歌集 「 |
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底本:土田耕平著作集第1巻 昭和60年 謙光社刊 | |
諏訪温泉寺 | 大正10年 (1921) |
上伊那 | 大正11年 (1922) |
在京吟 | 大正10,11,12年 (1921〜1923) |
飯山にて | 大正12年 (1923) |
諏訪地藏寺 | 大正12年 (1923) |
下伊那 | 大正12,13年 (1923〜1924) |
奧信濃 | 大正13年 (1924) |
關西移居 | 大正13年 (1923) |
妙法寺山居詠 | 大正14年 (1924) |
須磨在住吟 | 大正14,15年 (1924〜1925) |
明石太寺 | 昭和2,3年 (1927〜1928) |
大和在住吟(1) | 昭和3,4,5年 (1928〜1930) |
大和在住吟(2) | 昭和5,6年 (1930〜1931) |
京都郊外 | 昭和7年 (1932) |
巻末附記 | top page |
諏訪温泉寺 やや暫し入日の影をとどめたる山の 草の葉の葉ごとにのぼる夕露のうらすがしさを想ひ見るべし 起き起きの心たもてり朝露に濡れしづまれる青草のいろ 朝々の霧晴れわたり 山かげは 白木槿きのふをとつひ散りそめて きぞ見てし月の光をおもふときこの降る雨や久しかるべし 幼弟三首 慌しき年月のまに育ちたるわが弟を見ればかなしも うつしみのわが弟よけふよりは兄のこころにしめて忘れじ 故里に住みとどまりてこれの子を常見まほしき思ひするかも 森ふかく 赤石にとほく はるかなる音ともわれは聞きゐしかそがひの松を吹ける風なり ぬばたまの今宵の月夜晴れわたり晝間見ざりし山見ゆるかも 在京吟 山吹のさかりの花に生ひまじる若葉のいろはやはらかく見ゆ ひとむらの葦間をいでて擴がれる水の淺瀬は音たてにけり わが門の楓もみぢに朝な朝な日あたる見れば霜によわりし 三日月の光さむけし晝の間のぬかるみ道はかたまりぬらし 冬ふけし日の光かな 降る雪は夜目にもしるし庭檜葉の木ずゑたわめて積りつつあり さむざむと麥の 憶伊豆大島二首 年々に春の摘菜をともにせし片野のあとを人ながむらむ 春されば草生ひかはる岡のべにわが足跡もまた殘るまじ 小佛峠附近三首 峽ゆく水は 見はるかす山の 小佛の山の尾づたひひとり行く 小吟折々五首 あけくれの寂しきわれになごみごともたらしくれよ胸にしめなむ をさな子は柱によりて わらはごの昔こひしと人はいふわが思ひ出は泪ぐましも み佛のこころにとほしうつしみはわれ人ともに悲しかりけり いささかの草にこもりて白小花咲きかはるとを人知らざらむ 飯山にて きはだちてふかき峯とてあらなくにこの地のすがたわれは親しむ 木ずゑふく風あらあらし鳴く蝉の聲はまぎれてまた聞かざらむ 千曲川板橋長しふりさけて越後境の山見ゆるかな 木の間には雨の雫のしげくして向うの山に雪ふりにけり 仰ぎ見る空の色ふかしこの町に雪の來む日は近づきにけり 奧ふかく何かこもれるものありて 諏訪地藏寺 湖を遠く見晴らす山の寺木の葉散りかふ日となりにけり 音たててしぐれの雨は降りながら片空青し日あたれる山 しぐれ降る寒夜となりぬ蝋燭のあかりとどかぬ高き天井 庭の上の落葉や深きこの夜半にしぐれの雨のふりそそぐ音 山のべの田の刈あとに萌草のはつかに青む冬さりにけり 踏みわくる落葉の音はもろくして月ぞわが身に沁む心地する 下伊那 有明の月の光やのこるらし おのづからみ冬にむかふ 降る雪をとほして見れば畠むかう竹のはやしも白くなりたり ゆるやかに山皺ひける國なれや家居まばらに冬枯のさま 道のべの枯草かげのほそり水こほりあがりてけふは音せぬ なほしばし惠那山のまにたゆたへる夕日の光あかくながれつ みんなみの海につづける空ならしゆふべゆふべに雲湧きいでて 天龍のながれゆくへは 今宮 白鳩はしばらく空に舞へりしがその松むらにかへりたるらし 元且試筆 一年のはじめ終りや鳰どりの住みわぶる身にかはることなし わが宿のむかひの山に雪ふりて米とぐ水のこほる朝かな かへるべきわが宿ありて道のへにふりつむ雪を見るはたのしも 山路ゆくわが足もとに吹きまろぶ楢の落葉はみな乾きをり 中ぞらに一むらがりの暮れ雲はいづちの峯に寄らむとすらむ 雪どけの水にごりくる門川に飯鍋ひたす春待ちごころ 春さきの日癖にかあらし片空は日あかりしつつ雪みだれふる 山吹は かすみ空しぬぎて高し仙丈の雪消えがたになりにけるかな 見るからに桑の若芽はやはらかし夕日の光ながれたるかな 天龍の川すぢをこめて雲白し短夜の空は明けはなれたる 奧信濃 絶えず霧かかりては晴るる黒姫の山の麓に立ちつつぞ思ふ 流らふる雲脚早し近山はたちかくろひて遠き山見ゆ 夕雲の紅しずむ裾野原ひぐらしの聲とほくひびかふ おどろしく夏野の原に立てる雲馬は曳かれていななきにけり 黒姫の荒野の土に生ふるもの 裾原につくる桑さへ丈低し人のたづきのおもほゆるかな 雨曇りふかくなりたる野のうへにひとつ聞ゆる郭公のこゑ 夏ふかく木苺の實の熟れのこる山の蔭みち下りけるかも 夏 夕昏るるこのもかのもの蜩のつぎて啼きやむ聲しきりなり たちのぼる靄の氣寒しまなかひに大きく暮るる黒姫の山 目もあやに霧ふきすぐる山の上佇みてゐて肌寒くなれり 高はらはさ霧の底にしづまれりただしづくするあら草の立ち 天霧につつまれはてし高原やいづことも知らぬ川鳴りひびく ここにして 雲霧はわが目のもとにせまりたり片靡きするあら草の群 しめり風とみに吹き 夏の夜の月かげあかし下りたちてひとりしをれば 稻妻のひらめく下に見ゆるもの道も屋並みも常の目に似ず 稻妻の白き光は目のもとの草おしてらし遠闇に消ゆ 稻妻のひかるとき見ゆ 日ざかりの暑さはあれど草かげになく蟲の聲秋づきにけり 夕つゆのおくこと早しとんばうは羽ををさめて刈萱の穗に ふる雨のにはかに 秋桑はうら葉ばかりとなりにけり昨日も今日も吹くあらしかな 夏衣たたみて行李にをさめたりまた來む年はいづちにあらむ 秋雨の夕べさむきに戸をたてて炊ぎのけぶり籠らひにけり 雨はれて日あたる朝は草の穗にとべる蜻蛉もうれしげに見ゆ 秋ふけしおどろが下におのづから 目にたちて莖立赤し山畠の蕎麥は大方實となりにけり とんぼうの羽もこの頃よわりたり日向の縁にきてとまりつつ 山の端に日は落ちむとして芒の穗むらむらあかく 星さえて野山ただ黒し妙高の高嶺に雲のまつはれるらし うちなびく靄の下べはたそがれて鴉しば鳴く高杉のうれに 野路はろに靄を沈めて月寒し 白雪のあなおびただし みのり田の色ふけにけりもの何かこぼるるに似て蝗とぶ音 黒姫の山を掩ひて雲立てばわが踏む道の暗きを覺ゆ 刈りあげし 草の穗に霜ふる頃となりにけり飛ばぬ蝗のつがひゐるあはれ 蕎麥畠も刈りし野寺の軒下に蜂のよりくる冬近みかも 山川のたぎちの早さ群山のにほふもみぢ葉ちりそめにけむ 日あたればほろほろと霜のこぼれ落つ おほよそに野の上の草枯れにけり見いでてうれし龍膽の花 うら枯れて野の上のみち行くによし今を咲きをる龍膽の花 赤彦先生舌癌なりとの診斷を 受けられしも誤診なりき二首 君病むと聞きしたまゆらおどろきて思ひいたりし大きいのちを 天つ日のめぐみに馴れて今恐る師よ御いのちを長くたもたせ 關西移居 須磨加納氏宅二首 二階よりのぞむ海手の空のいろ夕はことにおもひなごまむ この丘に友の家居のゆたかなり旅を來し身をしまし寄せつる 中村憲吉氏に伴はれて二首 うち連れてこの街なかに何やかや見聞かせむとの君がみこころ ぞろぞろと道頓堀の人通り君より外に知る顏もなし 明石城址二首 冬さびし草原かげのこもり沼歩む足もとに水 枯草にまろぶせば日のあたたかさまだいくつかの蝗とびをり 妙法寺山居詠 日の光夕となれば 花つばき落ちたまりつつ紅の下積み早く褪せにけるかな ガラス戸の したしめば あらしふく青葉繁山鳴きおこる春蝉のこゑはすずろなるかな 草若葉やはらかにして光沁むをしむ心に人をまもれり 春雨の降りつつ一日暮れぬれば山に響きて鐘鳴りにけり 川上の村をかこみてまろらなる柴山芽立ち日はかすみつつ 風脚にしらじらなびく若葉山うつぎの花はすぎにたるらし 山藤の花はほのけし 山藤の花の房ふさ短かけれど梢たわめて咲き垂れにけり 山藤の今し盛りとおもほゆる短かき房にこころしたしむ 春興吟六首 おのづから目覺めて聞かな春近き山川の音夜半にひびけり 春といへば山かひとよむ川音のゆたにさびしくなりにけるかも 春淺き岩間垂り水乏しらにむすぶ 更くる夜の月霧らひつつ降る雪はひとときしげく降りにけるかも 山かひに一すぢ白く見ゆるなる川水の音ゆふべきこゆる 山かひをいでてはるかに行く水のしらじらさびし二分れ見ゆ 須磨在住吟 庭なかにほのかに白き梅の花 雪ふれば近くも見えしひんがしの摩耶の山並春たちにけり はつ春にむかふこのごろ海山のあひだの空はきよく澄むかも 春近き須磨の里山夜の目には霞ながれていちじるく見ゆ 霞かげふかくなりつつ磯の上を走る電車に 芍藥の赤き芽立ちよいつのほどにかくは伸びしとおもほゆるなり わが庭に來啼くうぐひす朝な朝なわれのめざめをゆするがに啼く うぐひすのこゑほがらかにきこゆなり朝さめてゐるわが閨そとに 日ごとに聞きしうぐひす聲せぬは人里なれて捕られやしけむ すがすがし菠薐草のゆで汁をみぎりの石にうちあけにけり さつき晴朝吹く風にはためきて大き鯉のぼりをちこち立てり 鯉のぼり風をはらみてこころよしなびきひるがへる甍の上に 梅雨あけのうすら日あつし砂の上にここだも白く寄せたる 樹ごもりにともし火見ゆるわが小家夜ふけてひとりかへりきにけり 夏花の鐵砲百合は葉ながらにいきほふさまを活けてたのしむ 一 暮方の影ふかくなりし庭くまに 宵ごとに 蘭の葉と高山菊と一束に活けてすがしむ人のたまもの 今年はやつくつくほふし啼くころとなりしをおもふ汗ぬぐひつつ 夏深き藤の青葉となりにけり下べの土に蔭のしづかさ 夏ふけし光のなかにひそやかに木草は蔭をおとしそめたり いちじゆくの實も葉も青しさわやかに朝けの風は秋たちにけり 鉢伏の峯のうす雲たなびきて時雨のあめは海にふるなり たまたまにつくほふし鳴くこゑのして木末の空はすみわたりたり いづくゆかものの烟のながらへり日をこめて降る秋の雨かも 野の道はゑのころ草の穗にいでてわが 雨晴れの日はいちじるし藪かげにいたくみだれて射しにけるかな 藤豆はかたくなりつつ朝にけに葉分の風の吹きそめにけり やや秋の風吹きそめし葉ごもりにともしきものか栗の青毯 水のごと空すみわたる晝つ方われは庭べにおりたちにけり 差潮の波あふれきつひとたまり渚の砂はひたされにけり 日の光疊にとどくころとなれり散りうすれたる榎木のこずゑ はぜの葉のもみぢはしるし 朝けよりしぐれ曇りのさむくして山のもみぢ葉にほひしづめり 山にして落葉のにほひさびしめり時雨の雨の降りもふらずも やうやくに冬のさびしさ あかときをめざめてをれば屋根の上に霰ひとときたばしるきこゆ 火鉢に手をかざしつつ聞きてゐる霰の音はやや久しけれ 散りのこる 時さむくこよひはおろす 菊の花伐りつくしたる庭床にこの朝いたく霜ふりにけり をりふしに藤の 須磨寺や龍華の橋をこえくれば冬小鳥鳴く松の木の間に 夕日にはまさやかに見ゆみんなみに紀伊の崎長し冬枯のいろ 紀伊の崎山ひだひだのこまやかに夕日にしるく見えにけるかも 雨まじり降れる水雪いちじるくさ庭の土にたまるともなし 夕されば門べにたちて遠山の野火をこほしくながめつるかも 遠山の野火見るころとなりにけりわが故里の山も燒くらむ 雨晴れの光あかるき道芝に鳶まふ影の大きくうつる 近江石山寺三首 鐘樓を人はひりしか石段をくだるわれらに鐘鳴りきこゆ 琵琶のうみ石山寺の見晴らしに寒さしのぎてしましたちをり あからかに夕日いたらぬくまもなし入江へだつる枯葦の山 大和遊草四首 おしなべて芒すがるる頃にきて大和の國をこほしみにけり 寒き日の光はうごく松の間に唐招提寺屋根傾けり 悼赤彦先生 たふとき 悼飯島鶴子 うつしみに相見ることもなかりつる人のみたまをよびつつ泣かゆ 一ノ谷友人の住居二首 白萩の花見にと來し岡のうへ今日の淡路はよく晴れにけり 萩の花かく咲く宿にありへなばやがて風たつ亂れさへ見む 明石太寺 日あたりのこの岡のべに冬蓬白くやはらかくもえにけるかも 朝なさな高野のはらの青嵐さやけくもあるか肌にとほりて 麥の穗の出そろふころかうちつづく野の末べまでなごむ色あり 播磨野は西にはろばろしやはらかき萌黄若葉は雲のごと見ゆ 露白く 夏といへば 加古懷古一首 よき人のありけむ昔おもほえて身にしむばかり夕あかね雲 ははきぐさこころよきほどしげりたる背戸の小道に霧雨のふる まなかひに淡路の島の峽より白雲ふかく立ちわたる見ゆ きはやかに 夕立の雲立ちわたり暗くなりつひとときにしてさわぐ草原 雲くらき動きのまにまとよもして落ちくる雨か大野らの上に 即事 汲みたての井戸水がもつ匂やかさかくしも我れのあるべかりける 蟷螂はまだいとけなしふるかまのおぼつかなくも身がまへをする 山かげの暗き 灯ともして心おちつく宵よひにふゆる蟋蟀のこゑをぞおもふ 目のかぎりつづく青田やしづまりて今落ちんとす夕日の光 海峽をゆく船がならす笛の音くもり夜にしてとほくこだます 日の入のすずしさおぼゆ風のむた ゆるやかに波をのしくる海のおもて あかつきのさしそむ光おもほゆれ草の葉さきに張る露の玉 ゆふぐれて 月はいまいでしばかりにうらすがし光は草にながらひにけり 朝燒の空遠あかくうつろへばいつか降りゐる草山の雨 山上にたちてしましく天つ日の光になごむわが息をしつ 青蜜柑かたく 啼く鳥のこゑはこぞりてきこゆれど狹霧にくらき時たちにけり 土のうへに散れる漆の一枚葉いろあざやかに動くがごとし 時雨のあめしばしば降れりわが庭にコスモスの實のむらだてる頃 雨ぎりにとざされし日や海の方にたまたまとよもす船笛の音 海ごしにつぶさにみれば家並めて野島あたりはともしきところ 瀬戸の海は夕日時雨のきらふなかに一つおほきく ふりさけて三日の月こそかすかなれ心にひとをこふとあらねど ひんがしに時雨の雲のすぎゆきて黒く小さく須磨の山見ゆ 四國路の山さへ近しうち晴れて海のかぎりは穗立つ白波 夕日しづむ方にひろらに見えわたる瀬戸の内海やただ凪ぎてあり たちなびく高萱むらのいきほひのさながらにして枯れにけるかも をりをりの心なぐさにいでて見る背戸のほそみち末枯れにけり 朝あさの霜をかむりて鷄頭のくれなゐ深しくづれそめつも うすき日の光ににほふ草紅葉ひとり歩みをとめてきにつつ まれにして降りける雪は島山の 見とほしのひろき畠原音たてて こがらしの吹きあれし日のゆふがたは障子の 三日の月立てるを見れば久方の天路はきよしただはろばろと 三日の月見るにはかなしこれの身は 入日ぞら 落ちかかる日をさへぎると見し雲の 春さむき人丸山の墓どころ散歩にわれはすぎて來につつ 裏野べに冬をとほしてゐる雲雀やうやく聲のしげくなりつる 蕗の薹摘みしお指にやや 大和在住吟(一) 疋田 ほととぎす啼きてすぎぬれ一聲はわが屋根の上にややにまぢかく さみだれの雲うごく上にたまたまに生駒ケ嶽のまろき背が見ゆ 郡山 秋暑き里に移りすみ養魚池の 落葉する 庭下駄をひきかけて來つ吹きながるさ霧がなかに井戸水を汲む 庭石に鳥の糞しろくこびつけり雨さへふらぬ冬のけながさ 冬ひでり 汲みあげし井水てのひらにうけて見つ冬のひでりにうす濁りせる 金剛の山の頂のともし火は星夜のそらにまじはりて見ゆ 雲とぢて金剛山のともし火の見えぬ夕となりにけるかも のどめりとおもふ二月の晝日射小さきつむじ庭の上にたつ 塀の上に朝々あふぐ大櫟芽吹かむいろになりにけるかも 春山に來居る鶯すみやかに木の間たちぐく今啼かむとか ひとときに伸びたちにける若竹の古竹に並びまだなよなよし 淺き夜を萩のみづ葉に露ふりてさむしとぞおもふ空さえてあり 萩といへばひとへに秋をいふあれど ひそまりて庭の木がもつ下陰り梅雨に入りてよりいく日か經つる 日暮れたる空には雲のたたまれり啼きて遠ぞく五位鷺のこゑ あかかりし芽どきはすぎて 舞ひかけり 郡山城址三首 岡こえて城のみ濠は遠からず朝咲く 濠のおもて咲きうづめたる蓮の花のさかんなる氣をたちてききをり むらだちて咲く蓮の花外濠の高石垣に朝日照りつつ ひとしきり夕立に似てふる雨にわが庭の木のわくら葉ちるも 雁四首 雁がねのわたるを見れば つらなりて行くや雁がねゆくりかに一つが啼けばややありてまた 雁の列やうやく近くわがあふぐ 雁がねは啼きつつわたれ中空に列のひろがりのいつくしきかも 寒き靄おりゐしづめる地の ガラス戸をたてこめて 葉鷄頭寂しき 雪ふればをちの高山低山も 木の この頃の月は北寄りにいできたる枯々白しわが背戸の庭 立冬有感 これの世に淨らかにして終らむと言ひてし人も早く世になし わが井戸の水なごやかに さ夜時雨ふる音きこゆかへりたる人須磨驛におりたつ頃か 松の尾の松のそびらにまどかなる天の夕日をわが見つるかも 郡山城址 外濠の松の並木を見めぐらす城ひろびろし冬枯れにけり 上村孫作氏令妹結婚 足引の山間のあしび花にほふ 生駒山二首 山上にケーブルカアをおりたてばあはれすがしき山つばめの聲 黒けぶりのおほへる下は大阪か水田遠光る國を見下す 畝傍山三首 岩山に立てる松の木は細けれど木肌ふしだちて皆古木なり 峯の茶屋姥ひとり住めり古縁に松の花粉の吹きかかる頃 古の明日香の里をただそこに見つつしわれは 岡寺 躑躅花にほへる岡の龍蓋寺たのもしくわが詣でつるかも 飛鳥寺 野の中に小さくのこる 菖蒲ケ池古墳二首 世を遠きあやしみごころ 島の庄 松くろき眞弓の岡を相望む島の宮居の跡どころかも 途中四首 明日香路を藤原にいでむみちのほどわが目に近き岡かぎろへり 夕かげに川水とほき光あり明日香はひらく藤原のくに まなかひに夕陰りこし黒肌の畝傍が岳になく鳥もなし 二月三日奈良 燈籠はみなともれりと見てゆくに一つ二つはともらぬもあり 大和在住吟(二) 身ごころの落ちおとろへてあるときに空とびかける夢などを見る 青田風ふきくる縁に座りたりすがしとぞおもふその時のまを わが宿をめぐりて廣き水田原つばめの來るはみなみ空より 裏庭のおどろはなべて花咲けりしろじろとして夕かげに見ゆ 草はらは間なく波だてり 夕立の雨うちふれり庭のへにひとつの蝉の啼きとほるこゑ 夕立はそれてしまへりひとしきり池のおもてに波だちながら 葉に茂る稻田の底に水あれか月の光のうつりつつ見ゆ 西日さす簾の外にをりをりに蜻蛉の羽のひらめける見ゆ 草合歡はすでにねむれり夕ぐれの岡のへ來れば空のあかるさ 病やや癒えむ望みをもちそめて秋のはじめの日射に對ふ 故加納曉氏 故赤彦先生 世に 更くる夜の月に對へり古の佗び人どちもかくてすぎしか 秋くさの花のさかりもすぎぬらし徒にして國戀ひにつつ 澄める空夕づく見つつうつそみは煙のごとくおもほえにける 露じもはこまごまふりて天つ日に映ゆるともしさ庭草の上に 啼鳥のこゑをこほしく下りたちぬ露じも霧らふこの朝の庭 わが行かむ遠野の家をたのもしく心にもちて明し暮せり われ病みてものの甲斐なくありしとき奧ある人のことばは沁みぬ 貯水池の水落したる干潟より泥臭きにほひ一日吹きけり 竹藪のこもる家居にいぶせさよ秋すぐるまで蚊帳吊るなり 降りいでし雨定まりて天雲の 冬に入る山のなぞへに目立つなるけえぶるかあの 枯草葉とりどりに染み 空のいろ朝けは探しあらかじめ今日もしぐれむひそけさにあり がらす戸に日のうすく射し 枯色におちつきて來し萱くさの草なみ濡らし晝の雨ふる 寒の雨そそぐ門べの棒杙に鵙うちとまりしまし濡れをり ひとしきり 時のまの吹雪はすぎつまなかひに立ち さむざむと雪のあがりも見ほしきに山ことごとくさ霧に立てり 下りたちて凍れる土を踏みにけり 門の 秋くさの千草の花におくれ咲く龍膽を戀ひ野道は行かむ やや野分吹きそめにけり故里にかへらむとして未だ歸らず いく夜さを月すみにすみ望月の今宵もすむにわれはおどろく 早春の日は竹むらにさしをりてまなくさわやぐ風 野のみちに 夕日さし霞の上に浮びたる大峯の山雪か光れる 松風は まだ淺き春はひねもす風だてる裏竹藪に夕日のうとき 西裏の草屋にそへる梅 ささ鳴のとき聞きすごし鶯の聲のはるけさほがらほがらに 春の日の日射夕づき 暮あひを雪ふりさかり竹藪のガラス戸外は白みかへりぬ 眞竹やぶ雪ふりおもりむきむきに 實をもてばおよそ枯れづく藪竹の 奈良公園三首 おのづから霜ふせぐらむ松蔭か枯芝原はここに萌えそむ しかすがに日の暖かさ枯芝にやすむわれらに鹿の寄りくる 春日野を見に行きしかば一房のあしび袂に入れてかへりぬ 朝ぐもり雨ふらむとす木のくれに乏しきいろをたもつ山藤 はるる おのがじし さみだれに近づく雨のふりてをり眞竹のやぶの筍おそし すかんぽの穗花もさびて散りゆくかおもひなぐさむ日とて少なし 學園の 柿の葉はくろみ 赤とんぼすでに飛びかふ夕日空 秋山のうれ吹く風は寂しけどひとときにして音すぐるなり 夕靄は南澤より流れつつ素黒く浮ぶ松の尾の山 故里のよき山川は目にあれど遠地に病みていく年ならむ 色づける木草の亂れ身に沁みてしましく縁によりてゐむとす こぞの春われ山べより掘りてこし萩もみぢせり思ひ沁むがに 厠戸をおほひからめる蔓草のみながら素枯れ雨にぬれをり わが門の大木の紅葉今朝見れば心曳くまでにさびれけるかな 冬至 短日のきはまればまた 木の 雨にぬれて 古の人のこころは素直にて淨土に生る道ひらけけむ とりとめて何ぞとおもふこともなし角力を見たしなど時たま思ふ ありがてに心いぢけし日も過ぎて月澄む夜半をはかなくぞおもふ み佛の 夕雲は 京都郊外 松の芽のにほふ五月は近づけり二階より見る衣笠の山 かばかりの病とおもふときもあり障子戸により山をながむる 日を重ね月をつもりて 樽桶に住みし 衣笠の山は木高き赤松の幹すくすくと夕晴に見ゆ 柳の芽色ばむころのこほしさよ ここにして國のはたてにうちなびく山いくところ夕日あたれる わが垣の外に一木のさくら花夕をさむく雨もよひせり 西山のほとりに住めば春鳥の囀るこゑも思ひ沁むなる 北山のふかき峯より日をおかず降りくる雨は花を おもむろに春すぎむとして若萌の影は庭へに屋根のへにあり 眞晝まの雨あかるけれさくら花まなくし散るが土にはりつく われかねて遠きねがひにありけらし京のほとりに 播州回顧二首 片丘に家居しをりて幾夕べ 雲ふかき海のかなたにたゆたへる夕日の 白つつじ盛りの花に日は永し心さびしくも思ほゆるかな さつき空たまたま晴れて夕映えぬ雲のなびきの 黒谷五首 いつよりのねがひにありし黒谷に 山添ひにしたしき徑の さわがしき世さへいつしか過ぎゆかむ木ごもり深き 春蝉の啼くはあはれに黒谷の山のわたりはただ茂り松 ここは京鐘の音 比叡山四首 山越の禰陀を拜まむ蔭みちはいづかたにやと思ほゆるかな 古より 祇王寺四首 いにへの 祇王寺の 片岡にはかなき あなあはれ十七歳の佛御前が身の榮えより髮をおろしし 清瀧四首 この頃の たちて見る清瀧川の水早し青松葉ちる頃ほひにして 水 四百二十七首 卷末附記 目次 |