一首の名作    土田耕平

 
  短歌は、一首三十一音が完全體である。つまり、一首の短い形式の中に、全心をうち込むことが出來る。これだけ短くて、これだけ深く滿ちた感動を盛り得るのは、實際不思議のやうであるが、萬葉集やそれ以後の秀れた歌を味つてみれば、具體的に證明されてゐる事實である。しかし、形式の小さいといふことは、文學としての格に於て、小説や長詩に較べて、地味であり幽微であるのは自然の行き方である。
 例へば、人麿や赤人の傑作にしても、これを「源氏物語」とか「戰爭と平和」とか、さういふ長篇に比べて見たなら、いかにも寂しい。又貧しい感じさへも覺えるのが、一般人の鑑賞眼である。とはいへ、その形式が完全體であるといふことは、結局するところ、その作者の全人格を具現してゐることであるから、萬葉の優秀なる一首は、源氏物語五十四帖をもつて總押しにしても、到底押し切れないのである。
 私どもは人麿の「もののふの八十宇治川のあじろ木にいざよふ浪の行くへ知らずも」の一首から受ける感銘が、自らの精神生活に及ぼしてくる力は、源氏物語全篇より受ける力よりも、深く大きいと言ひ得るのである。この事は俳句に於ける芭蕉の秀作に於ても同樣である。私は本來、詩歌よりも散文に興ずること多き性質であつたから、今自ら即してゐる小文學におもねつてゐるとは考へられぬ。
 但し、かういふ事は常に感じてゐる。小さな形式の短歌は、小説戲曲等に比べて、複雜な内容構想的の面白味は、所詮及びつかぬことであつて、短歌の特性はその純粹性と端的の表現に於て、他の散文學の追從をゆるさぬところにある。その點をわきまへてかからぬと、短歌の存在性はなくなるのであつて、徒に古語雅語の弄びか、或は散文の一くさりにもしかぬ無氣力なものになつてしまふ。
 今の世の中は、著るしく複雜ともなり、又怪奇とも呼ぶべき、樣相を持つてきたのであるから、短歌一首の如きでは、何となく物足らなく、はがゆき氣持になるのも一應の條理である。そこで明治以後短歌の聯作體が生じ、その多きものは百首二百首の多數をもつてしなくては、自足自慰を覺えぬ向きも少からずあるのである。しかし短歌はいかにも大多數をつらねたとしても、要するところ、その一首々々が獨立して、完全體を具へてをらなくては、聯作それ自體の破滅であつて、それなら、當然長詩か散文詩の形式を取るべきである。
 聯作の成立及びその價値に就ては、ここで述べることを見合せておく。兔に角、短歌は一首三十一音が渾然たる一天地を形づくつてゐることを、自覺してゐる人であるかぎり、一首の歌の制作に全心をそそぐべきである。一首の名作を得ることが出來たら、歌人としては滿足至極してよいのであつて、かういふことは齋藤茂吉氏の如き天才歌人であつても、屡々言はれてゐる。
 俳句雜誌のホトトギス虚子氏選は、一月の投稿句數が五句限りとなつてゐる。一寸考へるとこれではあまり、切り詰め過ぎた感じがないではないが、實際に當つてみたなら、自ら全力を擧げ得たと稱し得る作は、月に五句十句位のところが相應したものかと思はれる。これは月に五句十句位の作を推敲して止めよといふのではない。畫家がスケッチを試みるやうにして、手控への歌帖には、その人の境遇なり心性なりに從つて、よし百首二百首の試作も必ず惡いことはない。ただ整理し錬磨して、送稿する歌數は、自ら心適くものであつて欲しい。一首の歌をよく大切にするわけである。
 この間私は信毎選歌を今後、嚴選氣味にして見ようと書いたのもその意味であつて、從來に比べてどれほどの差を示すかは、未だ決定せぬが、この三月上旬到着の分から、相當の差違を生ずるであらうから、投稿者諸氏はどうぞその心算でゐていただきたい。
 この間本社の今井さんが言はれたやうに、投稿歌の數が多くなるとともに、凡作の羅列がきはだつて、大方の讀者には退屈でもあつたらうことと、これは選者たる私が第一に汗顏の次第である。しかしあの多くの中には、いくつかの秀作が交つてゐて、それは一篇の小説又雜記等に比べて決してひけ(、、)を取つてはゐない。その點は充分自信を抱いていただき度いので、今後はさういふ秀作の小數を選ぶ方針に、漸次進み度いので、これは熱心の作者であるなら、同感して一層の精進を期すことであると信じる。作もむづかしいが、選もたやすいことではないから、私も微力を盡くして行き度いと希つてゐる。模倣のこと、盜作のこと、又萬葉調のこと等については、後日折を見て小感を述べ度い。                           (信濃毎日新聞 昭和十五年三月)
 
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