奧信濃から須磨へ    土田耕平

 
      
 汽車は妙高山の裾を、越後平野に向つて激しく走せ下る。私は腰掛臺に身を横たへ、空氣枕に頭をもたせて暫らく目をつぶつてゐる。車輪の響が凄じくて、妄想がちぎれちぎれになつて飛ぶ。
 秋もはや末である。午後一時を過ぎたばかりの日が、汽車の西窓一ぱいに照りつけて、掩ひ戸は悉くおろされてゐる。熱のない寂しい明るさが車内に滿ちてゐる。掩ひ戸をあげればすぐそこに妙高の姿が迫つてゐるのだ。私は一寸立ちあがつて見ようかと幾度も思ふが、開いたまぶたは又すぐに閉ぢられてしまふ。
 私は久しく憧れてゐたこの奧信濃の地に、今年始めて移り住んで、夏秋の間深い山氣にひたつてゐたが、にはかに襲うて來たこのごろの寒さに耐へられず、今は身を遠く須磨の海濱に移さうとしてゐるのである。今朝から荷造りやら知家への挨拶やらで身體は可なり疲れてゐる。長い汽車旅行を控へて、まづ何より休息の必要を感じたので、柏原驛を發車すると直ぐに私は寢てしまつた。しかし目をつぶつてゐるだけでとても眠れない。急勾配を下る車輪のひびきは、過ぎ去る「時」のすみやかさを身に刻みつけるかの如く荒々しくさびしい。立ち去る土地に對する愛惜の情が疲れた頭の奧にひらめく。
 私はたうとう妙高を見ずに終つた。汽車の線路が屈折して窓の日ざしが全く變つた時、掩ひ戸は乘客の手によつて二枚三枚とはづされた。ガラスを透す空が青やかに廣がり、時折枯芒のさきがかすめてすぎる。山は遙か後になつてしまつた。
 眠ることはできなかつたが暫らく目をとぢてゐるうちに、稍疲勞の癒えるのを覺えた。私は起きあがつて窓をおろした。さわやかな風がサツと頬をかすめる。汽車はもう越後の平原にかかつてゐるのだ。刈あとの田圃が遠くひらけて、高い稻掛が城郭かなどのやうにつぎつぎに連つてゐる。柏原附近の稻掛の丈低い貧しいのに比べて、これは如何にも米産國らしく目に爽快な感じを與へる。私は古事記の「稻城(いなき)」といふ言葉を思ひ出した。それから沙本比賣(さほひめ)の傳を思ひ出した。古事記のうちでも沙本比賣の章は私の最も好きなところだ。女性の弱さと美しさがあの短い物語のうちに色深く織り出されてゐる。今この晩秋のさびれた光景に對し、遠い旅を控へて、やや感傷に墮してゐる心が、常になく沙本比賣の生涯を哀れにいたいたしく映し出した。
 しかし私の心は忽ち韓換させられた。汽車の行手に雪を認めたからである。私はハツと白いものを目に感じただけで、最初それが雪であるとは思はなかつた。信濃の高い山々にはすでに二囘ほど雪が來たのであるが、この數日の日和ですつかり跡を消してしまつた。、信濃より暖い筈の越後、そして高山らしいものもこの附近にはないことを知つてゐるので、雪を見ようとは少しも期待してゐなかつた。折から、忽ち視野をさへぎつて雪山の姿がいくつもあらはれて來たので私は聲をあげようとしたほどに驚いた。山はいづれも低い。また相當の距離をおいて見るのであるが、雪の白さは鮮やかすぎるほどである。北日本のならひで、晩秋の空はよく晴れてゐながら、底に深い暗翳が漂うてゐる。その暗く沈んだ北の地平にあたつて雪だけが目立つ。山は見えなくて雪だけが目立つと云ひたいのである。そしてこの寂しいほがらかな雪は空の暗翳をつらぬいて、限りなく北へ北へと伸びてゐることを思はしめる。自分の乘つてゐる汽車は轟音とともに刻々北境の雪に近づいてゐるのである。この心持はやや喩へるものがない。
 直江津へ着いた。柏原から二時間餘りである。ここで私は汽車を乘りかへなくてはならない。ホームへ下りて見ると米原行と記した列車がもう其處へ横たはつてゐる。私は赤帽に荷物を托して乘換客の後に從つて橋を渡つた。構内からは海岸の砂丘がよく見える。海は見えないが砂丘を越えた空の色がふかく澱んでゐる。十年前の夏私はこの直江津から佐渡へ渡つて一夜月をながめたことが今夢のやうに思ひ出された。
 乘りかへた車内はすきずきしてゐる。私は賣子から名物笹飴を一袋買つて腰掛臺に身を横たへた。                                  
(アララギ 大正十四年六月號)
     
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