追憶    土田耕平


 かつて、伊豆大島に療養してゐた時のことである。歌壇の或人が私を訪ねられて歸京後、土田の生活ぶりは、あまり貧寒に過ぎて、あれでは療養どころか、却つて身を損ずる、と云はれたらしい。それが何時ともなく、恩師島木先生の耳に入り、平福先生の耳にも入り、二人で相談して下された上、島木先生がわざわざ大島まで、樣子を見にきて下されたものとは、後に解つたことである。私自身としては、衣食住とも事足りて、人情の有難さが、身に沁む程に思つてゐるやうな時であつたから、そのやうな風評が、歌壇人の間に傳はつてゐるとは、夢思ふ筈がなく、島木先生が暇を得て、遊びに來られるのだらう位に考へてゐた。大正七年十月末のこと、日附ははつきり覺えてゐないが、豫めのお知らせで、朝方に船が着き、翌日夕の船で歸られると知つた時は、餘りに期間が短く思はれ、呆氣ない氣さへした。
 待ち兼ねた當日になり、航路無事、船が元村沖について、艀が岸に近づくにつれ、先生の姿が、目が、私の方にぢつと向けられてゐるのを感じた。艀から下りた先生は昔に變らぬ調子で大きく眼を見張つて、「ヨウー思つたより元氣だぞ。」と云はれる。私は一言の挨拶もし得なかつた。一生に於て、さう多くは出逢はないであらう氣持であつた。それから三原館といふ宿屋について、朝食を先生と共にした。暫くして、「君の家を見度いから、一緒に行け。」と云はれたので、家へ御案内した。早速、家の中へ上つて坐りこんだ先生は、暫く周圍を見まはして居られたが、
「この細長い四疊一間と、濕つぽい土間としきりがなくては衞生上よくないな。早速布を送るから、針金かなどで吊るやうにして、時に凌ぎたまへ。」と云ふ。これほどのことを言はれてゐるうちに、煙草四五本吸はれた。その匂が今なは鼻さきに漂うてゐるやうな、なつかしさを覺える。
「この家はちつと狹すぎるな。もう少しいい家はないか。」と又先生は云はれる。
 その、私は村の天理教布教師と親しくしてゐたので、散歩の折に立寄つたことがある。その家は、三疊に四疊半の南向で、前に雜木林を控へ、遠く海を望み、北側の奧に小さいガラス窓が入れてある。そのガラス窓の下に机を据ゑたら、落ちついていい仕事が出來ようかなどゝ立ちよるたびに、羨やましい氣持がした。しかし何より家賃の差がある。私は諦めて居た。先生は云ふ。
「一圓や二圓の相違は何でもないことだ。空いたら早速移りたまへ。そして早く丈夫になつて上京して呉れ給へ。」と一緒にその家を見に行かれて、「ここは面白さうなところだ。」と喜んで下された。
 そのよき住居は、その翌春になつて空き、翌々春、私が上京するまで、約一ヶ年住まつてゐたのであるが、居は人の心を轉ずとか、永い島生活もこの一年が、最も印象深いものとなつた。そして實はこれが、先生が島へ來て下さつた主目的となつたのであつた。そして先生はこの短い二日間を、隨分の餘裕をもつて終始された。私の最初の豫想とは異つて。「大島の地相はどうもいい。」と云はれた。三原山のゆるやかな傾斜や、地味な感じのする雜木林や、海邊の岩石砂礫の黒いことなどが先生の氣に入つたらしい。海べりに山手に足を運びつつも先生のゆつくりした氣分が、私の心持をゆたかにして下された。砂濱へ下りて小な可愛い貝殼を拾ひ乍ら「これは子供たちのお土産だ。」と云はれる。私も拾つてさし上げた。それを少し垢じみたハンケチに包まれるのである。その時、小石一つ拾つて行かれたのが、後年「石」といふ隨筆の一部にあらはれてゐる。
 山手の深い掘割道はひそやかでよかつた。靜かに歩み乍ら、たまに何か云はれる。芭蕉の話なども出た。多分その時だつたと覺えてゐる。大島節のことを問はれた。私が唄へないことは知つて居られるので、歌詞だけ云つて聞かせ給へというのである。當時すでに、大島節には外來の、或は新作の下等なものが多く交じつてゐるので、選擇に少し手間どつた。それでも七八つ位は云ふことが出來たと思ふ。
 ――乳ヶ崎沖まぢや見送りましよが、それから先は神だのみ――
 この唄は先生を特によろこばせた。ヱハガキに書いて人に送られたりせられた。そのとき、私はもう一つの唄を思ひ出したが、下の句がやや氣になつたので、上の句の
 ――杉の若萌みたよな殿御…… と云ひさしたままでゐると、「ウム、いゝが下の句も云ひたまへ。」といふ。止むをえぬ氣持で、
 ――人にとられてなるものか――
といふと、先生は、
「そこがいゝのだ。そこがいゝのだ。」
と繰りかへし、微笑をもつて、私の顏を覗きこむやうにせられたのには、些か赤面せざるを得なかつた。思へば自分はまだ若かつたのである。
 元村地域を隨分歩きまはつたが、且つ歩み且つ憩ふといふ風で、話は極めて少なかつた。ただ二人のみで歩くことを樂しまれるといふ風であられた。有難いここちがした。
 今にして、あの夢のやうな二日間を思出づるにつけても、島木先生も平福先生も、すでに世にいまさぬことを思ひ、寂寞の感にたへないものがある。        (信濃教育 昭和九年八月)
 
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