(一) ぼくは、おばあさんの家へゆくのが、何よりのたのしみだった。 おばあさんの家は、小さな峠をこえて、ざっと一里の道のりがあった。六つのぼくにしては、なかなかの遠みちだったのだ。けれど、ぼくは、毎週土曜になるのを待ちかねて、きっと、かかすことなく、とまりがけに行き行きしたものだ。 土曜日の朝になると、そのじぶん、町の女学校へかよっていた、ねえやをつかまえて、 「きょうは、行くだぜ。いいかえ」 と、ぼくは、少しあまたれたこえでいう。 「行くだぜっていったい、どこへさ?」 ねえやは、ちゃんと分かっているくせに、そらとぼけた返事をする。 「きまっているじゃないか。おばあさんの家さ、行くってこと。」 「そんなら、ねえやはいやだ」 「なぜ?」 「なぜって、ほんまに 「ホウ、弱虫、弱虫。 こういって、ぼくが、ひやかしてやると、 「そんなら、行くかな。」 とねえやはきまって返事をする。 ほんとは、ねえやも、やっぱり、おばあさんの家へ行きたかったに ねえやが学校へ行く。そして、お昼じぶんになって、今にかえってくるだろうとおもうと、もうぼくは、じっとしていられない。 「ねえやあ!」 ぼくは、大きなこえを出す。けれど、何だか、聞こえないような気がする。待ってても、待ちきれない。ぼくは、いきなりかけ出してしまう。 道のまん中で、むこうから歩いてくるねえやにぶつかる。ぼくは、まりのようにいきおいよくとんで行って、どんと、ねえやの前へぶつかるのだ。こうして、ねえやは一度横だおしにあったことがあった。それからは用心して、ぼくがとんでゆくと、両手で、ひょいと受けとめてしまうので、いくら力んでみても、もうだめだ。 女だけれど、やっぱり、ねえやはねえやだけあるとおもった。 ねえやは、顔いっぱいにこにこしている。きょう、おばあさんの家へ行くから、うれしいんだろう。ぼくは、むろん、大にこにこで、ねえやの (二) 「お ぼくは、くぐり戸のまたぎを一足とびにして外へ出る。兵隊さんのように、背なかへ、横しょいにした さっき、ねえやをむかえに出たたんぼみちを、途中から、左へそれると、だんだんつまさき上りになって、峠にかかるのだ。いく度も歩いて、すっかりのみこんでいる道だから、一人だって、ちっとも困ることはない。ずんずん歩いてゆく。坂の上からふりかえってみると細くうねうねとした道の中途にねえやのすがたが見えている。学校へゆくのじゃないから、もう袴なんかはいていない。その代り白い手ぬぐいをあねさんかぶりにしているのが、くっきりと目立つ。 ぼくが、少し立ちどまって見おろしていると、ねえやは片手をあげて、 「お待ちよう」 とか何とかいったようだが、よくは分からない。ぼくは、またさっさと歩き出す。ねえやの弱虫なんか待っていられないという気がする。 けれど、そのうちに、道がだんだん急な上りになってくるので、足がおもうように動かなくなる。息がハッハッとはずんでくる。背なかの風呂敷づつみが、何だか急に重たい。とうとう、ぼくも、しんどくなって、どっこいしょと、道ばたの石へしりをかける。と、あたりが変にしいんとしているのに気がつく。ぼくは、いつのまにか、杉やひのきの一ぱいにしげっているところへ来ているのだ。遠くの方で、チクチクと鳥のこえがする。 ねえやが早くきてくれればよいがなとおもっている。と、もうすぐねえやのすがたは道のまがりかどのところへ見えてくる。ぼくは、とんで行って、しがみつく。それから、ぼくは、ねえやに手をひいてもらって、坂みちを一足一足とのぼって行ったものだ。 峠のてっぺんまで行くと、おばあさんの住んでいる村が、せまい谷のむこうの方に見える。ずいぶんちっちゃなところだなと、ぼくはいつも思ったことだ。汽車も電車もない。川だって、ぼくがとびこせるような、小さな川だ。そして、どこの家もみんなわらぶき屋だけれど、ぼくは、そのちっちゃな世界が、どんなにこいしかったことだろう。 (三) 峠のてっぺんまで行って、今度は下り坂になると、ぼくは、また急に元気になって、歩き出す。ねえやのさきに立って、ずんずん歩いてゆく。 「あんまりいそいで、石にけつまずくといけないぜ。」 ねえやにいわれると、ぼくは、すなおにウンウンをしてみせた。ぼくは、年どおり六つの子どもになって、ねえやにいたわってもらっていることを感じた。 おばあさんの家は、村はずれの、竹やぶをうしろに おばあさんは、ぼくの行く時が、ちゃんと分かっているから、ぼくが、ひょっと庭さきへとんで出ても、びっくりしなかった。もうさっきから待ちかまえていたよ、というようすで、しずかに それから、 「ねえやもいっしょかや。」 と必ずいう。ウン、とぼくがうなずくと、おばあさんの顔は、いっそうまんぞくそうに見えた。 「ああ、しんどしんど、坊にゃかなわんな。」 こんなことをいいながら、ねえやがやってくる。おばあさんは、針箱をわきへよせて、 「まあ、ちっとここへすわらっせ、ほんにぬくいぞ。」 とねえやをすわらせて、家のことやお母のことなどをたずねる。ぼくは、そんな話なんぞ、ちっともおもしろくなかったから、背なかの風呂敷づつみをねえやにほどいてもらうと、横とびに そこには、古びた (四) そのうちに、ねえやの呼ぶこえがする。走って行って見ると、ねえやもおばあさんも、もう家の中で、 ねえやとおばあさんはぽつりぽつりと話しつづけている。ぼくは、二人がどんなことを話しているのか、気にとめたことなんかなかったが、ある時のことだった。ふっと、ねえやの顔をみると、ねえやが泣いている。ぼくはびっくりして、おばあさんを見ると、やっぱり泣いている。おばあさんの泣いている顔を、ぼくは、この時はじめて見た。何だか、えらくこまってしまって、ぼくのからだは、くぎづけにされたように、かたくなって動かずにいた。そのうちにねえやが何だか笑っているようにもおもえたので、見ると、ほんとうに笑っていた。おばあさんの眼も、涙をためたまま笑っていた。ぼくは、ほっとした。ああよかったとおもった。 あの時、ねえやとおばあさんは、何を泣いていたのかな、とぼくは今でもよく思い出す。二人は、涙をながしていた。けれど、二人のようすは、その時、少しもふしあわせそうではなかった。いいや、ほんとうは、口にいえないほど、しんみりと楽しそうだった。何だか、ぼくには、よく分からない。今に大人になったら分かるだろうと思っている。 ぼくは、行くたびに、きっとおばあさんの家へとまった。けれどねえやは、夕方になると、一人きりで、峠をこしてかえって行った。 「一晩とまれるとよいがな。ほんとに…‥」 おばあさんは、ねえやを門口へ送り出しながら、なごりおしそうにいく度もいう。ぼくだって、むろん、ねえやをかえしたくないのだが、しかし、ぼくはなぜかだまりこくって、ねえやのかえって行くのをじっと見ていた。 ぼくの家は、おとうがなくて、お母きりだった。からだの弱いお母を、ねえやはいつもやさしくいたわっていた。 ねえやがかえってしまう。おばあさんは、しっかりぼくをだきすくめるようにして、 「さあ、何かおもしろい話でもしべえかな。」 という。 うしろの山は、早く暮れて、むじなのなく声なんぞ聞こえる。ぼくは、さっき、拾ってきた栗をおばあさんに焼いてもらいながら、桃太郎やカチカチ山の話をしてもらった。 |
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