鶏卵売(たまごうり)    土田耕平


 「たまごやたまご!」
 町はずれの暗いさびしい通りを、たまごのはいったかごを(かた)にして一人の少年が呼び歩いております。
 大空はどんよりとくもって星ひとつ見えず、まだよふけとも思われぬにばすえの町はひっそりと静まり、青白い軒燈(けんとう)の光がところどころに眠そうにまたたいておるばかり。
 「たまご!」
 少年は一だん声を張りあげてろじろじをゆききして見ましたが、今夜はだれひとり呼び止めて買ってくれる人もありません。
 「ああ、どうしたらいいだろう。まだ一つも売れない。困ったなあ!」
 少年はほっと溜息(ためいき)をついて路の真中(まんなか)に立ち止まっておりましたが、何を思ったのか、いつも行ったことのないせまい小路の方へ足を向けました。
 「ここで売れなかったら今夜はもう帰ろう。」とひとりうなずいて、一軒々々の前に立っては、かあいらしい声で呼び声をあげてみたけれど、やはりどこの家でも呼び止めてくれません。
 もう声を出すのもいやになって、力ない足をとぼとぼと運んで行きましたが、ふとだれか本を読んでおる声が聞こえました。少年は思わず立ち止まって耳をすますと、それは小路のつきあたりの家からきこえてくるのでした。小さい窓のしょうじにランプの(かげ)がうつって、本をよんでおるのはたしかにこどもの声であります。
 少年はこばしりにその家の前へ行って、一人ニッコリ笑ってなかの読書の声に耳を(かたむ)けました。いつしか少年はたまごのことも忘れ、自分の身のことも忘れ、ただ一心に聞きとれてしまいました。
 ふと読書の声がとぎれて、少年はハッと我に返りました。そのひょうしに肩の(かご)をパタリと取りはずしてしまいました
 ふいの物音に(おどろ)いたのでしょう、しょうじがサッと明いてランプの光が一すぢ、暗いろじに流れました。
 「(だれ)だの?」
 こういって片手に読みさしの本を持ったまま窓から顔を出したのは、たまごうりの少年と同じ年頃の子でありました。
 ああ立ちぎぎして悪かった、と少年はこの時始めて気がつきました。そして答える言葉もなく(だま)ってうつむいておりますと、
 「なにしていたの?」
と再びなかの子が声をかけました。その言葉が大へんやさしいので少年はやっと安心して、
 「あなたが本を読むのを聞いておりました。」
 なかの子はふしぎそうに(やみ)をすかして少年の姿を見つめておりましたが、ふと気がついたらしく、
 「そこに落ちているのはなに?」
 「たまごの籠で。」
 「さっき音がしたのはそれ?」
 「エエ。」
 「お前はたまごうりだの。」
 「エエ、そうです。」
 二人の少年は窓のうちと外で話を始めました。
 「本が好きかエ。」
 「なによりも大好きだけれど、学校へは行かれません。」
 「どうして行かれないの?」
 「お父さんが去年亡くなりました。そしてお母さんは病気で()ております。」
 「ああ、それは気の(どく)だね。お前がたまごうりをしてお母さんのかいほうをしているのかエ。」
 「エエ、そして(ぼく)は一人で勉強しているのです。」
 「今夜はもう帰るの?」
 「少しも売れないからもう帰ります。お母さんも待っていますから。」
 少年はしおしおと落ちたたまごの籠を拾いあげました。
 その時、(おく)の間で二人の話を聞いていた家のひとたちが出て来て、さいわいつぶれなかった少年のたまごをみな買い取ってやりました。そればかりでなく、このひとたちのしんせつで、少年はつぎの日から学校へも行かれる身となり、二人はだいの仲好しとなりました。
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