歌集「一塊」 土田耕平 (FILE 1)
昭和7年 諏訪泉野山居詠 (一) 今はただ住みなむと思ふ秋の日に木ずゑ透きゆく障子戸の影 柳川の流の 夕されば葉分の風のすずしきに月さしいでてはたや澄むらし 子どもの頃食べしままならむ夕顏の味は忘れず年思ひき 田作りにいそしむ君の言ふきけば雨の話も身にしみにけり けならべて山家はいとど凄じき月夜あらしとなりにけるかも そそり立つ高嶺や雲をめぐらせりときどきにしてふきすさぶ風 これの世に何ねがはしとあらなくに子どもの顏を見ればたのしむ 稻妻の照らす端居にひとりをり妻は野風呂をもらひにゆきし 病むわれの視力にぶれり 杖曳きてわれのあそびし花野にはすでにきびしく霜の置くらむ 先師墓 三首 おくつきへ道のぼりゆくはすかひに光ひろごる諏訪のみづうみ 七年をへだててわれはまゐりけり蝉啼きのこるおくつきどころ おもかげに立ちくる君よ目を 冴え搖らぐ松蟲草の花野はら 冴え冴えと花野ゆらげる遠方に白雲ふかし釜無の山 秋桑はうら葉ばかりに吹きさやる 風さむく河原小松にうちまじる芒の穗末うらさびにけり さ夜更の月てらしくる 天寒き雲のにほひをさながらに山梨の葉のもみぢせるいろ 天雲の觸りゆく見れば山の尾に幽かに白く雪ふりにけり 夕晴に蓼科山をうち望むこころなごまし枯桑の原 秋の水低きにつくが如くにしものに心をとどめじと思ふ あけ すでにして雪ふれるらし群山の奧に ほがらかに 粉雪の吹きおぼろなる氷田にスケートあそぶ子どもらが見ゆ 山川の水涸れがれてひびきあり遲くいろづくから松の立 眞白げに芒ほほけて高河原落ちゆく水の音きこゆなり 月はけふ あかときの雲のうごきはしづかなれ山より 赤錆びし 冬に入る日和たのもし信濃路にヴイタミン富める山羊の 窓掛にうつらふ日射見つめをり藤森ぎみを相訪はまくも すこやかにありける人ら 秋のあめ十日にわたり降りつげりやうやく高し山川のおと 高山の荒砂中に生ひしちふ虚無僧茸を湯がきて 稻田刈る時近づきて 山の端の澄みゆくころとなりにけり 久方の天の露霜降りおけば錦木紅葉たちまちに濃し 明石便り かつて我れ住みにしゆかりたのもしく明石みやげの牡蠣をたまへり 波よする明石の濱にすこやかに二人子の母となりていまさむ 病床吟 年の夜を臥しつつぞおもふ雪ふみて諏訪の社にまうでしはいつ 窓の戸に槻の落葉のきびしかりし幾日過ぎてこのあたたかき凪 昭和8年 諏訪泉野山居詠 (二) おほらけき葉形なるかな秋風に破れてゆらぐ芭蕉一群 たたなはる雲のあひだよりさかさまに光さし來れ阿禰陀岳の雪 日の暮の 霜日和あたたかくして晴れぬれば岸の冬木にうるむ靄あり ひねもすに柴のとぼそに雪ふれりきけばきこゆる幽けきその昔 雪ふかき高山の肌せまりくれいたましきまでに夕明りして 窓の 山川のひびきの 庭のへに石のへにかすか降ると見ゆ 厠戸にたてばきこゆる 雪ばれの空すみはててかげもなし氷のごとき夜ぞせまりくる 雪ふかく暮るる丘べに三日月のかほそき光身にしみにけり 雪山のこごしき國にかへりきて大つごもりの鐘もきこえず 幾年のとほき旅よりかへりきて阿禰陀ヶ嶽の雪に額伏す そそりたつ山は却りてものぐろしはろばろとして裾原の雪 わが軒の 泉野の 枯木立枝をまじふる空はろか四日月ごろの影たちにけり 高山をいきほひのぼる夢を見る夜ごとにかかる夢を見るかな なぐさみもはたなかるらむ汝あはれわれの機嫌にともに笑ひつ 信濃路はなほ寒からむつつしめと便りこほしき春さりにけり ひねもすにひびける峽の水の音たまたま心づきておもへる 歌集「斑雪」の装畫は平福畫伯の 賜ものなり おもひいづるさへやはるけし旅寢せし 日の光そこはかとなく春めきて雪山の秀はつらなり立てり 泉野にのぼりてきくは山掩ふ雲のなかなる郭公のこゑ 竹の葉に雨ふりいでてさやぐなべ下の河原の石濡るる見ゆ 春逝くとおもふばかりを目のあたり 田水引けば川瀬の音もひそまりて山のくもりになく閑古鳥 郭公のこゑききをればをりをりに溪をよこぎほととぎすの聲 さみだれの雲は高きに低きにもたむろしをりて冷えくる山かぜ 長き日の暮るる涼しさよしきりの啼きやむ 仙丈は天の遠山ながらふる雲行き 釜無の谷より湧ける白雲は 國ぶりの田唄もきかずいつの日かまた 茅葺の構へゆたかに古りたれど内輪をきけば多くまづしき 苔水の 梅雨あけの日射はすでに秋に似たり高野のうへはなべて寂しき つゆあけの雲はいまだも散りぼへる高野のそらの蜩のこゑ ひぐらしの聲をしきけばうつせみの世をかなしみて人はすぎにき ひぐらしの聲はひとときに鳴きやめり しづかなる眞晝の家にこゑ透りうつつ寂しく草ひばり鳴く あしたより綿しづくりによねんなき妻の部屋より草雲雀鳴く わが宿の小萩がもとに蟋蟀のなくこゑしるく風わたるかも 單衣きる時季はみじかし下りたちてこころぞ動く星夜こほろぎ 九月九日 二首 ちちのみの父を偲ぶとあをばたの いにしへの大き聖は 菊の葉のしげりたのもしまつぶさに見ゆる莟のまだ稚くして おとろふる 向山の大密林にさす夕日赤錆いろに變りつつ暮る 山澤の空に亂れて 秋草の千草しみ咲く大泉の山の高原に一人きたりぬ 湖畔假住 みづがきの高島校はわれ通へり岩垂先生世におはしし頃 むかし見し高島校を今見れば木垂るさくらも年ふりにけり 湖をめぐらす夜の灯火は雨夜ふけつつ浮き映えて見ゆ ガラス戸によりつつをれば町下のラヂオひといろに聞えくるかな 電燈ははやくともれり眼にふかく外面暮れゆく鉢伏の山 たもとほりみづうみ岸に來りしが水面の波紋眼を疲らしむ 近づきてあふぐ柳の新芽ぶき冴々なびく日の光かな 日の光にぶく照りつつ玻璃瓶に金魚ひらめく尾鰭大きし 前川の葦むら高しさす棹のをりをり見えて舟下りゆく 葦むらに行々子鳴くこゑ聞けば春水みてり諏訪の湖 夕日さす八ノ字山の八字なす巖の隈もあからみにけり 行春の沼川べりにかがやけり子どもも取らぬ毒草の花 場末ゆく川のみどろによしきりの鳴くはいづこぞ立つ草もなく 日に一度散歩ならひに出でてゆく病院のうらのどむみづうみ 茅野病院二首 わが居間の 故里や 西山の有賀峠に日は暮れて時のま寒し夕雲の 八ヶ嶽山麓 朝日よく起きいでて見よひんがしの 山の秀はただ 山かひに見わたす棚田いろづきて光身にしむ頃となりにし 見めぐらす雪山脈のうづ光しましく杖を曳きて歩みつ 枯盡して裾野のうへにあらはるる 槻落葉吹きからびゐる日溜にかがまりてあふぐ大き雪山 朝の凍み晝はかすみと浮べれば高嶺のみ雪珠匂ふかも やうやくに秋もくれなむ裾野空はるけき峰に雲なびく見ゆ いくそたび夕燒けかへる天雲の 天つ空夕づきにけり雪山の もりあがれる 山萩の冬枯れさびし細枝を苅りあつめきて編戸つくりぬ 片岡のひとむら竹に添ひよれる小家の構へわが冬の庵 落葉松のちりつくしたる夕さむし河原の石に日の殘る見ゆ ガラス越し月のひかりはさしをれどまだ若月の淡き透影 さむくなる夜さりにきけば床下に二つ寄るらし蟋蟀のこゑ うづたかき落葉のそばにかがまりてさ霧のなかにマッチすりたり 蔓ぶとの深山葡萄を釘にかけ鐵いろの實をしまし 裾野路に 思ひ出はきのふの如し裾山を君とゆくての芒かがよふ 追憶 古里に村醫のなりをこころざし歸りし君よ妻をうしなふ ある友に われまた老いて信濃にかへりぬと文してたびぬ相忘れざり 平福百穗先生 とこしへとあふぎし人はゆきましてみ冬の寒さ骨に徹り 我を指して古き友よとのたまへりたふとき人はしかのたまへり 年末感 佛壇もなき假住におもへども あらあらしく雪吹きくだる山を見てけふ年の 昭和9年 諏訪泉野山居詠 (三) 福壽草鉢に取植ゑ元日のこもりゐ心かすかに足らふ 年賀文あまたとどけりとりどりにみ名讀みかへし世のあはれおぼゆ 年賀文あまたたまへり名おぼえのなき人々も世になつかしき 國溢れよりたつ雲や夕映ゆるとはのうつつにわれひとりをり から松の雪しづれ落ちほそほそし白妙山の上につづけり 雪雲のくらくしづめる裾野にはただ山川のひびきぞつづく 雪原に枯木のうれは拔きたてど來りてとまる鳥ひとつ見ず 冬ふかきおそれをもちてうちむかふ 冬籠 たまたま炬燵によりておきあがれり紙帳ににぶき日のうつりたる 下川に萌ゆる根芹を摘み來むといひつつ妻のけふも不精なる 一日を 歌よむと墨すりをれば朝山のはろかに聞ゆ鶯のこゑ とどろめく瀬の音きけば高山の雪ひとときにして搖りそめにけむ とほくわれをおもほすらしも巡禮に旅立ちしちふ妻の父母 守屋喜七先生 一首 業終へて世をしりぞきし先生よをさな子の うぐひすは昨日さへづり 瓶にさす 行春の雨一日ふり庭のへにほころびそめし山吹の花 わらはべがたをりてくれし山吹をつくろはずして瓶にさしたり 落葉松の萌黄どきすぎ濃みどりにふかみわたれり山の谷々 稻田兄に 梅ちりし青麥の野にひそかなる光はさせり君が行手に いつまでとたのみし君も時しあれば北信濃路に袖をわかちぬ 其處に見ゆ 相會ひし日は少なけれしかすがに君の心によりてなごみき 中村憲吉氏御逝去 六首 きのふ迄うるはしみ見し木も草も心沈みて人のおもほゆ 山川にむきて心もなぐさまず 人に篤く世にありがたき君なりし日月とともにいよよしぬばむ うたかたによせては思へ何しかもアララギびとの命短き たよりなくなりし心は夜な夜なに布團かぶりて涙流れをり われの持つ惱みもただに忘るがに花野の徑に君にしたがふ 追憶二十二年 入笠のそがひの山に消え殘るひとむら雪に春はなごめり 谷田より蛙のこゑのきこえつつ夜冷おぼゆる山の住家は 山おろしのふきくる空よ雷鳴れり心はわれはおびえやすきも はるかなる郭公のこゑを思ひいづる黒姫の山八ヶ嶽の裾 この冬は移らむかとおもふ まんさくの黄にこごる花は手にとれど衰へし目にただ 木々の芽のおそきはやきを見しほどにひとつ緑と茂りぬるかな 川床は 水減りし川床の上倒れ木を引きずりゆくは ゆふぐれは眼路のものみなしづまりて雲居はるけし仙杖ヶ岳 蜩は啼きそめにけり 槻の森ひぐらしいたく鳴きそめて日は大泉に傾きにけり 君の家の背戸の大木の栗の花咲けりと聞けば出でて來にけり うすら日の光さしつつ栗の花しらじらとして咲きさかりたる 山水のしづく岩間に生ふるちふ毛氈苔を見ればともしも すさびくる山のおろしにいちじるく落葉は降りて庭を埋めつ 立消ゆる瀬波のまにま吹きおこる風はつめたく身にしみにけり コスモスは倒れたるままに咲き滿てりとんばうあまたとまるしづかさ なまよみ甲斐の なぐさめと障子ガラスは 下蔭の蘚やはらかに踏みゆきし思出もやや十年あまりぬ ほほづきの青きふくろを手にとりてすがしき嘆き我はするかも 扇蘚浮けつつともし朝夕に小皿の水を取替へにけり コスモスはただ淡々と花に咲ききのふもけふもとのぐもり空 門のへに掩ひかぶさる芭蕉葉のよれよれにしも動きはじめぬ 芭蕉葉の條目ますぐに ほほづきのいろづきそめし草園を亂して秋の風吹きにけり 裏山にみんみん蝉の聲きけばことしの秋もはやすぎにけり 向つ尾の槻の木群をまもりをる心はいたくさびしめるかも ほそぼそと力なかりし朝顏の十あまり咲きうれしき今朝を 日の照ればうつろふ山の木の葉にもわれの視力はたへがてなくに 十日あまりすぎて來りしこの道に栗の落花もあとなくなりぬ 落葉松の夏芽やはらかし山徑のへめぐるところはだら木洩日 たまたまに閑古どり啼くこゑのして川谷の入木立をぐらし ここにして中洲沖より吹きあぐる風はいちめんの飛沫となりつ 窓によりさびしきわれや下小田に田草とる人口笛を吹けり たまはりし吊舟蘭をこひめでて五日ばかりはただ過ぎにけり とみにして寂しくなりし谷原は田並ばかりが色づきにけり 夕庭の落葉燒きつつ世のことも命のことも思はざりけり 夕燒は天のひろらに消えゆきぬ秀にたつ山は寂しきろかも 故人をしのぶ うちはれし秋こそよけれ富士見野やにほふ花野に君をむかへぬ すぎぬればまた復るなし秋草の富士見野原は松こもりたり 晝寢して心いささか落着けり望みなくなりしおのれを恐る 冴えきれる西のはたてのちぎれ雲時のしまらく輝きて消ぬ つづき(FILE2) 「一塊」目次 |