木の葉仙人            土田耕平
  

 むかし、支那(しな)利判(りはん)という(まず)しい男がありました。ボロ着物に(なわ)(おび)をむすび、寒い日にも素足(すあし)のまま外を歩いていました。村人が、利判をあざ笑って、
「おまえの姿は、まるで山犬だ。山犬は山の中へ行って暮らしたらよいだろう。」
といいました。
 利判は村人にていねいにおじぎをして、そのまま村をあとに山の方へと歩いて行きました。やがて、一すじの道も()えてしまい、谷川づたいに、岩をとびとび歩いて行きました。
 するとむこうから、十四ばかりになる女の子が、やはり岩づたいに、小鳥のように身がるく()けて来ました。空いろの着物を身につけて、その手足はうつくしく()きとおるようでした。利判の顔を見て、にっこり笑って、
「やっぱり、わたしの考えたとおりだ。この人は貧しいけれど、正直(しょうじき)な人だ。仙術(せんじゅつ)をさずけてあげましょう。」
 こういって、またもと来た方へ、(つばめ)がえしに走って行き、たちまち姿(すがた)は見えなくなってしまいました。利判は一日歩きつづけて、あたりがうす暗くなるころ、谷川の(みなもと)へたどりつきました。大きな岩の(すそ)(ほら)になっていて、水の音がさんさんと、その中から聞こえていました。
 さきの女の子が、洞の中から顔を出して、うなずいて見せました。利判は()うようにして中へ入って見ますと、(たたみ)(じょう)じきほどの広さがありました。そして、洞の片すみには鏡のようにすんだ水が(たた)えていました。
 女の子はいいました。
「ここは、わたしと先生と二人だけの住居だけれど、今先生は、修業(しゅぎょう)にお出かけでお(るす)守ですから、その間あなたがいらしってもかまいません。」
 それから女の子は、何か考えているようすでしたが、
「同じところに二人一緒(いっしょ)にいるのはよくない。こうしましょう。」
といって、(たもと)から一枚の木の葉をとりだして、フッと息を()きかけますと、みごとな衝立(ついたて)に変わりました。
「さあ、あなたはこのむこう側にいらっしゃい。わたしは、少しせまいけれど、こっちでいい。」
 もう日が暮れたはずなのに、洞の中はふしぎに明るくて、そして、(あま)(すず)しい香が()ちていました。衝立のむこうから、女の子がいいました。
「わたしは今、あなたの着物を()んでいます。そのあいだに早く沐浴(もくよく)をしなさい。」
 利判は(はだか)になって、洞のすみに湛えている清水に身をひたしました。清水はなめらかに玉のようにうずまいて、利判のからだをすべすべと洗いながすさまは生きているもののようでした。そのとき女の子は、袂から木の葉を五六枚とりだして、さまざまに重ね合わせていましたが、やがて、フッと息を吹きかけますと、()朽葉色(くちはいろ)の着物に変わりました。沐浴をすまして、あたらしい着物を身につけた利判は、生まれかわったように美しい姿になりました。
「さあこんどは、わたしが沐浴しますから、あなたは目をつぶっていらっしゃい。」
 けれど利判は、女の子のことばにそむいて、そつと目をあけてみました。清水がきらきらとかがやいて波だっているばかり、何も見えませんでした、やがて、(かみ)をくししけずり、新しい衣裳(いしょう)をつけた女の子の姿が、影絵(かげえ)のようにあらわれました。さきの幼い顔つきとはすっかり(ちが)ったおごそかなようすで、
「あなたは、わたしの言葉をかたく守らねばなりません。でないと、仙術はなかなか成就(じょうじゅ)するものでありません。」
といいました。利判は大そう()じて、じぶんの不心得(ふこころえ)をわびました。
「ではこれから食事にしましょう。」
 女の子は袂からとり出した木の葉を、いくつにもちぎって、
「さあ()しあがれ。」
と利判の前へならべました。それを食べてみますと、木の実を酒にひたしたような、ふしぎな味がしました。女の子は、たった一かけら口へ入れただけでした。
「もつと修業がつむと、何も食べずにいられるようになるのだが、わたしはまだ駄目(だめ)です。」
といって、悲しそうな顔つきをしました。
 食事がすむと、女の子と利判とは、屏風の両側へ別々に床をしいて寝ました。その寝床というのが、やはり女の子の袂から出た木の葉でした。
 それから利判は、その洞の中で、幾年ともわからぬほど、長い間暮らしていました。いつまでたっても、女の子は十四ばかりの子どもの姿でした。そして利判も、年をとるということがありませんでした。毎日、少しばかりの木の葉を食べ、沐浴をしているうちに、身体は若葉のようにすがすがしく、心は水のようにすんで、洞の中にすわっていて、千里外のことが手にとるようにわかりました。
 ある日のこと、女の子は利判にむかっていいました。
「いつぞやあなたにお話したわたしの先生が、修業を終わってもはやお帰りになりました。あなたは今日かぎりここを立ち去らなくてはなりません。」
 そのとき、洞の口から、ちょろちょろと一匹の(ねずみ)が入ってきました。女の子はひざまづいて、その鼠におじぎをしました。それから、何かしきりに話しはじめましたが、
言葉の意味は利判には分かりませんでした。
 やがて女の子は、利判の方をふりむいて、
「これがわたしの先生です。お(おどろ)きになって?」
 利判はいいました。
「いやいや、たとえ姿は(けもの)であろうと、修業のつんだものは、みんな私どもの師匠(ししょう)です。」
 そして利判は、ひざまづいて鼠を(はい)しました。
「ああこれで安心しました。あなたのお心は、もはや鉄石よりもかたい。」
 女の子は清らかな()みをうかべて、利判の(ひたい)に手をふれました。利判は女の子に別れをつげて、洞を立ち去りました。その身はかるく雲を()んで、山また山をこえて、天空はるかに()け去りました。

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