先生の作歌態度一面    土田耕平

   
 先生が歌を作る時には、きちんと身を正しく坐つて、疊の上へ原稿紙をひろげて、遠くからぢつと紙面を見つめるやうにしてゐるのが癖だつた。紙面の歌文字は、やゝ間をおいて一字二字位づつ加滅される。それをまた先生は、目を見張つて奧の方まで見とほさうとするやうな樣子をされる。丁度畫家が筆をとつて畫板に向つてゐるときのやうな態度であつた。「おれはどうも歌は紙へ書いて見ないと分らない」と云はれたことがあつたが、實際先生の作歌態度の一特徴と見てよからうとおもふ。歌は今日のやうに文字に書きつたへるものである以上、誰しも推敲苦吟に際して、多少なりと文字表現にたよらぬはないであらう。しかし先生の如くに、視力の集中即心の集中といつた風の態度で作歌した人は、さう類ひあるまい。これは何でもないことのやうであるが、先生の作風歌品と全く切離しては考へられぬ。興味ある事實であると思ふ。あの重壓性のある彫刻風の歌品はおのづから一面の理がこゝにありはしないだらうか。私はこの頃、萬葉集の歌は「制作即聲調」なりしことが萬葉歌風の一要素であることを鑑賞上重く考へてゐるが、先生の歌は謂はば「制作即凝視」といつた風なところがあつた。但し「馬鈴薯の花」時代の作風になると、少し違つたところがあつて、これはまた別に考へてみなくてはならない。
 先生生前に於て、その深刻な歌風に充分の理解を持ち得なかつたことを悲しんでゐる自分は、この全集本によつて、もう一度新たに教へを受け得ることを感謝する。 
                                  (昭和五年二月、赤彦全集月報所載)
 
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