子規の歌一首    土田耕平

    
  我口(わがくち)を觸れしうつはは湯をかけて灰すりつけてみがきたぶべし
 子規は脊髓とともに肺をも患つてゐた。肺の病は傳染の恐れがある。門下の家に呼ばれて食を共にしながら「わが口をふれし器は湯をかけて灰すりつけて」と氣がねをしてゐる。健康者の思ひ及ばぬ哀れな心境である。しかし子親はさらに「みがきたぶベし」と云つてゐる。ここへ來ると氣がねや遠慮やさういふ消極的の心づかひのみでない。そこにおのづからなる自重の念がひらめいてゐる。己の口にふれた器だから大切にするがよい、といふのである。複雜な心持が統一されて深く靜かになつてゐる。
 明治三十二年といへば子規の歌もまだ過渡期であつて澄みきれぬ作も大分まじつてゐるやうだ。中でこの歌などは最も秀れたものの一つで子規の特長がよく出てゐる。言葉も利き心も到つてゐる歌である。これは對詠歌(茂吉氏の語を借用)であるがやはり寫生の道を通つてゐることを忘れてはならぬ。
 この時秀眞氏に與へた作がまだ外に數首あるがここには擧げない。この一首だけ取り離して充分獨立できる歌であるから。
 附記。「みがきたぶべし」は「みがきたまふべし」である。萬葉集の「わが聞きし耳によく似ば葦かびの足なへわが背つとめたぶべし(○○○○)」に用法同じ。      (アララギ 大正十一年十一月號)
 
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