張趙胡爺(ちょうちょうこや)    土田耕平

 南支那の章州府(しょうしゅうふ)田舎(いなか)に、むかし、(ちょう)という人がありました。
 ある年のこと、冬瓜(とうが)の種を庭へまきました。そして芽生えを、念入れに育てていましたところ、つるがのび、葉がしげり、冬瓜は大へんないきおいで、張の家の屋根へからみついて、ぐるぐるまきにまいてしまいました。
 さて、こうして、冬瓜はつると葉をおもいきりしげらせたまま、花が咲くでもなければ、実をむすぼうともしませんでした。張は、のんきな気質でしたから、実のならぬ冬瓜を別に苦にするでもなく、そのままほうっておきました。
 冬瓜は、ますますつるをのばして張のとなりの、(ちょう)という人の屋根を、また、ぐるぐるまきにしてしまいました。趙は、張にむかって、こうぎを申しました。
 「ひとの知らん間に、ひどいことをしてしまったね。これは、さっそくきりはらってもらわずばなるまい。」
 張が
 「まあ、そういわないでくれ。どうせ、冬になれば枯れてしまうのだから、少しのがまんだよ。」
といいますと、趙は、
 「それなら、まあがまんしよう。」
といいました。
 冬瓜は、ますますつるをのばしてこんどは趙の家のとなりの、()という人の屋根を、ぐるぐるまきにしてしまいました。
 胡は、張にむかって、こうぎを申しましたが、これも趙と同じく、張の言い分を入れて、そのままほうっておくことにしました。一本の冬瓜が、三軒の屋根をまいてしまったのですから、大へんなしげりかたをしたわけです。ところで、この冬瓜は、いつまでたっても花一つ咲こうとしません。したがって、実のなるはずもありません。このまま、葉だけでしげらせておいて枯れてゆくのかと思われました。
 やがてもう冬に近いある日のことでした。三軒目の胡が庭へ出た折、何げなく屋根を見上げますと、そろそろ枯れはじめた冬瓜の葉のあいだに、大きな、ひとかかえもあろうかとおもわれる実が、一つぶらさがっていました。
 「おや、いつのまにか、こんなところで実がなったぞ。」
 胡は、両手をのばしてみたが、とても、とどきそうもありません。となりの趙や張に見つからぬうちに、何とか一人じめにしたいものだとおもっているうちに、もうそこへ、
 「やあ、今日は。」 といいながら趙がやってきました。
 「チェッ。まずいところへ来たな――やあ、趙さんか、今日は。ズッとこっちへ入りたまえ。屋根の上なんぞ見たって、何もありゃしないぜ。」
 胡は、趙がまだ屋根の上なんぞ見もしないうちから、こんなことをいうものですから、すぐに見つかってしまいました。
 「ホウ、これは、すてきだ。」
 趙は、にこにこしながら、
 「こいつは、君とわがはいと二つ分けにしようじゃないか。」
 といっているところへ、こんどは張が、のこのこやってきました。
 「何だね。二つ分けにしようなんて。―― ホウ、これはこれは。」
 と張もすぐに、冬瓜を見つけてしまいました。
 一つ冬瓜を、三人とも見つけましたので、やがて争いがはじまりました。

          (二)

 「この冬瓜は、もともと僕が種をまいたのだ。だから、ぼくのものだよ。」
 と張が言いますと、胡はまた、「ぼくの家の屋根になっているものは、ぼくが取るのが、あたりまえだよ。」
 といいます。すると趙は趙で、「ぼくの家のやねが、君たち二軒の橋わたしをして、一ばん重たい役目をしている。だから、冬瓜は、ぼくのものさ。」
 などとりくつをいいます。はじめは、ただ口さきだけで争っていましたが、はては、つかみあい、なぐりあいを始めてしまいました。村の人たちは、何ごとがおこったのかと、おおぜい集まってきましたが、争いのおこりを聞いて、
 「なるほどなるほど、これはおのおの理があるわい。」 こんなことをいって、だれ一人、けんかを止めようともしません。みんな、長(そで)をくみあわせたまま、ぼんやり見物していました。そのうちに、ようやくのこと、村人の中で少しは知恵(ちえ)のあるといわれる人が、
 「わしの考えでは、これは三つ分けにして、三人仲よく食べるというのが上分別(じょうふんべつ)だね。ぐずぐずしているうちに、冬瓜がくさってしまっては、つまらないじゃないか。」
 といって聞かせました。三人はふしょうぶしょうけんかを止めました。
 それから、はしごをやねへかけて、大きな冬瓜を三人がかりで、どっこいしょと庭へおろしました。すると、その冬瓜は、まだほうちょうもあてない中に、ぽかんと音がして、ひとりでにはじけました。そして、中から、ころころところがりだしたのは、大きな赤ん坊でした。生れおちるから、もう身のたけ六しゃくもあって、青い顔に赤いひげをもじゃもじゃはやしていました。
 これには、一同みなびっくりしてしまいました。
 「これこれ、三人のもの、そして村のしゅう。わしは、おまえらを親とたのむぞよ。たいせつに育てるがよい。」
 赤ん坊は、もうりっぱに口をききました。
 「わしの名まえは、張趙胡爺という。つまり、冬瓜のぬし三人の名まえを合わせたのだ。」
 どちらが親だか子だか分からぬ、とほうもない赤ん坊をさずけられてしまった。けれど、この赤ん坊――張趙胡爺のいうことばには、底知れぬ力があって、ハイハイとしたがうよりほかありませんでした。村の人たちも、みんな頭をさげていました。
 張趙胡爺は、三年のあいだ、その村に住んでいて、ふと行くえが知れなくなってしまいました。
 その後、幾年かたって、章州府に戦があった時、張趙胡爺は、どこからともなく姿をあらわして、またたくまに(ぞく)を平げました。これは、かねて村人から受けた、育ての恩を報じたのだそうです。その時の記念に、章州府の人々は、一つの(びょう)をたてて、張趙胡爺をまつりました。それが、今になお残っている南大廟(なんだいびょう)であります。
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