「代々のかしこき人々も古郷はわすれがたきものにはべるよし、吾今はじめの老(四十歳のこと)も四とせすぎて何ごとにつけても昔のなつかしきまゝ……」松尾芭蕉はこう文章に述べております。その終わりに、「ふるさとや臍の緒に泣く年の暮」という発句が添えてあります。
芭蕉は発句の道に身を入れて、一生を旅で送った人でありますが、時々伊賀の故郷へ帰って行きました。
だれしも少年のころは、見知らぬ広い世界にあこがれて、無理にも父母のもとを離れて行こうとします。けれど、やがて年をとるにつれて、じぶんの生まれた土のにおいがなつかしくなるものと見えます。これは、世の中に出て失敗した人にも成功した人にも、同じくわく心持でありましょう。
じぶんの故郷《こきょう》が、少年のときに変ることなく、その山その川の清らかな眺めをもって、じぶんを迎えてくれたなら、老いのこころにどんなにかうれしいことでしょう。昔は、世のうつりかわりが、おもむろでありましたから、十年二十年の月日を遠く離れていても、その間に故郷の景色が変ってしまうようなことは、めったになかったことと思われます。しかし、今の世はどうです。日進月歩の文明は、おそろしい力をもって、私どもの目に見る世界を変えて行きます。
私の故郷は諏訪湖のほとりであります。まだ私が七八つの少年であったころのことをおもいますと、あのあたりはどのように大きな変り方をしたことでしょう。汽車もなく電燈もなく、したがって、夏の避暑客とか冬のスケート遊びの人とか、そういうものは全く見ることができませんでした。上諏訪も岡谷も、今とは比べることもできない小さな町でした。
夜は、湖水のまわりにともる火とては一つもなく、しんとした真くらがりが私はさびしくありましたけれど、しばらくたたずんでいますと、魚のピチビチはねる音がしたり、葦の葉のささやく音がきこえたりしました。子供のころ、私の故郷はひっそりとしたさびしい田舎でした。私は、そのひっそりとした世界を心にえがいて、幾年ぶりかで帰って見ておどろきました。
諏訪はもはや、私の故郷ではありませんでした。少年の私をはぐくんでくれた自然は、どこへか姿をかくしてしまいました。一ぱいにたてこんだ家、昼をあざむく電燈の光、ひまなき汽車自動車のひびき、私の心は急にうろたえ出して、見知らぬよそ国へ来たもののようでありました。
昔の人は、じぶんの故郷があれはてたことを悲しんで、多くの詩や歌をのこしています。私はそれとは全く反した心持でありました。これは私ばかりでなく、今の世に生きている人々は、大てい同じ経験を持つことだろうと思います。
文明は、いよいよ世の中を激しく変化させて行きます。みなさんは、十年二十年の後、恐らく今の私たちと同じように、その幼時の故郷を見失うでありましょう。故郷を失う人の心は、不幸です。私どもは、この不幸にうち勝つために、何を求め何をつとめねばならぬか。むかし、中江藤樹先生は「万代不易の故郷は道徳なり。」 といわれました。こういう言葉のとうとさが、今身にしみて考えられるのであります。
こんなお話は、今少年諸君には早すぎはせぬかと、私は自分自身の心に問うてみまして、いやよろしいという返事がありましたので、つい筆をはこんでしまいました。こんなお話はもう二度とは、くり返しますまい。
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