歌集    土田耕平  (FILE 2)


昭和11年       
東京練馬(一)  病餘吟  折々  藤森省吾先生御上京 
昭和12年       
東京練馬(二)  練馬の宿  追憶  病箴 
山茶花  春寒  祖父三首  龍安寺三首 
信濃を憶ひて  天沼にて  悼三澤背山先生  時事 
北多摩  秋霜  戰をおもふ  木下敏彦歌集 
花瓶       
昭和13年       
良寛禪師圖  古事記  雜吟  白梅 
  偶成  下伊那歸住 背山遺文 
夕顔      









  昭和11年


   東京練馬 (一)



     病餘吟

秋のはじめ朝日うららかに射す緑に面ざし映えて妻の言ひたり


わが庭の楓青葉に秋づきし天つひかりのさし透りたり


すこやかに生きむすべもが郊外にいゆきとほれる眞垣路あゆむ


木犀のかをるかな戸をいでゆけり妻が掃きたる箒目のあと


秋ぐもりつづきてけふの冷やかさ庭蟋蟀はひとところに聞ゆ


生きむ道いくほどにかも積重ね讀みたしとおもふ幾册の書


あかときにめざめわがをり聞えくる電車はゆうべ乘りしをおもほゆ


いたつきの籠りをしましあらしめよ手紙一通かきて日終る


何ごとに安くすぎむとおもヘども子どもにも心怯るることあり


わが倚れるガラス戸外に暮れてゆく冬青の深葉の冷たき光


やうやくに秋ふかむ日のおもほゆるわが庭なかの木犀のはな


久々に電話をかけてかかりえつ大人のみこゑは身に沁みにけり


とにかくに眠り足らはし過ぎぞゆく一日の晴もわれこほしめり


古本(ふるほん)のエチカはおきつこの(ふみ)新本(あらほん)もとめ後よまむかな


灯あかりのうつろふ雲のうせぬればしらじら遠し天の夜星は


あかつきの光さしこしわが庭のさつき楓のただ深き(あけ)


秋のそら澄みわたりたる遠べには白棚雲の今朝やたなびく


郊外に高き欅の群木立霧だてる夜は遠く見せしむ


電燈のひかりとどける垣もとの青葉しみらに秋の夜の露


信濃路をいづこと指さむ秋雲のはるけき空をふりさけ見つつ


病める二年(ふたとせ)のまに白くなりし双鬢に氣づくひまもなかりき


久々に看護婦といふものを見て白妙につつめる(なり)をやさしみ思ひき


廣告隊笛吹きすぐる街なかに日のありどころ目かげし仰げり


みめよきをとめにあへりはればれとしてわれの現のすみやかなれや


かすかなる知風草(かぜしりぐさ)に稗草に日向の添路穗に茂りたり


花すぎし木ばちすの葉の黄ばみ見ゆ(ゆうべ)にいでてここをもとほる


秋雲のすぎがてにしていざよへば街の欅はあざやぐ色あり


夕燒のあかりさしをる曲りかど葉書を入れしポストのなかの音


夕映の巷はさむし行きかひし切髮の子もわれの心に沁みつ


東京の市隅に在りてかくしづかなるみ冬に入るを忝けなむ


かく成れる校訂本をはぐりつつおろそかならぬ心わきたり  横山重氏著書


ぬばたまの夜のねむりを安むべく遠くもいでず物さヘ言はず


不沙汰しておもふ方にも得行かねどこの頃()くて病養へり


外面には蜩鳴けり新住(にひずみ)の落居ごころに今朝も明けたり


朝さめて隣間に妻のゐることを安けくし思ふかなかなの聲


かしこまり坐る要なしこの家に()ねたくなれば直ぐ横になる


啼くこゑは(めぐ)るがごとしうす光秋の氣冷ゆる庭のこほろぎ


窓に來てすいとも啼かずなりにけり未だも蚊帳(かや)は吊りて寢れども


床のべてひねもすを居り室くらく寂しくなれば電燈ともす


かりそめに妻をいかることもなくなりてわが神經は鎭まるらしも


新秋(にひあき)の林檎むきつつ故里にひとりの叔父の在すおもへり


同じごと生垣の家のならぶ街落葉燒くけむり蒼くあがれり


帽子ぬぎて髮に光をあつるさへいみじく思ふ冬さりにけり


朝ゆふに行き(した)しみし道ばたの木槿ことごとく落葉しにけり


行火(あんか)かけてひそめる妻は次の間に萬葉集を枕きていねをり


このゆふべ妻によましむる御名方記(みなかたき)諏訪の湖べりに到りつきにき


讀む書もかぎりてすごす今にして古事記にまさるたのしさはなし


夕街の煤けだつ空にかたむきて六日の月の深くかがやく


冬枯の街道すぢをほとばしる早き川瀬に日の照りにけり


遠晴れて秩父の山の見ゆる晝巷をいたく野分吹きゆく


夕庭の楓赤ら葉濡れはえていつよりと知らぬ時雨ふりをり


論語をいささか讀み足れるここちしてけふの日暮の机を掩ふ


古き人はかくしもありきあらかじめ()もかもわれをあはれみたまふ


健康はなほ復るらしさす竹のおもふ君にもまゐる日あらめ


いやはての空には常に雲うごけり毛の國山のこもるところか


灯明りはおよそ十里に滿てり星くづの浮ぶ夜ぞらの幽けきまでに


み雪ふる都古りゆくおもひあり女學生徒の灰いろの服


たまさかに道ゆきしかばあそびゐる童のあたまさすりて行きぬ


靜かなるゆふあかり沁む萩むらのしだりはすでに花すぎてをり


よきほどに雨うち降りて百千木の色づきよろしこの秋にあふ


もみぢせる諸木がなかに銀杏葉のこのゆたかさのをしくおもほゆ


戸障子を開けはなちても寒からず夜の外氣になじむひととき


譯詩など讀みつつをればなじむ日よ秋とおもふに暮れやすきかな


病よき時のいとまの長かれと掟をしるし壁にはりたり


日の光あかるき縁に毛布ひろげ蚊帳吊ぐさは穗だちみだれぬ


二朝の()て霜にあひて雪柳の古りしもみぢもちりつくしたり


雪柳のいや久しくもたもちゐる澁きもみぢのひとむらの垂り


冴えかわく斑雪の庭に梅の木の莟はしるくつやだちて見ゆ


枯芝のあき地ゆふづく空さむし枯芝をやく火のほのほ立つ


かの星に並びて立ちし三日月のまどかに滿てりかたかたの空に


月あかきゆふべにみれば庭面(にはのも)にこごれる雪に靄おりにけり



    
折々

エチカを讀抄(よみせう)しつつ若き日の清きなげきに似てこふるかな


わが前に坐像のごとしをとめごのくみあはす手のきよきふくらみ


モスクウ〔ワに濁點〕沃野千里に立つ夏は南の冬の戲畫といふかな


外出よりかへればただに寢ぬるなり敷きたるままの床にころぶし


現なるいのちのうちにそこばくの願ひをもちて生きつぎにけり


目のさきを焔のきれの飛ぶごとき心恐れをいく日病めりき


棄恩入無為眞實報恩の一語ときどきのこころに沈み思へり


垂りかかぐ佛足跡の軸の前に心しづめて坐りたるかも


徒に悔いてし言はめや命生きて祖師開宗の年にもわれは


精力はなくなりしことをおもへども源氏をよみて今日もなぐさめり



    
藤森省吾先生御上京

來む年のことなどいひて去にし君ただかくのみに適ふ(おもひ)かな




  昭和12年


   
東京練馬 (二)



    
練馬の宿

あかつきの闇きにさめて夜すがらなる電車をきけば新年(にひどし)たてり


めざめゐし時にはかに夜半の地震(なり)ゆりぬ隣間の妻もめざめたるらし


あかつきに妻のねいきの深くきこゆみづからにして安らぐときあり



    
追憶

ひととせは夢のまたたく病院のかの池洲(いけす)にもみ雪降るらむ


ひととせの(あひだ)おだやかによくしたまひき原院長はかにもかくにも


なほなほに體力(たいりよく)づきしこと思へば伊那路にありてわれは助かりぬ



    
病箴

よき書をいささかづつに讀み足らむ飽かなくにすぐ眠るほどしも



    
山茶花

開かむとして山茶花のはな射し(きた)る朝のひかりのすがすがとして


山茶花の一つ花びら開きたり淡々しさの光うごけり


山茶花に降りつむ雪はうつむける花のくれなゐに融けてにじめり


山茶花の末花くたつ雨しげし新枝の梅の莟ととのふ



    
春寒

白梅の花もさびるる夕つ方いみじき音の氷雨(ひさめ)來にけり


たれこむる夕べひととき庭面の雪にはげしき氷雨の音す


堅土の庭のさなかに沫雪のふれば()のこるひとところあり


今日とみに寒き雨ふり街筋の木並を罩むる靄()ち去りぬ


棚霧らひ下べあかけれ十里ほど品川沖の鹽けだつ空


立春のあさけの空や北日本南日本をわかつ横雲


貯水池より落ちくる水瀬(みなせ)ゆたかにし行き流るかな街道筋を


青山の大人(うし)のみもとに行きてこし妻のことばをききとりにつつ


去年(こぞ)の二月以來なり青山の露地をゑがきつつ未だゆかぬに


郊外に梅早きみちをもとめきて二月のそらの雲こごりみゆ


きさらぎの日射をりをりあかるみて巷の上を逝く雲の()


十年前(ととせまへ)の岡先生をおもひいでて龍眼の實を辻にもとめぬ



     
祖父 三首

煤ぼりし屋根室にありし「春秋」と「莊子」の記憶あざやけきかな


おほちちが讀みし漢書(からふみ)のおほかたは襖に貼りて家おちぶれぬ


ありし日に祖父(そふ)が手がけし藥草(やくさう)をわが培はむ健康もがな


些かの身の持ちやうがてきめんにからだにこたへ()ねつきがたし


やうやくに持ちなほし行かばいく年かいかが過さむかなど今の思ひや


何々をよまむ望みもあきらめて日の靜かなる散歩路(さんぽぢ)に出づ


霜解けのぬかるみ道をゆきしとき紫だちし日のひかりさす


泥濘(ぬかるみ)を踏みうがち來し少女等が片蔭の雪に靴を()ぎをり


朴の木の青葉うなだれし暑き晝あらしをはらむ雲いでにけり


朴の木の廣葉ざわめく夜ぞらには秋に入りたる雲ながれたり


東京の灯あかりたてる星ぞらは高くとほりてかぎろふごとし


朝影ににほふもみぢはいや朱に染る葉あればうつろふ葉もあり


このごろの朝夕(あしたゆふべ)にしぐれふりて門の櫟葉いろづきにけり


庭にたつ冬木の(もち)はひかりさへはぢく冷たき葉をよろひたり


素枯野のはたてに沈む日のひかりまばら林はちりぢりに燃ゆ


ゆふさむき枯畑こえてさしかかる杉の木下にあらきにほひす


枯芝をくぐりて早き水の見ゆ巷をはづる古畑のみち


(くだ)る世の耶蘇のともがらに(にく)まれし哲人の()はみじかくきよし


アララギをとりいでて讀むをりをりは遠びとのうへに心ゆきをり



    
龍安寺 三首

家いでて白砂みちの龍安寺いくたび妻ともとほりゆきし


病よきときに到りて親しめり石と砂とのみ春闌くる庭


北山は松にしづもり(みんなみ)に白雲とほし行春(ゆくはる)のあめ


雪柳すがしきいろに芽吹きたる蔭の落葉もをしみおもへり


花木瓜のふくらむいろよしましあれ豐かなる夏の光にゆかむ


縁側の藤椅子の上にのびのびと凝りし脚腰をくつろげにけり


何ゆゑとこの世のこともおもはねどピアノをきけば涙ぐましも


この(つち)のはたてに長く白雲のこもるしづかさよ夕ぐれにつつ


遠みづに蛙きこゆる春の末やいづこ故郷の空ならなくに


自らを恥ぢも棄つべししか()へどきのふのことをはや忘れをり


三日月の光きらめくしまらくを杉生の杜のくろきしづもり


うらなごむ春の光をともしみと(てすり)によりてしましありけり


植込の冬木あかるく日にてりて一本(はん)の花芽ふく見ゆ


ひとつかみ折りこし草をえりわけて机のうへの小(かめ)にいけぬ


歩みきてひとむら芝によりかがむ枯靜かなるこの芝むらに


家うらの新墾道(にひはりみち)を二三日とほりはじめし自動車の音


丈たかき毛唐のなかにわれひとり子どもの如き夢をみにけり  
偶作


冬昏れと昏れゆく街のあはひ空あふげば迅き雲にむかひつ


あから葉のけふのまにして散りはてし櫨の木ぶりのともしきを見つ


あかさびて籬の檜ちるまでに冬もふけしか下りたち見れば


垣の根のくさり葉深く香にたてりおぼろおぼろにふる宵の雨


地にひくくなびくさ霧に赤く()く日をみてあれば忽ち昏し


一原は草のそよぎの幽かなれ(まなこ)をあげてやや歩みいづ


下りたちて凍れる土を踏みにけり今年の冬をつつしみて過ぐ


つゆじもの日ねもすにして流らへば濡れてひそけし道芝のいろ


祭衣(まつりぎぬ)そろひを着たるをさな子よ弟なる子は背のびして見す  
幼甥 二首


家移り池上(いけかみ)にゆかば海の氣にすこやかならむよわき兒だちも


いささかの歩みに疲れははこぐさ手につみたるが眞日に萎れぬ


春の日のひかり傾きまなかひの秩父の山に雲たたなはる


槻の木の下暮れかかり花うばら白く咲きたるところを通る


夕さ霧おもく沈めり廂より音して落つる一雫づつ


白髭の君さはやかに在す世にわれも命をかへりみむとす


いくばくもなき精力ををしみては何に過さむか何にてもよし


今のまのいのちし愛しも讀みさしの論語を枕きてまどろみにけり


ゆふぐれてそよぎを止めし桐の木の空遠明く月いでにけり


さみだれにこもるこの頃次の間に妻が讀み居る「輕雷集以後」


足引の山谷わたる六月の雲はひかりをつつみてゆゆし



    
信濃を憶ひて

うづまける雲移りつつふかぶかと現はれいでぬ梅雨ふけの山


さつき雨寒く降りつつ落葉松のみどり()みたつ信濃路の山


高はらの植田めぐらす堰水に咲くかきつばた色の濃深(こぶか)


日をつぎて田植(たうゑ)蠶飼(こがひ)の夏に入る山は寂しきかっこうの聲


白雲のねむれる山にこゑとほり筒鳥啼くを行きてか聞かむ



    
天沼にて

木の下の擬寶珠の葉はあざやかに梅雨入(ついり)のあめにしほたれにけり


街上に遠き曇りのたちてより十日目ころか降りいづる雨


新築の赤き煉瓦をよろこびて群がる鳩か雨はるるごとに


永き日の夕明るみやのこるらし小雨のなかに傘をひろげぬ


乳色のとばりのごとき中空に月のぼりをり宵八時半


郊外のゆふべに立てば目にそよぐ麥の穗あかり沈む遠森


旅を來し老いし遍路は一錢の銅貨をもろ手にいただきにけり


都べにとまらむかやがて歸らむか青すが山はわれを待つらし



    
悼三澤背山先生

日々(にちにち)の紙上に待ちし時報ぶみ「擴聲機」絶えてやや久しきに


かりそめのみ病と君をおもひゐし逝きませりとふ今日の報知(しらせ)はや


「銃ペン」の一語刻印の如く殘し國難の(きは)に逝きし君はや


西征のみ(いくさ)いまだ歸らぬに春秋の筆は永く斷ちにき


數ならぬわたくしごとに賜はりしみ心づくし思へば泣かゆ


(はふ)りにまゐらぬわれは信濃路を望む岡びに佇ちつつもとな



     
時事

すでにして雪降れりちふ奧支那の山越ゆらむかすめらみいくさ


戰に立ちて久しき人思ひて秋の夜ぞらをふりさけにける



    
北多摩

小金井に家うつり來ぬめざめたるあした聞ゆる蜩のこゑ


見ゆるものただ白雲と青葉のみ明けはなしたる室にまろぶす


大空に今わきたちし白雲かい照りかがやきしづけさに滿つ


まなかひに湧きたちにける夏雲の見るにしあかぬつよき輝き


日傾くころの暑さのいひがたし身動きしても汗垂りにけり


二夜三夜稻光せし地平の雲あとなくなりてぢりぢり暑し


草のうへに吹きうごく風は見ゆれども夜涼いたらず山なき國は


夏涸れてしらじらとせし草のうへに乾ききりたる空暮れてをり


徒に甲斐なきことのおもはれて暑き日の暮つくつくほふしなく


飛行機のまなきとどろきもありなれてこの岡の家に暑き夏すぐ


白雲の下べに低くなりゆきつつなほも谺す飛行機のおと


光滿つ青柔草のみだれには生れてまなき蟲すがすがし


天のはら月すむ見ればうら盆は昔ながらの舊暦ぞよき


おとろへて澄める光の中に啼くつくつくほうし聲いそぐなよ


九十度をこゆる炎熱に明暮れつ支那の亂れもいかになりゆくか



    
秋霜

(ひで)りたる夏枯れ草の白きへに霜や降るらしこの頃すでに


秋の日の澄める戀ほしさ幾度か縁がはにいでて手さきをさらす


高きより木の葉ちりくる秋の晴心しましくこひしみにけり


高萱むら穗なみみだれてしほたりぬ野分ひとときに過ぎにけるらし


吹きわたる青萱の群さやさやに一岡のうへ光は滿てり


ゆるやかなる(なぞへ)のうへにくぎりなして苗木(ばたけ)あり芝畠あり


ゆるやかなる斜のみちを下りきて瓢箪畠のかたへに立てり


穗にそよぐゑのころぐさの一群ををしみてまもる秋さぶる園に


庭かこむ蝋燭刈の椹の木濃き蔭つくるゆふべゆふべに


世尊院の森の中より夜な夜なになきし梟今はきこえず


野の窪に一本立てるくぬぎの木もみいづる色澁くもあるか


わが住めるとほき山野をどよもして明暮きこゆ蜩のこゑ


武藏野の鹿野よろしも青畑青林つづく中に小屋あり


さふるものなき天の光のながらひにひとりのみ高し富士の山嶺は


秋晴の國野をとほみさやに立てり雪をいただきて高き富士の山


雪襞のこまかき蔭もあざやかにゆふべの富士はしづまりて見ゆ


やはらかき枯草むらにさす光(かうべ)をあげてこひしみにけり


朴の木を掘りとりし跡のくぼたみに落葉を掃きて朝々の霜


いささかの庭をさかひす椹垣こごる氷土に古葉散りつつ


この庭の櫟はもとの自然木(しぜんぼく)かあらき木肌に雪吹きかかる


雪晴れし朝開(あさけ)に仰ぐ青雲のとほき靜かさよ思ひ沁むなる


此處によき青芝のうへにあぐみして秋霞照る毛の國を望む


ひんがしにたたなはる雲のゆたけきは東京をこえて(ふさ)の國ならむ


道ばたの小さき畑に棚つくり蔓茘枝の實のつぶらになれる


ひねもすに霜とけうるむ土の邊に黄菊ひとむら色に冴えたり


神經はいらだち尖りなく蟲のこゑをなやみし秋暮れむとす


埒もなき歌いくつも推敲したる手帳見返しいらいらするも


藥食(やくじき)のいささかなりとつつしみてありふる我の務めと思ふ


結滯がしばしつづきしが落ちつきて原の黄葉にけふ歩みをり


夕小雨がわが草園にふりそそぎ(くれなゐ)ふかむ鷄頭のはな


めさまして朝蜩のこゑきけばしづけさ身にしむ野の中の家


雨あがり草の亂れし庭べより紫蘇のにほひの沁みくる覺ゆ


この家のむかひに暮るる杉の杜をどよもして蝉の啼く聲きこゆ


冬の日の光うすづく靄あひに櫟のいろは深くさびれぬ


富士ヶ嶺の雪に著くなすひとくれの雲燃えぞたつ須臾の夕映


冴えさえて虚しき空や日の入とともに木枯も吹絶えにけり


初雪の遠く秀に照る山見えて木原をわたる群鳥のこゑ



    
戰をおもふ

髭武者のおもわ笑まひて撮りたるわがもののふの寫眞に對す


燃ゆる日の日射のときに出立ちて(たむろ)する兵や荒き雪の國


たひらかに早く事成り日の本にかへる日を待つこの人等をば


わがどちにおよぶ齡の男の子までいでたち行けり御軍のため



    
木下敏彦歌集

君の遺稿成るとしきけば白露の置くこの候に依せてこほしむ


巖が根にたとへば露のそぼつなすその幽けさを永久に聽くべし



    
花瓶

さる年の須磨のやどりに人たびしオランダ燒の花がめこれは


持ちてきて君賜はりしときの如さやけし今もよき花瓶(はながめ)



    


ふるさとに暮し立てゐる妹に會ひたくなりぬこのごろわれは




  
昭和13年



    
良寛禪師圖

おん姿見ればこの世の人にして萬葉集と論語をよみたまふ



    
古事記

古き世のやまとことばは(ただ)にすがし(から)の訛りのまじりなくして


わがめづる古事記(ふることふみ)にしるされしよごともまがごとも皆(うべ)なはる



    
雜吟

わたくしの命ともなし徘徊(たもとほ)り霜の光を踏みつついまは


おのが身は黙に安らにあるべきをおもひてひとり目をとぢにけり


淡々と過ぎゆきぬべしわが日々は妻が煮焚の飯食うべつつ


物讀まで日月すぎつつはかなしや和語燈録にむかふ時しも


たをりこし青枝の下に肱突けり書もよまなく靜かにあらむ


いくたびかものうくなりつつ五十四帖よみとほししは十年前なり


おほらかに心至れるくまありてさすがに古き御代の書かな


十五の年とぼしき錢にてあがなひし繪詞傳(ゑことばでん)は旅になくしつ


獻ぐべき慰問袋は何せむか臥りつつゐて長く考へぬ


空襲の夢などをしげく見つづけて覺めしあかつき底冷のする


はじめて渡來せる鉛筆を家康が()しがりし故事をよみてたのしも


下伊那の飯田の里ゆ送りたびし寒の(もちひ)ぞふくらかに煮ゆ



    
白梅

淡き日のひかりを浴みて行かむとす芝に一もと白梅のはな


芝のうへに淡き影さし白梅の花はしましの香ににほひつつ


梅の花芝に影さしてあはあはし樂譜たづさへしをとめ子らすぐ


樂の()のこもる校舍の窓あきて庭に一もと白梅のはな


棟並ぶ寄宿よりいでこし少女らは日本着物のなごやかにして



    


(もひ)につぐ熱き白湯(さゆ)より湯げむりの短く立つも春の朝なれ


春にむかふ光を見つつ何ごともおもふことなくこの頃すごす


春雨はなほ寒くふれり故里の衣渡(えのと)の崎も昏れて降るらむ


水海も氷にとざす諏訪ぐにの寒さにわれは歸り得ざらむ


汽車みちもなかりし頃の湖をおもへばこひし灯をともしゐき


かさなれる曇りさしとほす夕茜陰かぎりなし西國のそらは


はてしらぬ夕燒の中にひとくれの(かたまり)をおけり昏れたつ富士ヶ嶺


燃えさかる夕燒の雲にしばし見ゆ富士の頂の白雪のいろ


おしせまる深き夕燒の下にして枯野の土は黒く映らず


秀に高く富士の雪山かがやきて秩父のくにはたたなはり伏す


青みこし芝草まじり咲きいでぬ黄いろ乏しきかたばみの花


黄水仙開かむとするふくらみにあしたの露のしとどなるかな


むらがりて春龍膽と小菫と咲くいろ冴ゆれ杉の木下に


おしなべて春更けし里にひともとの遲櫻みればあやにしこひし


しづまれる若葉のいろを吹きてくる風うち冷えてゆふぐるるらし


武藏野をくぎりし庭のあら土に土筆ここだく萌えいでにけり


いづこにもまづ春さきのこほしきは土筆の萌ゆる土とぞおもふ


わが住まむこの春のみとおもふ庭にわがため萌えし土筆かとおもふ


園にあさる小鳥のわざかことごとく土筆のあたまへしまげてあり


ほほけたる土筆の粉のまひちるは乾ける土にすぐまじるべし


足とめてしばしば聽きぬ木がくりのどこか近くにせせらぎの音


島の海の湛へ蒼ぎる潮のいろを久々にしておもひいでをり


旅ごろも厚く着ぶくれて詣で立つ異邦びと四人孔子廟の前に  
繪はがき便り


赤松の立ゆたかなる下芝に朝やはらかき日影さし來ぬ


遠ひろく原かたむける一所くろく茂れる木むら目にとむ


無為にして過ぎし幾日よ向つ尾にかたよる雲は何に似たるか


木枯の後の月夜のあきらけく遠き木原に靄わたる見ゆ


春嵐吹きとよもせる原のうへに鶯のこゑ強く屡啼く



    
偶成

思ふ事なきを佛と(をしへ)ありたやすきに似て叶ひがたきか



    
下伊那歸住

雲かひに雪斑らなる富士を見てわが乘れる汽車は大きくカーブす


信濃路に汽車近づきて山大きし雲の上に見ゆる鳳凰山の雪


東路の桑のしげりを出でて來て信濃の山は芽ぶきさむしも


諏訪のうみあかき濁りの沖ひろく波だちをるに飽かずしむかふ


伊那谷の狹間田(はざまだ)きよく敷きなめて川に沿ふ家並(やなみ)ともしらに見ゆ


まなかひに迫りてたてる高山の樺の青葉はさわやぎにけり


天龍の水激ちきて下伊那は藪のしげりも下和むべし


疲れたるわれに思ふことなき如し夕べ飯田に行きつきにけり


赤石は伊豆の島より見つる山富士に先だちて雪ふりにけり


忝くも迎へたまふか廊下より原院長のわが名呼ばすこゑ


二年あまりおもひおもひし伊那谷に青葉のときにかへりきにけり


雲の上に常錆岩の浮び見ゆ朝ゆふこひし高山の國


さみだれの雲の沈みに遠々し北岳の雪あらはれにけり


さみだれの片時晴に山脈の黒生のなぞへ沁み照りにけり


青蘚に沁むるばかりの光させりこれの家居に幾日經しかな


青山をゆたに繞らしみんなみに白雲流る天の中川


天つ雲峯にまじはる行きかひを朝夕に見てたのしむわれは


久々にきく島びとの言傳(ことづたへ)いのちのうちに今一度來よと


朱印おせるアララギ藏書の古事記傳を賜びてもち來ぬ信濃の國まで


惠那ヶ岳峯おしひらけ大空のむなしき見ればいにし世おもほゆ


夏ふけし蘚の光に下りたちてうつつのこころ沁むごとくなる


薔薇二輪折りてたまひぬ朱と白とガラスの水にゆらぎうつろふ


變らざる山河のさまをうち眺めわれのいのちもそこにあるべし


うらさびてかへりきにけり今よりの世すぎは淡く雲の如かれ


秋すでに小粒の柿の色づきしさ庭にたちてこころ飽かなくに


徒の一生なりしか伊那谷の雲間に年のなごりををしむ


花草の()でさへわれはほだしなれ天の虚しきに涙しむかふ


うらさびしき光射したり庭の邊のどうだん紅葉あせがたの色


高原のすめる光を戀ひゆきて久しき君に相向ひたし


前山の密林の上にふりおける雪堅くしてとけがたきかも


庭苔は今に青きを保ちをり弱くてらせる天つ日のいろ


伊郡谷の地圖かかげたる壁の下に寢床をのべて心やすらふ



    
背山遺文

少部數の遺稿を頒ち賜はりぬ心の底ゆつつしみ覺ゆ



    
夕顏

故里の諏訪の入野に()りしちふうまし夕顏君賜びにけり


秋は富む甘菜(あまな)辛菜(からな)の中にしてわきてもこほし夕顏の味


口に食ふものは貪りやすけれどあな淡々し夕顏の味


いとけなき記憶たのしも縁側に夕顏をむきぬわが祖母(おほはは)


故里の庭につくりし夕顏は三四尺にもあまりたるべし


いたつきの枕によりて詠ましつる子規先生の夕顏の歌



 
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