徳の光    土田耕平

 その昔親鸞上人(しんらんしょうにん)が仏の道を弘めるために、常国(ひたち)の国稲田(いなだ)というところに十年ほどとどまっていたことがありました。
 近在遠郷(きんざいえんごう)の人々みな上人の徳になずいて、いたる所にありがたいねんぶつの声を聞くようになりました。ところがその土地に弁円(べんえん)という修験(しゅげん)者があって、親鸞の教がますますひろまるのをひどくねたみ、どうかして上人を()きものにしてしまおうという(おそ)ろしい考えをおこしました。
 その頃親鸞上人はある用事をかねて板敷山(いたしきやま)というけわしい山の道をただ一人でゆききされることが(つね)にありました。
 ここに気のついた弁円は、
 「よし、あの山道でまちぶせしょう。」
 とある日のこと短刀をたずさえて板敷山へ出かけ、親鸞の通りすがるのを待ちかまえていましたが、どこで行き(ちが)いになったのかとうとう上人にあわずにしまいました。
 弁円は大いにらくたんして自分のすまいに引き返しました。しかしどうも残念でたまらぬので、またつぎに親鸞の通る日を見はからってその山へ出かけて行きました。
 ところがまたまた親鸞にあえずにしまいました。その後三度も四度も板敷山へ行っては上人の通るのを待ち受けて見ましたが、いつもながら行き違ってしまって、自分の思いをとげることができませんでした。
 さすがの弁円も今はふしんの首をかしげるようになりました。
 「どうもふしぎである。道一すじよりほかない板敷山、そこへチャンと時刻を計って出かけるのに四たび五たびまでも行き違いになるとは。あるいは神仏が親鸞の身をまもっておるのではあるまいか。」
 こう考えて弁円はともかく親鸞の寺をたずねて見ようと思い立ちました。弁円は上人の名前こそ知っておれ事実その人をまのあたりに見たことはなかったのです。
 そこで弁円はある日のこと、姿をかえてこっそり親鸞の寺へおとずれて行きました。その時もふところに短刀をひそめておきました。あわよくば親鸞の命をその場で取ってしまおうと考えたのです。
 弁円はなにくわぬ顔をして寺の門をたたき、
 「上人にお目にかかりたい。」
 と案内をこいました。
 すると中から出迎(でむか)えた坊さんが、
 「あたくしが親鸞でございます。さあどうぞこちらへお通りください。」
 といいました。
 私が親鸞であるといわれて弁円は、日頃名を聞いただけでもにくくてたまらなかった坊主どんな顔をしているかとよくよく見上げますと、慈悲(じひ)の光に()ちたやさしいおだやかなまなざしは、いきぼとけかと思われるばかり。
 先に自分を迎えてくれた言葉といい、このたっといかんばせといい、弁円は今までの悪心がたちまち消えうせてしまって、後悔(こうかい)の涙がとめどなく流れ出て言葉も出ませんでした。
 弁円は上人の前にひざまずいて、自分の悪心をみな打ち明け、ふところの短刀をそこへ投げすてました。
 その時親鸞の顔にはすこしも(おどろ)きの色が見えませんでした。
 「ああさようであったか。」
とただ一言いわれたのみ、かえって弁円をあわれむようすがありありと見えました。
 それ以来、弁円は親鸞上人の弟子となり名を明法坊(みょうほうぼう)とあらためてりつぱな出家(しゅっけ)となりました。 
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