島日記    土田耕平

 
 島の椿は年に二度花を持つ、十二月末と三月初めと。その二度目の花が散り盡す頃には、三原の裾一帶の榛原が冴えざえと若葉の色に輝いてくる。榛に雜つて水木(みずき)と山櫻が澤山あるが水木の新芽は光澤があつて殊にうつくしい。
 村から山の畑へ通ふ幾すぢもの掘割道は、私たちの散歩するによい所だ。風のつよい日でも、一二間深く掘りさげてあるこの道へ入るとひつそり(・・・・)とする。
 道の上に蔽ひかゝつてゐる木の藪はみな新芽を伸した。明るい寂しい春の光は、その一枚々々の小さい緑に流れてゐる。日が高く昇つて夜露の濕りも乾いてしまふ頃になると、筒袖姿の島の女たちが、肥をつけた牛を曳いてぽつぽつのぼつて來る。
 掘割道を脇へそれると直ぐそこが畑になつて居る。麥はもう長く伸びてさわさわと葉ずれの音も聞える程になつた。畑へ出ると急に眼界が開ける。三原山の煙が眼上(まなうへ)に白く流れて居り、低い榛原の向うには海が見える。この頃は海も霞んでゐる。富士の姿ももう久しく見ない。
 畑を横切つて行くと林のかげの樹を伐つたあとに、母親と娘らしい子と二人で土をかへしてゐる。近づいて見るとそれは隣の人たちだつた。かうして鍬を入れてから陸稻を蒔くのだといふ。
 私が木の株へ腰をおろして休んで居ると、もう晝近いからと云つて二人も鍬をおいて樹蔭へやつて來た。そして籠の中から大きな薩摩芋を取り出して、私にもわけて呉れた。
 島の女は慣れるとよく話す。自分の身の上も何ひとつ隱さず話してしまふし、また私たちのことも色々聞きたがる。兩親は何をして居るか、國でもさつま芋を作るか等皆罪のない話だ。
「お前、いつまで島にござる

と母親が聞くから、「いつ迄も居たいものだ。」と答へると娘が笑ひながら、
「うそ、うそ。國の人はからだが癒るとみんなこんなさむしい所は見るも厭だつて逃げてしまふ。」
 島には小鳥が多い。かうして山へ來て靜かに聽いて居ると殊にさう思ふ。鶯、目白杜鵑どは私にもすぐ聞き分けられるが、その他知らぬ鳥がたくさん啼いて居る。けれども島の女たちは、鳥の聲などには恐らく心をとめないのである。
 島の春は短かい。慌しく花は散りすぎ、束の間に木の葉は茂り合うて四月にはもう木下闇となる。
 ある夕方私は弘法濱の上の砂山へ出た。深い靄の中に日は傾いて、赤い寂しい光が夢のやうに流れて、磯の砂にくづれる波の音がかすかに耳に入る。淡緑の海はゆるやかにうねつて居るが、伊豆岬も沖の利島もけふは見えない。
 こゝで見ると、三原の頂上からその裾が右左の海に落ちる所まで、即ち大島全體が目に入る。濱へ出て山をふり返る時はじめて海の中の小さい島だなと思ふ。
 山腹を蔽ふ雜木林の若葉にも、ゆるやかに立ちなびいて居る噴煙にも、赤い夕日の色が映つて居た。私は砂の上に伏して靜かに眼を閉ぢた。
 もうこの島へ來て三年目になる。なかなか私のからだは囘復しさうもない。一そう島へ住みついて畑仕事を始めようかとも思ふが、まだとても鍬を持つ力がない。
 この平和な自然と人の中にまじつて、努めて古い心の垢を洗ひ流したいと思つて居るけれども。

       二

 半年餘り島で親んだ病の友が歸國の途次、東京から送つてくれた草花の種をむげに棄て置くも勿體なく、前庭の固い土を掘りかへして()めつけたのは昨日のことのやうに思はれるのに。いつかその種が芽生えて伸びて花をつけて、それも早や散りがたになつた。また半年餘りの月日過ぎてしまつたのである。
 かたみの草花は久しく咲き代り散り代りして、佗びしい私の獨り居を慰めてくれたけれたけれども、その後友の消息は杳として聞かない。
 彼は病んで八年目だと云つた。國々に轉地して最後に望みを抱いて來たといふこの島でも健康を取囘し得ずに故國へ歸つたのだが、その後どうしたであらう。
 丁度一年前一所に行き行きした山の林へ行つて見ると、清々しい水木の緑も、喧しい蝉の聲も、さながら去年の繰返しに過ぎない。たゞ自分の心は一層切ない思ひに閉されて居るのである。
 さうだ、あの頃は熱心な基督教傳導の若者と度々林中で一所になつたが、私たち二人に宗教の貴いことをしきりと説いてくれた。
 その若者も身に病氣を持つて居た。やはり今はその行方を知らない。はるばる四國の方へ行つたと聞いたが果して健在であらうか。

  孟夏草木長、繞屋樹扶踈、衆鳥欣
託、吾亦愛吾廬(陶淵明)
 假住居ではあるけれど久しく住み慣れて見れば、この貧しい草屋がこよなくあはれになつかしい。
 移り住んだ日に張りかへた障子の煤けを見るにつけても、過ぎ去つた一日々々が想ひ出されるのである。この私をしばしば訪れて來た寂しい友の姿や、可憐なる島少女の眼射や、かつまた自分自身の時折の姿が室の隅々に幻となつて殘つてゐる。
 私は常に一人ぼつちだとばかり思つて居るのに、靜かに膝に手を組んで座する時身のほとりに數限りなき映像が生きて動いて居るのに驚く。
 冬の日に暖かい光を通してくれた南の障子窓は今や凉しい海風が日がな一日流れ込むに委せてある。
 この春、前の高い生垣が伐り拂はれたので今年は風通しがよくなつたばかりでない、隣の樹木畑が眺められるので一層こゝちよい。その深い青葉の中でしきりと鳴き交す蝉が、折々こちらへ飛んで來る。家の中へ迷ひ込んだのは慌てゝ逃げ出すが窓の柱へでも(とま)らうものならもう其處で癇高い聲で鳴き立てる。
 そんな時はむげに追ひやるもいとほしく、暫く物書く手を止めてゐるのであるがあまりに(きょく)のない高聲を發する主の面構(つらがま)へが見たく思はれて、そつと首を出すと、慌しく飛び立つて、せまい庭の中を二三度往き來して向うの翌檜(あすひ)の枝にばたり落ちたと思ふと、もうすぐそこで鳴きす。
 一體にこの地は蝉が多いと思ふが、これから秋に入ればまた蟲の聲と鳥の聲が數限りなくきこえて來る。蛙も鳴かず螢も飛ばぬ梅雨期には島の自然の單調さがかこたれるが、夏から秋にかけては一時に眼覺めてくるものゝ多いのに微笑まざるを得ない。

 濱へ出ると南の方四里沖に菅笠形の利島が見える。よく晴れた日には、その向うの新島神津島も見える。天氣の加減で非常に近く見えたり遠く見えたりする。利島は周圍一里餘りの小島である。僅か四里の隔たりではあるが、そこまで行けばまだ純なる島風(しまふう)が保たれて居るといふ。島人は椿の實を採つて暮しを立てゝ居るさうである。
 よく晴れた夕方などその山の緑がほんのり目立つ時があるが、そんな時は實に嬉しい。村の燈が見えぬかと思うて時々夜の濱へ立つが、それは到底望めぬ事らしい。

       三

 九月に入つてから雨の日が多い。この地では春海秋山(はるうみあきやま)と云うて秋は山の陰晴をもつて天氣を卜するらしいが、ほんに此の頃は三原山の頂上常に雲に掩はれて居る。漸く澄んだ光が海の空にあらはれたと思ふのも束の間、忽ち山の雲が廣まつて心もとない雨の音となる。庭前の樹々はなほ青々と夏の姿を殘して居るが降りそゝぐ雨の音はもう爭はれぬ秋だ。さやかにものゝ命に漲つて來る夏の感じでもなければ、暖かに柔かに若葉の世界を惠む春の音樂でもない。傷く悲しく私の心に響いて來る巡禮の歌である。
 雨の日には不思議と海の音が耳に入り易い。訪ひ來る人もない籠居の一日を默然と枯坐しる間には幾度となく遠い佗びしい波のさゞめきを聽くのである。ある時は長根の濱から、また弘法濱から、自分はその響によつて風の方向を知ることが出來た。北風が長根の濱にさわだつたびに島の荒い冬が近づくのが思はれる。
 大島の四季は氣候の變化が緩慢で秋になつても秋らしい氣持がない。内地から來た人から常にかういふ言葉を聽く。一年二年この地に住み慣れた人でさへかう云ふ。私も當座はさう思つた。
 しかし去年の秋は少し身體も囘復したので毎日のやうに野歩きに時を過した。そして澄んだ夕陽の中になびく萱の穗の寂しさを知つた。深緑の香が褪めて赤くあらはになつた三原の嶺に音もなく立ち昇る白煙の莊巖を今更の如く仰ぎ見た。野分の吹きさわぐ榛の林にけたゝましく飛び立つ鵯の聲を聞いた。目を放つて漫々と孤島をめぐる海の面が深く冷たく澄み透るのを見た。海の彼方に遠くさやかに立つてゐる富士の嶺に白雪の積るを見た。
 大島の秋は信濃の山中に見るやうな峻烈なものはなかつたが、深く湛へた趣きがある。染み出る秋の色は淡いけれども、豐かな野のものが淡い光に限りなき陰影を生じた。
 三度秋を迎へて島の自然は私にとつて一そう親しいものとなつた。今年は殆ど屋内に枯坐の日を送つて居たやうなものであるが、迫り來る秋の呼吸(いぶき)は去年にもまして深く幽かに私の胸に搖るるを覺える。水甕の下に宵々すだく蟲の聲、庭の草葉のそよぎ、雨の音、去年野に出て聽いた秋の聲を今年は居ながらにして更に微かに聞き辿る思ひがする。
 この雨が晴れたら心をこめて再び野の秋を訪れて見たい。願はくはわが病躯に(さち)あらしめよ。そして遠き自然探究の旅に立たしめよ。

 大島に無いものは蛙、螢、蜻蛉。蜻蛉は極稀に見られるが、内地で見る夕空に渦まく美しさは思ひも及ばぬことである。
 五月闇に螢一つ飛ばぬのは甚だ心もとないが、蛙の聲の聞かれぬのは一そう寂しい。梅雨の日のつれづれに自分は幾度故郷の水田に思ひを馳せたか知れぬ。
 この島には川といふものが一つもない。蛙、螢などの居ないのはそれ故であらう。自分は山國に育つたので島へ來るまでは殆ど海のながめを知らなかつた。今海に倦きて時々山川の瀬音が戀しくなるのも妙である。
 島だからもとより大きな山の感じは得られない。三原山の木深い谷間へ入つて行くと暫く山らしい氣持がするがすぐもう海の音が聞えて來る。やはり島の中である。

       四

 九月晦日夜の暴風雨はこの離れ島をも見舞うた。私は四五日高い熱に苦しんだ後身體の衰弱がまだ快復できない折の事とて、あの恐ろしい眞夜中のはためきにそゞろ魂消えんばかりであつた。内にひそむ病を氣遣ふ心弱さからひたすら身の冷えを恐れて夜具の中に息をひそめて居たが終に南向の大戸が倒れて凄じい物音が屋内に侵入して來た。四疊一間の外ない孤屋の中に身の置き所もなく、私は寢衣のまゝ厩のかげを拔けて大屋へ走つた。
 夜が明けて嵐が和ぎて家へ戻つて見ると、障子の紙は悉く溶け失せ土間一面に泥水が湛へてゐる。私は暫くなすすべもなく茫然と立つて居たが、一夜の疲勞耐へ難く且つ寒氣さへ覺えるので雨漏を免れた室の片隅に布團を寄せてぢつと身を横へた。
 何だか病が激變したやうな悲しい心持になつて不快でたまらないのでぢつと目を瞑つて居る中にいつか深い眠りに落ちてしまつた。
 眼が覺めた時には戸の節穴(ふしあな)から日が射し込んで居た。家の中が明るくなつて見るとあたりの淺間しい有樣は一層際立つて目につく。私の夜具の上まで泥水は飛び散つて居た。
 それでも晴天になつたらしいのに氣を引き立てゝ戸を明けて見ると、さなきだに寂しい寒村は見るかげもなく荒れてしまつた。草屋根がちぎれ厩が潰れた中に椿の木がなまなましく倒れて居る。空は拭うたやうに晴れて居たが凄しい海鳴の音は地をゆるがしてゐる。私は少しその邊を歩いて見たいとは思つたがどうも熱が高くなつてゐるらしいのでなほ暫らく寢て居ることにした。
 二三日たつてから山へ行つて見た。推察はして居たが事實まのあたりその荒あとを見た時の悲しみは強かつた。今年の秋はと二月も三月も前から心に畫いて居た私の願はことごとく破れしまつた。
 明るい陸稻の色もさくらの紅葉も多くの渡り鳥を惠む木の實もすべてがおしまひだ。大自然の上にこんな思ひがけぬ破産が起らうとは誰が推し量られよう。私の心は巡禮者が祈念の殿堂を破られたやうな悲しみに(とざ)された。外に何の望みもない旅の身に取つてこんな慘めなことがあらうか。

 十月九日。障子の張り替もすみ屋根の繕ひも出來て漸くわが住居も落ち付いた。身體の力もずつと出て來た。午後隣の親子のものに誘はれて一所に山の畑へ行く。雨が晴れて心持よい日の光がさして居た。
 なまなましい樹々の傷はそのまゝ跡をとゞめては居たが靜かに明るい午後の光がさすところにはなほ秋は殘つて居た。畑の(くろ)にならぶタガヤ(萱の一種、牧草)の穗が少しも傷まずに居てくれたのは意外のことであつた。その絹色の光澤はあたりの寂寞さに對照して一しほ淨く美しくおもはれた。
 稻は倒れても島の女は元氣がいゝ。
「米はなくても芋は掘りしだいだ。」
 親子のものが落花生を掘る間、私は森へ入つてアシタボの芽を摘んだ。蝉の聲かとおもふ程高く遠く蟲が鳴き渡つて居た。時を置かず風に傷んだ木の葉が落ちしきつた。
 やがて私は森ふかく親子の話聲の屆かぬ所までも踏み入つた。落葉の上に立ちとまつてあたりに耳傾けるといたましい自然の氣息が身に迫つて來るのを覺える。
 秋の日は早く海の上に傾いて鴉の聲が野の空を鳴き過ぐる頃、私は一人遲れて掘割道を下つた。

       五

 秋になつて村端れの木深い墓地に目白の群が再び訪れて來た。今はもう春さきのやうな高い囀りではない。木の實をる愼ましやかな聲音である。山雀、百舌、鵯の群も一日の中には幾度となく去來して忍びやかに、また時にはけたゝましく、木叢の上に啼き立つのを聞く。稀には下の濱から鴉の濁聲が聞えて來る。
 樹はおもに椿、海洞花(とべらのき)、たぶのき等の常磐木が多い中に榎櫻の類も雜つて居る。思ひのまゝに繁茂したこれらの樹々が、冬の間吹き續く強い海風に撓められて石碑の上に低く掩ひ被さり、梅雨期から七八月にかけてはまことに陰濕の氣が深い。
 秋の末になると落葉樹の葉はなかば散りすぎてしまふが同時に常磐木も稍粗らになる。その間から明るい光が洩れて落葉の濕りもいつの間にか乾き上り、長い間默つて考へ込んで居た石碑塔婆の(おもて)にも始めて自然の微笑(ほゝゑみ)が浮んで來る。
 日蓮の流された伊東に近い故か、此地では法華の宗旨がなかなか擴まつている。墓へ來ても碑面には多く七字の題目を見受ける。
    南 無 妙 法 蓮 華 經
 墓は廣い。丘の高低に雜然と列ぶ石碑の間を分けて幾條となく細い徑が辿られる。一人靜かに虔ましくこの間を歩みつゞけることが、どんなに自分の境涯に(ふさ)はしいことであらう。
 島人は常に七十年八十年の齡を保つ。今この墓處に安らかに眠つてゐる幾多の人のことを考へて見る。歴史も學問も藝術もなかつた土地に何の苦痛艱難があつたと想像されよう。私の眼に浮ぶ過去は只赤い椿の花と盡きせぬ歡樂を語る島唄ばかりである。
 かう考へた時私の心は少しく不安を覺えた。何故なら自分はふとお兼の死を憶ひ出ひ出したから。かうした島人の中で、どうしてあの子一人がたつた十七で死なねばならなかつたであらう。をととしの秋病衰の身を抱いて始めてこの島へ渡つた當座、私は暫くお兼の家に起臥した縁がある。
 今この靜寂なる墓地の一隅に、あの子の(むくろ)が横はつて居ることを想ひ起すのは、あまりに痛ましい。自分は心を轉じたく思つて海のかたへ足を向ける。
 墓地の下はすぐ海である。浪の高い日にはあだかも地中よりの響の如くに(いん)にその動搖が應へて來るがけふ此頃の日和では忘れたものゝやうにしんと音をひそめてゐる。
 今は悉く枯れ果てた篠竹の間を分けて一(すじ)の徑をゆくと僅かばかりの草地が展けて崖の下はすぐに青海である。風のない暖かい日にはこの狹い草原が樂しい私の隱れ場となる。こゝには枯れ枯れの草も其儘、貧しげな耶蘇教徒の墓標が二三立てられてある。墨もて記された聖句も消え消えにいかにも旅に果てた人の跡らしく思はれる。
 その傍に足を伸べて、日の光にひたつて居ると、やがて心も藻拔けて何も考へないやうな状態になる。うつとりと眼に入るものは只青い空と青い海ばかりだ。その時ふと私の心をかすめて去るつたものがあつた。
 やはりお兼の姿であつた。いたいけな少女の姿であつた。しかし不思議に今は些かも悲痛の感を伴はなかつた。まつたく生と死との差別を忘れてしまつたやうに。

       六

 今年の秋は返り花が多かつた。庭の梨の木は遠くから白く見える程になつた。野へ出ても至る所に山櫻が花を開いて、殆んど春に異ならぬ姿を見せて居るのもあつた。返り花と同時に若葉がさしてこの方は一そう異觀を呈した。
 暖かいこの島では返り花も秋の若葉も著しいのであるが、今年は特別である。これは大荒の影響であつたらしい。
 外を歩いて寂然と音をひそめた小春の光の中に、緑のそよぎを見、夢のやうな木の花を跳めると、何となく胸さわぎさへ覺えたのである。
 せめて匂の失せた返り咲きでもよいから、自分ももう一度春にかへりたい。この古びた心と、そして衰ろへた肉體と。
 書見にも倦きた日の夕ぐれ、自分は一人野を歩いてうつとりとさびしい心に捕はれた。友も多く去つて今はこの島に自分きりであつた。

 時ならぬ若葉は深い緑とはならずにすがれ果て、花も散り失せた。やはり小春の向うに夏は來なかつた。きのふ今日激しい海風が吹き立てゝ島は全く冬となつてしまつた。
 外の散歩も自由にはならずに、土砂の吹き込む荒屋(あばらや)の中に一日ぽつねんと座つて居るやうな日がこれからは多くなるのである。乳ヶ崎沖の潮流が凄じく目に立つて今更離れ島の感が胸を衝いて來る。東京から通ふ定期船も兎角遲れ勝で、待たるゝ人の便りは今日も届かぬといふ。來る筈の船が來なかつた日は一日もの足らぬ思ひがする。
 庭さきで毎日鳴き交した百舌の聲もこの頃ぴつたり跡を絶つてしまつた。寒い日にはもの憂げな牛の聲ばかりして一しほ旅情をそゝるのである。

 冬の島で只一つうれしいのは椿の木である。落葉樹の葉が皆素枯れてしまふ頃になつて椿の厚い葉は更に光澤を増す。
 近づいてその深い葉かげに一輪二輪初花を見出でた時の喜びはまた別である。しほらしい人なつかしげなしかし、どこ迄も淨い感じのする花だとおもふ。
 十二月もなかば過ぎると椿といふ椿の梢は殆ど花に埋められてしまふ。風の和ぎた暖かい日にはむさぼるやうに野を歩きまはる。そして日の光を、青い空色を、遠い海を、心ゆくまで身にしめて草の戸の孤座にかへるのであつた。
 路の上に散りしいた花片は忽ち牛に踏まれるが、後から後から又散りしいて、久しい間この落花狼籍のうつくしさは道々に見受けられる。

       七

 三月十四日。午後野を歩く。今年は冬の寒さが長引いた為め、草木の芽立がよほど遲れたが、今はもう爭はれぬ春となつた。常磐木の深く蔭つた掘割道をそれて畑の畔へ出ると、うらうらと明るい光の世界が私の眼界に開ける。それは昨日の水のやうな澄明さではなくて、煙つてまどろんで熱氣を含んだものであつた。
 久しぶりで野に出た私は、はつきりと季節の推移を感じることが出來た。枯れ澄んだ自然の面には、すでに新しい命が目醒めて居た。麥は伸び、山榛の梢は淺々と緑を染めかけた。つばきの花は未だに咲きついで居たが、もう人を立ち止まらせる魅力はなかつた。この美しい花も今は老孃としか見えない。すべてが新しく蘇へる時である。こゝでは清く若く力あるもののみが讃美される。年老いて汚れたものは棄てられて行く。
 仄かに樹々の梢の芽ぐむ頃は、一年の中で私の最も好きな時である。まだ何もかも幽かにさびしい。しかしこの幽かなめざめを誰が喰ひ止められよう。目に見えぬ力は、至る所に滿ちて居る。きのふ迄は何のきざしもなかつた土の上に、不意に持ち上つたこの青い色――命のあらはれは、全く私どもの思議を絶したものである。
 漸く數を増して來た鳥の聲は、更に私の心をそゝるやうに思はれる。鶯はまだ乏しかつたが、目白の群は隨所にその饒舌をほしいまゝにして居た。心の輕い小鳥も今はぢつと木枝に身をとめて、自らの歌に耳傾けて居るのであらう。飛び立つ姿は見えなくて、只高い囀りのみが野に響いた。
 新生の喜びを告げるものは、樹や小鳥ばかりではない。それよりも私の踏んで居る大地が、深く深く息づいて居るのを覺える。私は獸とともに野面を駈けまはりたいやうな惱ましさを感じた。
 しかし私のからだはそれを許さない。自然に對しても昔の自由は失はれて居た。目に見、心に思ふことは出來ても、身を觸れることは禁じなくてはいけない。私は孤獨を感じた。自分一人が春の光りに(そむ)いて居ることを感じた。
 森かげの道を通ると、一人の娘が古木の枝を拂つて居る。娘はやゝ隔つた木の間にあちら向きに立つて居るので、私の來たのにも氣がつかぬらしく依然として鉈動かす手を止めない。
 あたりには鳥が啼いて居る、木の芽が色づいて居る、日の光は明るく暖い。そして娘の髮は黒く美しい、(うなじ)は白く、姿はいかにも若々しい。皆春だ。自然も人も。私はこの娘の命が全く自然の一部であることを感じた。
 恐らく娘は、自然に對して美の感得もあるまいし、またもとより難しい解釋を下して居よう筈もない。けれど娘は自然と同化して居る。自覺せずに同化して居る。顧みて私はどうだらう。自然に對して色々の見解を立て、又愛惜の情あることをも意識して居るのに實は少しも自然と同化して居ない。時に乖離の悲しみさへ覺えるのである。
 私は娘の後姿を見乍ら考へて見た。同じ日の下に生を受けた人の子ではあるが、私のやうなものゝ存在は神の目から見たら、まことに惡むべきものであらうと。私はたゞただ頭がさがる氣がした。

       八

 此頃は毎晩食後に提灯をさげて村通りを一周りして來るのを樂しみにして居る。
 蟲の聲が多い。至るところに鳴いて居る。家蔭々々の草むらに、女供が山から伐り集めて來た燃木(もしぎ)の中に、道に沿ふ低い石垣に。
 搾乳所から歸り後れた牛が稀に通る外は極靜かだ。空氣がヒヤヒヤとして秋らしい氣持がする。足さきに浮動する灯明りをたよりに、何も考へ事をせずうつとりと歩みを運ぶ。心の向く時は山に通ふ掘割道の中まで辿つて行く。また蔓荊の茂つた砂原を越えて波の音のする方へも下りて行く。磯の叢に鳴く蟲の聲はまことに哀れ深い。
 毎夜空は冴え渡つて海に傾く天の川の光が白く夢のやうに仰がれる。星空を眺めるほど寂しいことはない。茫漠たる大塊の中に蜉蝣の生を受けてうれしきも悲しきも詮ずる所一切空である。家にかへつて就寢時まで枯坐默照。佛壇の燈明に向つてぢつと瞑目する。聞えるものはやはり蟲の聲ばかりだ。それに遠い波の音が雜つて來る。全く一人きりの心地がする。

 空氣が日に日に澄んで來てこゝちよい。タガヤの穗はまだ出ないが陸稻畑はすでに黄色く染み出た。里芋の葉は大きくふくらんで明るい日光の下に搖らいで居る。さつま芋の蔓は長く徑の上まで這ひ出して來た。
 掘割道を掩ふ青葉はなほ深く蔭をかざして居るけれども蝉の聲はこの頃めつきり減つてしまつた。時に思ひ出したやうに癇高く鳴き出しても忽ち調子を落してしまふ。その代りに繁くなつたのは蟲の聲だ。それに時々藪蚊が飛んで來て佗びしい聲を耳もとに殘して行く。深い掘割の空氣は晝でもしつとりと澱んで居るやうだ。
 三原の方から女の群が下りて來る。彼らの頭には麻袋が重さうに乘せられてある。中に入つてゐるのは皆椿の實だ。九月に入つてから島の女達の仕事は暫く椿採りに限られるのである。
 掘割道を脇へそれて畑の上へ立つと雜木林を越えて遠い海の色が見える。火山島だから土地が傾いて居てどこからでも海が望めるのだ。果てしない海の姿は靜かに深く私のいのちをはぐくんでくれる。殊にこの頃の澄んで冷たい光を何に喩へたらよいであらう。海の彼方の伊豆相模の連山もさえざえとして胸に迫るを覺える。
 やがて富士の頂に白雪を見る頃はそゞろに故郷の上が偲ばれるであらう。かの山間の湖畔に歸り行くはいつのことか。           
(アララギ 大正六年作 大正十三年加筆)                                      
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