林間雜記    土田耕平

 
  歌の凡非凡の差は、わづかに一字二字の上にあらはれる。自ら作歌に勵んでゐる時は、そのわづかの差がはっきりと目にうつる。たとへば、寶石の質量に於ては、一分一厘の差が、その價値の上に大きな差を生じるに等しく、歌の上では、一字二字の差がその歌の黒白を分つ大きな差になるのである。しかし、自ら作歌に怠けてゐる時は、その差が見えなくなる。どちらにしても大した差違はないやうに思はれて來る。それはもう歌の道に見放された時である。その作者を本にして云へば歌を見放した時である。歌壇が振はないとか、皆千篇一律だとか云ふ聲が作歌を遠ざかってゐる人々の間から聞えて來るのは、自然の現象かも知れない。
 ある作者の歌が、いよいよ本道へ入って來たといふ時には、外見上靜止した形になることが多い。流水が淵を成すほどに、漸時騷音を減ずる状態に等しい。これに反して、その作歌がひどく活躍し變化して見える、後に靜かに反省して存外な感を受けることが多い。これは、一作者の上ばかりでなく、歌壇全般の上にも云へる。靜止の奧底にかすかに搖動してゐるものを、ぢつと見究めるだけの根氣があるのでなくては、藝道に參ずる資格を缺くものと云ってよい。

 歌一首の形式が小さく窮屈に見える時は、自らの制作力が鈍くなってゐる時である。制作力が純一に凝って來れば、歌一首の形式はいよいよ大きく完く見えて來る。一首の中に今日只今の全心を打ちこむべし。歌の道は、專ら自然を念じっつ自己の生命を轉じ轉じてゆく氣合にある。

 佛家に於ては、世に知られずに終った人の方に、まことの佛徒が多いのだと聞いた。念佛三昧に、若くは坐禪三昧にその生涯を終へた人は、形の上に於て後の世に殘るべき何ものもないわけである。藝術家は、その作品が殘ってゐる限りは、いつか世に認められる時があると云へよう。しかし、ある種の作品になると、その價値はある一部の人々にのみ認められて、一般世俗には交渉なくすぎてゆくものがある。さういふ中にほんたうの藝術が多分にあるではないかと思ふ。これを一個の作者にあてて云へば、その人は世俗の文學史上に於ては、永久に二流三流どころに置かれるのである。もし又一流の評價を受けてゐる人にしても、その作品の主要のものが片隅の方に押しやられたままになってゐることは多いと思ふ。短歌の如きは、從前のことは知らず今後に於ては、恐らく文學史の片隅をひそかに道づくつてゆくことになるであらう。そのまま短歌の中で、實際にすぐれた作品は、片隅の隅の方にあるかなきかの存在をつづけてゆくものが多いであらう。一般世俗の弄びとならず、只數人の手から手に渡ってゆく藝術。やはりさういふものがあっていいのだ。

 歌で最も重んずべきは一首の聲調である。そして、この聲調をしっかりきたへた歌といふものは、さう澤山はないのである。いはゆる調子のいい歌は、實は調をなして居らぬことが多い。ほんたうの調子といふものは、一見調子のないやうなところにある。なめらかな口ざはりのいい歌をさして、調子がいいと多く云はれてゐる。今の歌壇でいへば若山牧水氏の作にはこの傾きがあらうとおもふ。北原白秋氏の如きもまづさうである。一般に云へば、年の若い作者の歌は調子がいい。年をとるに從って表面にあらはれた調子がだんだん消えて行って、ほんたうの調子が出て來るのが自然であらう。子規の歌にしても、晩年に到ってほんたうの調子といふものが出てゐる。一見して何の調子もないほどの處に到ってゐる。「句は舌頭に千轉すべし」と云った芭蕉の言葉にしても、これを過つと、いはゆる調子のいい作を成すこと戒心すべきである。

 歌は人格のあらはれであるといふ。事實それに違ひないが、さういふことは腹の底へ疊みこんでおけばいい。作者としては一心に制作をつづけてゐればいいので、人格問題の如きは別に論ずる人がある。人格問題をたやすく口にする歌人が秀歌をよんだ例をまだ見ない。

 歌つくる先に人間をつくれ、などいふ人は歌人となる資格のない人だ。歌つくるは人格向上のためでもない。人を愛するためでもない。自然に親しむためでもない。歌をつくらなくとも、人を愛することはできる。自然に親しむこともできる。歌つくるのは、歌を愛するからである。歌を何かの方便と見るのは、この道の異端者である。

 同志の者が多くなればなるほど、互に孤獨の心を起し、會合の度數をますます減じてゆく必要があるとおもふ。まことの詩歌は、必ず孤獨の心にのみ芽生える。芭蕉は晩年門人朋友をさけてつとめて孤獨の境涯を求めた。釋迦の遺教を見ると、諸の大弟子等にかたく獨居の生活をすすめてゐる。法然の遺戒にも、團體の念佛を禁じてある。念佛でさへも衆合の害ありとせば、まして歌作の道は常にひとりを守るべきである。この道は、聚積の底から腐敗することが多い。

 現實世相に直面すると云ひ、囘避するといひ、これを全く別種の人の如く考へるのは正しくない。人一人の心には、多い少いの差はあつてもこの二色の心を雜へ持ってゐるのが常である。入山の釋迦は現實を囘避したので、出山の釋迦は現實に直面したのであらうか。さういふことは、愚かな論義である。歌作態度にしても、現實に直面するか囘避するか、などと分けて考へるのは、實は皮相な考へ方だとおもふ。人はいづれかと云へば、囘避などいふ言葉を忌む傾きがあるが、囘避する心にもまことはある。時に世を囘避せねばならぬやうな場合もあるので、これは各自の心に聽いて見るべきである。(四月三日)

 近頃文壇詩壇の人々から短歌作者に向つて現代語の趨勢を見よ、といふ聲が屡々聞えて來る。評者が現代語といふのは、所謂口語をさすので、今の文壇詩壇殆どことごとくが口語を用ひてゐる中に、ひとり短歌のみが文語を用ひてゐるのは、時代錯誤であるといふ。しかし、短歌の樣式はもともと文語を基礎としてゐるのであって、文語を離れた短歌は、たとへば殼を棄てた蝸牛にも等しい。秀れた短歌の示す莊嚴無比な調子は必ずや文語の持ち味に根ざしてゐるのである。今の口語に到底望み得ることでない。もし人が、全然國語によって、もしくは口語を多く取り雜へて詩歌を作らうとするなら、それは短歌の形式では駄目だと思ふ。他に異なった形式をえらべべきである。短歌を作らうとする人は、文語の持ち味を愛し、文語の用法を深くわきまへてゐることを必要とする。今時文語を用ひるのは時代錯誤だと思ふ人は、短歌の樣式に執着する要は少しもない。口語による新樣式の詩を發明して行くがよいのである。
 しかし考へて見るに、「現代語の趨勢」などと云ふことも、絶對的必然的のものでは決してないと思ふ。國語はたえず變遷して行くけれど、それは必ずしも進歩を意味しない。時に退歩し逆轉する場合がある。今の口語が果して文語よりも進歩したものかどうか。にはかに斷定する事はできない。また現代語の趨勢が今の状態をそのまま持續してゆくかどうか、それも豫知しがたいことである。新たに轉向して文語古語が多く使用される時が來ないとは限らぬ。文學上の用語はその時代の一般民衆の口語に制肘されてゆく一面には、口語を純化し統一してゆく使命を持ってゐべき筈である。秀れた文人詩人の用語はやがて文壇一般の用語となり、更にその一國の口語として行はれる例がないであらうか。現代語の趨勢に準ずることのみを知って現代語を帥ゐることを思はぬやうでは、詩歌人として見識の低いことだと思ふ。短歌作者は、常に短歌本質をわきまへて、自ら快適とする言葉を採り用ひてゐれはよい。文壇の覺醒によって現代語の趨勢をやがて轉換し得ないとも限らぬ。もし又文語の使用が今後愈々せまくなって一般人士に通ぜぬやうになったら、短歌なる樣式はその時亡びてよいのである。只現今われわれは文語短歌を制作してゐる努力のうちにすべての報酬はあるわけで、將來のことは間ふところではない。小生の覺悟としては、たとへ短歌作者最後の一人にならうとも悔はないつもりでゐる。

 文語と口語と比較して、そこには勿論一長一短があるけれど、文語の方が遙かに多く韻文的要素(短歌の樣式に適す適さぬの問題は別として)を具へてゐることは明らかである。たとへば、「けり」「なり」等の助動詞にしても、これだけ微妙な働きを有する語を口語中に見出すことはできない。今後もし文語なるものが一般に使用の途を絶つ時が來たとしたら、それは日本語の大きな損失である。

 古事記時代の歌謠を見ると、その樣式が種々雜多であるが萬葉集以後五七五七七音の定型を具へてきた。しかしそれ以外の樣式は跡を絶ったわけではない。それは一般民間の歌謠となって、今日まで遠い傳統を引いてゐる。その中に、詩として秀れたものの多いことは云ふまでもないことで、今日のいはゆる口語文語を巧みに調和させて、細美な模式を成してゐること驚くべきものがある。もし具眼の士がその選集を編んだなら、古來の短歌集に對して決して見劣りのせぬ大詩集をなすこと疑ひない。近ごろ新詩乃至自由詩(童話をも含む)の作者の一部が、この遠く探い日本詩の傳統にめざめてきたことは、喜ぶべき現象である。

 從來の短歌俳句等を定型詩と呼ぶに對して、近ごろ新しく起りつつある詩を不定型詩乃至自由詩と呼ぶ、その名目はどうあつてもよいわけであるが、「不定型」、「自由」等の語に迷はされてはならぬ。短歌俳句の樣式を不自由なものと見、新詩の樣式を自由のものと見る作者があったら、それはまだ作者としての苦勞を積んでをらぬ證據である。短歌俳句に伴ふほどの不自由乃至束縛は必ず新詩の上にもあるべきで、この不自由こそは詩を練磨する唯一の試金石なのである。定型といひ不定型といひ、それは樣式の異なりを假りに示す語であって、自由不自由の意は微塵もないと小生は考へてゐる。吾々の心情の動きは樣々であるのに短歌の形式は一定してゐていかぬ、もつと變化ある詩型をもってその時々の心情を述ぶべきである――こんな理由から新詩を求める人もあるやうであるが、その程度の自由や變化なら、短歌の樣式のうちに十分求められるのである。

 日本詩界は、俳句、短歌、長詩等分野が確然としてゐてその間に交流を缺いてゐるのは何故か、と疑ふ文人があるが、思ふにこれは從來の俳句及び短歌が非常に進歩して專門化してゐたからではないか。新詩は今のところなほ幼稚未熟なものであって俳句短歌と併稱しがたい。人々が深く日本歌の傳統にめざめて來た時、短歌も俳句も新詩も本質的に交流するのであって、近ごろ多く文人の新説に底力はないのである。文語を用ひる短歌は時代錯誤だなどいふ聲の聞える中は、まだまだ前途遼遠の感がある。(四月十八日) 
                          (アララギ 大正十三年五月號、同六月號)
 
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