土田耕平遺稿集から 短歌
昭和八年 雄たけびにたけぶもよしやかぎろひのはかなき命われはたもたむ 足曳の片山岸の木がくりに秋はさびしき瀧のとどろき 凉しさをかつたのしまむ下りたちし朝の河原の月見草の花 蟲賣が裾野路かけて賣りにこしあはれ 色づける穗田のくまぐま月てりてあかるき夜半にむかひ起きゐる わが命のながらへぬれば故里や洲羽の湖べの夕燒も見つ 雪の雲たちこめぬらし山の家にかへらむとして山を恐るる 据石のかたへに咲ける菊の花やや二坪に足らふ庭かな 夕床に臥りつつをりガラス戸の ややややにガラスを透す月のかげひとりの部屋にうづくまりゐて 平福百穗先生 蛙鳴き蜻蛉とびかひ夕燒けぬおもふ斯ほどの 昭和九年 古き友の年賀の文はしみじみと涙ぐましくよみてふせける わが 落葉松のおそき芽ぶきを戀ふるだに山の家居ぞわれは寂しき ひとりごの甥のかなしみおもふだにやうやくわれの年ふけにける 戀思ふ友にも逢はずいたつきに四年あまりはすぎにけるかも のどかなる春の光はあまねくて君をおもひ小泉八雲をおもふ あざやかに山襞をひくはだら雪さむき春日は冴えて照らせり 幼くて別れし爺よ とほくゐて嘆き盡きぬに 中村憲吉氏逝去 わが窓に胡桃の花の青房の咲き垂るころを雨さむく降る さくら花匂ひととのふしかすがに君たをやめの春ををしまむ 春もはや櫻の蕋の散りしける小和田路すぎて地藏寺にゆく 眞谷川ひたぶるにして鳴り來らしわが庭闇に螢流れつ 兩岸の 今更心づくとにもあらざらむ氣のおとろへは眼もとにしるし 君いまさぬこの世寂しく この夕あま戸あくれば川上の曇りに秀で阿彌陀岳見ゆ 蜩は啼きそめにけり背戸山にするどく啼きてこゑのおとろふ わが時計は五時すぎにけり蜩の今や啼かむとおもふ折しも 三原山をわが越えしとき暑き日中にひた啼きあげし蜩のこゑ われ床に臥しつつをれば庭のへに何かいひをる春子のこゑす 富士見の家見に行きし 凭りかかる机の上の木瓜の實があまあま匂ふ腐れかけたり 香に澄める吊舟蘭を枕べにおきし日よりや癒えそめにけむ 秋の野を遠世のごとく來しものをかかる 昭和十一年 年を經ていくたび我のよみあかね歌のいのちに澄まむとぞ思ふ 萬葉集 この書をよむごと思ふ 晝寢してけふもしましくいで歩く通りすがりのラヂオもうとき いつかしき雪山の秀のせまる里日の丸清き旦をぞ戀ふ 寄泉野村 生きゐつつ喜びのあれ都路にラヂオにきこゆ赤彦童話 この露地を曲りてくれば今朝さむく霜がれし葉にふれる露かな 病みあとの慾もすくなくすぎをれば煙草をほしとおもふときあり 目のさきを焔のきれの飛ぶごとき心恐れを幾日病めりき 人のきて 心臟を病みてこのかた安らかに眠る夜なくて二十年過ぐ 妻とふたり暮しをりつつ屆きたる金の包みをいただきにけり 昭和十二年 宵のまはさもあらざりし手洗の垂りみづ凍りつららせるらし をりをりの病みごこちには 幾春におもひぞ返るこの水の水隱りぐさのゆらぐかなしく 夕刊に 健康は眠りひとつにかかはれり話することも とほき世の佛のふみをよみみれば 水やりて日向におけばプリムラのたみし花ぐき起きなほりつつ プリムラの花ぐき ミランダと父の科白をまねびしが枕によりてうつうつねむし 論語の精のごとくに老いづきし 腸を病む君が十里の山みちを いづかたにも友のなさけの厚かりきしづかにわれを住ませたまへり 夕明りてりつつもとな葉ごもりのものともあらぬアカシヤの花 草のうへにまろびをるもののあまたあり子ども笑ひてわれを見あげつ 初めてみる妻の甥なるをさな子がわれをめづらしがりて寄り來る さしなみに隣りてすめばうるさかりし甥の子だちも移りてゆきぬ ははこぐさ摘みつつかへる 眞菰生をめぐらす水や遠明り春雁がねのこゑも聞かなくに 郊外に歩きさまよひて道問へばやさしかりにし うつり來し家の掃除によねんなき妻よしばらくここに落付かむ 信濃路や ふる雨の昨日もけふも小山田に早苗とる子のころも沾れつつ くれなゐの塵かもにごる都ぞら若葉にてれる光かなしも むしあつき夜なかに起きて縁側にさわぐ鼠をうちとめにけり 幼くてかつて見し子が清若き處女となりて相見つるかも しづかなるこの道隈の青明り桐の花ふかく散りこぼれたる 天沼 移りこし夏野の家にあつらへし冷麥を食ふ幾年ぶりのこと 小金井二首 わが家の戸籍調べに來し巡査やさしくものを言ひて行きたり よく我をみとりてくれし看護婦は國語科を中途に 瑞垣の高島校に學びつるをさなき睦びわれ戀ひにけり 病みし頃 高島をいでて久しくなりにける友垣われをかへりみ給ふ 七夕のこよひの月夜かたむきて清しくもあるか星滿つる空 八月十二日 父の年おほ 老いにける耕しびとのいふことは命に沁みておもほゆるにぞ 草ぐにに生れしわれは諾はむ難きがなかに今の世の農を 學校より連れだちかへる農の子らがかく幼くてみだりごと言ふ 實行の 武藏野もここまで來れば子等がいふ言葉訛りも山家に近し アラビヤの月を夢みし少年の悲しみがなほきざす如しも 一歳は過ぎむとしつつ惜しむべき一人の君をうしなひにけり 昭和十三年 この庭の櫟はもとの 白妙に雪積りぬれしみじみと都のそらの夜の灯あかり 白妙の雪つむ夕べわが門を人のとほるも親しくおもほゆ 神ながらの言のさやけき古事記ぶみよみみるたびに 鉛筆の秀さきをねぶり 逃れたる世人の如くわれをればたたかひもいつか九ヶ月たらぬ 夏ふかき八尾の青葉蔭りつつみじかくとほる山鳩のこゑ 假住三首 しばらくの住みかとおもひ來し宿に荷物ほどけば古鏡出でつ かしましき巷の音をさかりきて草に露ふる宵を早寢す たわたわに椿花咲くころなれやおもへば戀し伊豆大島のこと 芋の種うゑて在すや島山の 故家にひとり殘れる老いし叔父も今宵うら盆の月見てかあらむ うら盆の月すむ夜半は わが妻が瀬戸の海よりひろひこし文鎭石は 園深く風ふきとほれ杉の木の苔むすうれに搖るる藤浪 伊郡谷にわれは來りてこのごろは古事記をよめば日本武を憶ふ かなし媛を海にうしなひし 古里を同じくせる子がこの庭の椹をさしていふをしたしむ 古里のわが諏訪國にあそびませ夕顏の味の味つくころに あかに染むあら葉こまか葉ひとときにかがやきて見ゆ夕日さむきに 書よむをおのれ禁じてありへつつアイヌ敍事詩を稀にたのしむ 窓外にどうだんの葉の赤々ともみぢしたるを五日見飽かず しとしとと雨ふりいでぬ上町へ卵もとめにいでゆきし妻 伊郡谷にわれは再び來りけり峯に雪ふるを見つつかなしも 學校の小使にでもなるべしとすがしかりけるこの人の文 背山遺稿三首 ありがたきこころになりてこの人の文をしたしみし二十年のあひだ 赤彦の仲間のなかの最偉ならむと或人云へりさも在せしか われつひに凡愚の身ともくだり得ず朝に夕べに心たがへり 白髮のきよくなりたる君の老このままの世にながらへたまへ 日露役を知らずすぎたる學者ありと今更昔語りとやせむ わが室のまともに迫る雪の山夕日あからむ時し悲しむ 昭和十四年 ひねもすを電線にうなる風音かわが耳鳴かわかたず さる年につごもり詣でせし頃は寒氣も體にこころよかりき 門に立ち送りたまひし醫姿をおもひ忘れずけふのときまで 青山 窓外にどうだんの葉のあかさびし匂ひこほしも朝の光に 子規居士が肥りゐたまふ夢を見きわれの背すぢをさすりたまへり 呆狂の男近づきしたしもよ妻子のことをわれに言ひかく 農の子のみめ佳きが居つ菅笠を目深にかぶり背戸の泉に 夕立のけふも 兵立たす この國に 山皺のきはだちて來し晝つ方ひとりごころにむすぼほれ立つ うづたかく眞木の根もとに掃きためし落葉音してかきしぐれ來つ しぶしぶに歐洲第二次の大戰がはじまりさうにてはじまらずをり 秋の風ふきくるきけば非常時にうとく過ぎをるわれをぞ思ふ 世のことを知らざるごとく我をれどチエンバレンの名にうづく時々 たまきはる トルストイ・ブース等の名にあこがれし時より思へば世はかはりたる 秋の日のひかりこほしき縁がはに童女とふたり梨むきて睦ぶ みほとけの町より君に乞ひえたる念珠は永く[ 雪ばれのひろき國野にいくすぢの煙立つ見ゆけぢめさだかに 朝の風つめたく吹きて前山の青芽ちかぢかと目にせまる見ゆ たなつもの粟の名負へる 科野路は 科野には 佳きところ ことわきて夢をあやしむこともなし或はほとけの夢を見るらし いにしへの人らは夢をかしこみて告げじるしなどありけむものを 昭和十五年 稀にして時事論評を見るときの心構へともいはばいふべし 一億の民の中よりすぐり出でし一の位の人をみまもる おとど等が今のうつつの言擧げも時に尚書の 歌ひつつかんらん山に連れゆきし羊に似たる 足引の山のおきなが腕ききの木彫の芭蕉われにくれたり 年老いし一人の伯父が待ち言へどさむき諏訪路は行きがたくあり 鬚そりてさつぱりとなりし顏を見て女患者のあからさまの言 神經科五首 凝る肩を悲しき人らに揉みてもらひ約一月を念じすごしつ 夜半すぎて眠られざらむ狂人がガラス戸を微塵に叩きこはす音 隣室より死亡者のにほひ感じくるにうつうつとして暫らく眠る 桐の花ちりそめにけり夕ごとに小使が來て掃きとるらしも 旋頭歌 さみだれに水まさりたる諏訪のみづうみ、沖べには小舟 雲居たつ菅の平を見つつ思ふも、すこやけくありけむ時にわれ越えぬらし 今よりは夜を日につぎて寒くなるらし、わが宿のそがひの高嶺色づきにけり 黒姫と (大正十三年十一月) |