あかい夕焼けの光が」さしてきました。草も木も石ころも、地上にあるものはみな、おのおのその胸をあけて、きょうの最後のうつくしい光を 太郎は、病気をして、きょうで一週間寝ていました。学校へも行けない、お友だちの声さえ聞けない、ほんとにつまらない、あきあきした一週間だった。太郎は その洋館は、太郎の生れない前から、 「なぜ、洋館の窓はあかないのだろう。」 太郎は、今まで一度だって、そんなことを考えませんでした。こんど、生れてはじめて病気をして、寝床の中からあの古びた洋館を見ているうちに、ほんとに、今まで気にかからなかったことが、気にかかってきたのでした。 窓をあけない家は、めくらも同じことだ、なぜ、目をあかないのだろう。雲のうかんでいる空や、鳥のさえずっている森や、子どもたちのあそんでいる岡や、目をあきさえすれば、みんな見えるじゃないか。だのに、あの洋館は窓をあけない。見える目をあこうとしない。 何か、ひどく悪いことがしてあって、外を見ることがこわくて、ああして目をふさいでいるのだろうか。いいや、そんなはずはない。お日さまが、朝も夕方も、毎日毎日、そのあたたかい光の手をのばして、 「さあ、もう目をおあきよ、目をおあきよ。」とよびかけているじゃないか。 「お母さん、なぜ洋館の窓はあかないの?」 太郎は一度こういって、お母さんにたずねてみたのでした。 「だれも人が住んでいないからよ。」 お母さんは、こうお答えになりました。 「なぜ、だれもすんでいないの?」 こんどは、お母さんは、お返事ができませんでした。 だれもすんでいない家なんていうものがあっていいでしょうか。家っていうものは、人のすむためにたてたものだ。その家にだれもすまなくていいでしょうか。 ほんとは、お母さんは、何もごぞんじないのだ。あの洋館には、人がすんでいる。ぼくのような子どもがすんでいる。その子どもは、ぼくのように病気だものだから、窓をあけてはならないのだ。ぼくだって、病気になってから、しようじをあけてはならないと、お医者さんにいわれた。だから、こうして毎日、はめガラスのあいだから、しょうことなし外を見ているのだ。 けれど、けれど、あの洋館の窓は、もう五年も六年も、もっと長いことあかない。子どもは、そんなに長いこと病気をしているのだろうか。困ったな。そんなら、きょうあたりは病気がなおって、窓があいてもいいじぶんだ。でも、きょうはやっぱりあかない。夕焼けの光が、もうだんだんうすくなってゆく。白っぽく 太郎の室には、 |
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