野火 土田耕平
野火がついた 火がついた あったら、むじなア 焼け死んだ 毎年、春さきになりますと、私はこのうたをおもい出します。故郷の春、 私のおばあさんは、夜のお念仏にお寺へまいりますとき、よく私をつれて行ってくれました。寒い晩などは、厚い 「寒かろ、首をひっこめていな。」 背なかの私をのぞくようにして、おばあさんがいいます。私はいわれるままに、じっと小さくなっていますと、しばらくして、 「ホウ、野火だぞ、えらい火だぞ。」 「野火? どこに?」 私は 「それ、あそこに。」 とおばあさんのゆびさす、とおいやみに、赤く一の字にはっきりと、火のすじが浮きあがって見えます。 「おばあさん、あそこは 「いんや、もっととおいだろ、金沢山あたりかな。この風ではぞんぶん燃えるだろう。」 そのうちに、道のむきがかわりましたので、野火はうしろの方になって、見ることができなくなりました。 「見えないよ。おばあさん。」 「またかえりに見えるよ。」 「かえりにももえてるの?」 「ああ、いつまでだってもえてるよ、二晩や三晩は。」 「どうして?」 「どうしてって、大きな山だもの、ちょっとやそっとで、もえてしまうもんか。」 「そう。」 それから、私は、野火で山のむじなが焼け死ぬ話など、おばあさんから聞かしてもらっているうちに、お寺の |
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