜やつと以上六十行餘りの短文を作つた。これは少しなりと自分の心を云ひ得たところがある故、私はもう是だけを作者のまへに捧げて筆を擱かうと思ふ。
 ついでに氷魚の讀者に一言申したいのは、「氷魚はいい歌集であるが、その前半には凡作劣作がなかなか多い。」といふことである。氷魚をよみ始めて、大正四五年のところで、つまらない歌集だ、と決めてしまつてはいけない。氷魚を眞に讀まうとするには、どうしても大正六年以後を熟讀しなくては駄目だ。急がしくて全部を讀めない人は「龜原の家」或ひは「岩手以北」あたりから讀み始めるといいと思ふ。氷魚は未完の感じのする歌集だと云つたが、その中にすでに成就された大作のあることは勿論であつて、就中「逝く子」「わが父」「北海道」「善光寺」「正月」その他信濃の自然を題材とした作には立派なものが雜つてゐる。終りに私の最も感じた歌を少しばかり擧げて見やう。

  妻子らの今日かも來ると五月雨のあめの(ちまた)をわが歩み居り  龜原の家
  のぼり立ち見る笹山は小さくて海はてしなしおくつきどころ  北海道
  落葉松の色づくおそし淺間山すでに眞白く雪降る見れば  落葉松
  子をまもる夜のあかときは靜かなればものを言ひたりわが妻とわれと  逝く子
  心疲るれば眠りて起きぬ冬の日の明かき二階にいく日も居り  正月
  雪あれの風にかじけたる手を入るる懷のなかに木の位牌あり  善光寺
  野のうへに立ちの短かき松林梅雨近くして雲多くなれり  淺間山
  ひたぶるに我を見たまふみ顏より涎を垂らし給ふ尊さ  わが父
  この家に歸り來らむと思ひけり胡桃の花を庭に掃きつつ  高木の家
  野分すぎて再び曇る夕べ空岩山の上に雲をおろすも 岩山
  山の時雨疾く來りぬ屋根低き一筋町のはづれを見れば  飯山町
  二階下物賣りとほる聲聞けば霙ふりつつ日の暮れ早し  番町の家
  故さとの草家のうちに子どもらの怠りを叱り安き心あり  冬の雨
  雪ふかき街道すでに暗くなりて日あたる山あり日かげる山あり  池田町
  冬を經て幹の色くろき落葉松の竝み立ち寒く雨はあがりつ  追分原
  みづうみの向ひの火事にわが家の木の立ち明かし梅雨ふりながら  郭公鳥
  谿を出でて直ちにひろき川原の栗の木林花盛りなり  大町
  夏蠶桑すがれし畑にをりをりに降りくる雨は夕立に似つ  山居
  裏山に木を挽くひびき家のうちに聞けばまぢかく出て見れば遠し 歸國
  大き都の甍の上の曇り空日は殘れるか沒りしかわからず  二階
  沖べより氷やぶるる湖の波のひびきのひろがり聞ゆ  氷湖
                         
(二月九日夜) (アララギ 大正十年三月號)
        ※「氷魚」は1920(大正9)年、岩波書店刊の島木赤彦の第3歌集
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