古時計            土田耕平


 いなかの、あるおひゃくしょうの家の大黒柱(だいこくばしら)に、古時計が一つかかっていました。
 チク、タク、チク、タク、と時計は、夜昼休みなしに、ささやきつづけております。その声を聞いていますと、チク、タクが、やがてタイクツ、タイクツに変わっているのだから、おどろきます。じっさい、この古時計は、時をきざむのにあいてきたのであります。ごらんなさい。あの年とった顔つきを。すすけた、まっくろな頭は、あれがもし人間であったら、反対に総白髪(そうしらが)であるにちがいありせん。
 古時計のかかっている、大黒柱の下のいろりばたには、七十あまりのおばあさんがすわっています。おばあさんは、毎日、同じところにすわりこんで、破れたたびやももひきのつくろいに、余念(よねん)もありません。
 お昼じぶんになりますと、くわをかついだおじいさんが、土間(どま)の大戸から入ってきて、土足(どそく)のまま、いろりの中へふみこんで、だまって火をたきつけます。すると、おばあさんもぬいものをわきへかたずけて、ごはんのしたくにとりかかります。それから二人は、一つチャブ台に向きあって、食事をはじめるのです。二人は、いつもだまりこくっていますけれど、いかにもやわらいだ顔つきをしています。
「チンチンチン……」 時計は十二をならしました。
 二人はごはんがすんで、いろりの火でたばこを一ぷくすうと、おじいさんはまたくわをかついで出て行き、おばあさんはチャブ台をかたずけ、大黒柱の下へ(すわ)りこみます。
 時計は、ねぶたそうを眼を、おばあさんの方へ向けました。そして、こんなことを考えるのでした。「あなたも、こう見たところ、ずいぶん年をとりましたね。わたしがはじめて、お目にかかったころは、丸まげ姿に、赤いたすきがけをした、若いおよめさんでしたのに、そして、おじいさんだって、どうして、りつぱな若者でしたよ。私が、むこうの町の時計屋の店さきに同じ時計なかまといっしょに顔をならべていますと、ある日のこと、たくましいからだをした、若いおひゃくしょうさんがきて、さっそく、わたしを買いとってくれました。その若者が今のおじいさんなのです。」
 「わたしは、その若者の()におわれて、大きなとうげをこして、きました。ホウホウと山鳥の鳴いている声に、私は、おそろしいような、とうといような、気持で、ふろしきの中から、ちょっと、顔を出して、のぞいて見ました。大木がしんしんと立ち茂って、つめたい空気がぞっと、身にしみたことをおぼえています。さて、はじめてお宅へまいったころというものは、若者も、若者のおよめさんも、このわたしをめずらしがって、わたしの方ばかり見ていたものでした。チンチンと時刻(じこく)のしらせをすると、二人とも目をかがやかして、よろこんでくれました。そのじぶんは、時計のある家はいくらもありませんでした。」
「そのうち、いつともなしに、若者もおよめさんも、私など見返ろうともしなくなりました。チクタク、チクタク、わたしもまた、二人にはおかまいなしで、時をきざんでいました。そうして、夜になり、昼になり、春を送り、秋を(むか)え、どのくらい年月がすぎたことでしょう。ホッと気がついてみますと、若者はおじいさんに変り、花よめはおばあさんに変っていました。そういうわしも、このとおり年をとっていました。このあいだ、つばめの夫婦がやってきたとき、あまりたいくつだったので、
『わしは、これでもむかしとうげをこしてきたんだせ。』
と話しかけたところ、
『まあ、あんなふるいことをいってるわ。』
『時計のとうげごしなんて、今じぶん、はやらんね。』
 こんなこといって、さっさと行ってしまいましたよ。」
 古時計が、おばあさんに話しかけるような調子で、こんなことを考えた、その日の夕方のことでした。
 おじいさんが、くわをかついで畠からかえってくる、そのうしろについて、いっしょに家の中へ入っできたのは、まだ年ごろ二十(はたち)ばかりの若者でした。これは、おじいさんおばあさんの(まご)で、ときどきやってきますので、時計は、べつに気にもとめませんでした。やがて、いろりばたへすわりこんで、三人してなにか話しこんでいることばのうちに、
「あんな古時計は、もうだめですよ。」
という若者の声がきこえましたので、時計はハッと、耳をそばだてました。
「あんなもの、古道具屋へ売ればいいですよ。そのかわり、ぼくが、あたらしい置時計(おきどけい)をもってきてあげます。」
 若者は、めがねごしに、じろり柱時計の方を見ました。この若者は、やはりおひゃくしょうでしたが、いつも金ぶちのめがねをかけていました。おじいさんの若かったころとは、うって変った、たいそうぜいたくなみなりでした。
 チク、タク、チク、タク、時をきざみつづけていましたこのふるぼけた時計は、生れてはじめて、身にしみるおそろしいことばを聞いたのでありました。
「あんなものあんなものって、いったい、わしをどうしようというつもりだろう。わしは、こんな、よぼよぼの老人じゃないか。」
 時計は青ざめた顔つきで、三人の方を見おろしていました。
 おじいさんとおばあさんは、若者のことばにたいして、さっそく返事をしませんでした。やがて、
「わしらは、もうこんな年よりだから、あの古時計が相應(そうおう)だろうよ。なあ、おばあさん。」 とおじいさんが、重たい口をひらきました。
「ええ、そうだとも。」
とおばあさんは、むぞうさに答えました。
 その晩のこと、おじいさんとおばあさんは、寝床(ねどこ)の中で、こんなことを話していました。
「あしたは時計のそうじをしてやるかな。もういく年も、ほうったままだから、ぐあいのわるくなるのも、むりはないさ。」
「ええ、まだまだ、そうじさえすれば、わしらの生きているうちは、だいじょうぶ使えますよ。」
 柱時計は、あいかわらず、チクタク、と時をきざんでいましたが、その声は、けっしてタイクツそうではありませんでした。年とった時計はもう一度新らしい心持で生きようとしていたのであります。

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