心が足りない    土田耕平


 渋川伴五郎(しぶかわばんごろう)といえば、だれ知らぬ人もない柔術(じゅうじゅつ)の名人でありますが、この人がまだ年の苦いころ、ある用事で、上州(じょうしゅう)の山をこえて行ったことがありました。
 するとその山奥(やまおく)で、すっぱだかの坊さんが一人やって来るのにであいました。伴五郎はぼうさんを呼びとめて、
 「コレコレぼうず。この寒いのにはだかで歩くとはどうしたわけか。」
とたずねました。
 それはもう秋もくれて、山おろしのさむく吹いている日でした。
 坊さんは伴五郎に答えて、
 「今この上で、さんぞくどもに着物を取られたのじゃ。」
といってニコニコしています。
 「それは気の(どく)だ。わしが行って取りかえしてやろう。」
 「おまえさんは、なかなか強そうな人だ。おまえさんが行ったらさんぞくどもも、こうさんするだろう。」
 というので、坊さんは伴五郎をあんないして再び山の方へひきかえしました。
 しばらく行くと、むこうの松の木の下に、十五六人のあらくれ男が、たきびしているのが見えました。
 「アレ、あそこにぞくがいる。」
と坊さんがいいした。
 そこで伴五郎は、つかつかとさんぞくどものそばへ進み寄って、おどしたりすかしたりして見たが、どうしても坊さんの着物をかえそうとはしません。
 その時キャッと声がして、松の木の上から、てっぽうを持った一人の男がころげ落ちてきて、そのまま死んでしまいました。
 それを見るとさんぞくどもは一度にわきざしを抜きつれて、伴五郎にきりかかりました。伴五郎はさすが柔術の名人だけあって、さんぞくどもの刀の下をかいくぐり、むかってくる相手をかたはしから投げつけました。
 と見る中に、伴五郎のうしろに立っていた坊さんも、手ごろの棒を取って、すっぱだかのままさんぞくどもに立ちむかいましたが、そのすばやいこと目にもとまらぬくらい、みるみるうちに、相手を一人のこらず、うちふせてしまいました。
 坊さんは着物を取り返して身につけるや、伴五郎にむかって
 「ああ、ごくろうごくろう。おまえさんの腕前(うでまえ)はたいしたものだ、どうか名前を聞かせてくれ。」
といいました。
 伴五郎も坊さんの働きを見て感心しましたから、今は言葉ていねいに、
 「私は渋川伴五郎と申します。どうぞあなたの名前を聞かせてください。」
といいますと、坊さん(おどろ)き顔に、
 「おまえさんが評判(ひょうばん)の渋川氏か。これはふしぎなところでお目にかかる。わしは浅山(あさやま)三五郎である。」
と答えました。
 浅山三五郎といえば、その頃名高いけんかくであります。伴五郎は思いがけぬ対面を喜び、親しく言葉をかわしましたが、やがてこう問いかけました。
 「先生ほどのお腕前の方が、さんぞくのいうままに着物をお渡しになったは、どうしたわけでございますか。」
 すると三五郎は、ニコニコしながら、松の木の下をゆびさして、
 「おまえさんは、あれをごらんか。」
といいました。松の下には、さっき木から落ちて来た男がてっぽうを持ったまま(たお)れていました。
伴五郎はうなずいて、
 「ハイ、私はあの男がさっき木の上から落ちて来たのを見ましたが、いかにもふしんにたえません。一たいあの男はどうしたのでございましょう。」
と申しますと、三五郎は、
 「それだそれだ。わしが最初さんぞくどもにこうさんしたのは。」
といってつぎのように語り聞かした。
 「わしがここへ来て、ヒョイと木の上を見ると、この男がてっぽうでわしをねらっているのだ。刀を持った十人二十人はこわくもないが、とびどうぐにあってはたまらない。そこでわしはさんぞくどものいうままに着物を渡してそのばをのがれたが、道でおまえさんと一しょになり、二人ならだいじょうぶと思ったからまたやって来たのだ。そしておまえさんがさんぞくどもを相手にしているひまに、わしは石を投げつけてこの男を殺したのだ。この男もさんぞくのなかまだよ。こんな死にざまをするのも自業自得(じごうじとく)さ。」
 これを聞いて伴五郎は思わず頭がさがりました。もし自分が三五郎であったら、てっぽうのために命をおとしたであろうに、三五郎はさすが天下の名人だけあって、心が行き届いているのだと思いました。
 それから二人はさんぞくどものしがいを後にして一しょに山を下りました。伴五郎も一生懸命(いっしょうけんめい)修業して、後には日本一の柔術の名人となりました。 
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