けんか    土田耕平

         (一)
 土曜日のお昼すぎのことだった。学校からかえって、御飯をたべてさあ何してあそぼうかなとおっていると、
広次(ひろじ)。」
 こういって、表でおれの名をよぶこえがした。(となり)の松夫かとおもったが、そうじゃないようだ。
 (えん)がわへ出て見たら、生垣(いけがき)の上から伊平(いへい)がのぞいていた。高等二年生で、おいらの仲間うちで年かさの子だ。ずぬけてたけ高で、走りくらならずいぶん早いけれど、あんまり強くはない。ヒョロ(だか)というあざ名がついていた。ヒョロ高の伊平が何しにおれをよびにきたか、わからなかったので、おれはだまって見ていたら、伊平はしきりと目まぜをして、出てこいという身ぶりをする。げたをひっかけて、おれは生垣のところまで行った。
 伊平は今学校のかえりと見えて、首たまへ本包(ほんづつ)みをゆわいつけていた。おれが行くと、(かた)をそびやかして、にぎりこぶしをしてみせた。おれはすぐにその意味がわかった。
 「うん、よし。で、(とら)はどうする?」ときくと、
 「むろん、おいらの大しょうだ。(きよし)》も(たつ)(うし)もみんなくっついて、今しがたお堂へ行った。」
 「そうか。おめえはどうする?」
 「よびにきたおれが、行かねえちゅう法があるめえ。」
 「けれどおめえ、これから家へいって、めしなんか食べていちゃ、問にあわねえぞ。」
 「うんにゃ、めしなんかどうでもいい。」
 「でも腹がすいていちゃ、はたらけめえ。」
 「じゃ、ちょっくら、かっこんでいくべ。」
 生垣の内と外で、おれと伊平はこんな問答をした。話がすむと、伊平はとっとと走っていったが、角屋のまがりかどのところで、こっちへくるりむいて、またおれをよんだ。
 「広次。」
 「何だ。」
 「あの、松夫もつれてこいって、寅がいっていたぞ。」
 「うん、おれがつれて行く。」
 ヒョロ高はとんでいってしまった。おれは家の中へ入って、(おび)をむすびなおして、手ぬぐいをふところへおしこんで、
 「お母、あそびにいってくるぜ。」といっておいて、外へとび出した。
 おれは遊びにいくのじゃない。ほんとうはけんかに行くのだ。おいらの仲間(なかま)と、となりの田辺(たなべ)村の子ども仲間さ、どっちも二十人くらいで、何かといえば、けんかをしたものだ。
 それをおいらは戦争といっていた。そのじぶんは、日露戦争(にちろせんそう)の最中で、学校へいっても家へかえっても、戦争の話ばかりだ。おいらは知らず知らず気があらっぽくなっていた。おいらと、田辺村の子どもとは、むろん学校はちがっていたけれど、行きかえりのみちが、同じ田辺川すじだ。そこで毎日行きあう。どうかして、ふっと口げんかがはじまる。川の両岸から、
 「馬鹿(ばか)やい。」などと、いって、そのときは分かれてしまうが、あとで、
 「丑が田辺村のだれそれに馬鹿にされたそうだ。ほうっておいちゃ、おらの(はじ)になる。」
こんなことをいい出すのは、いつもきまって寅だ。寅は伊平のように、たけ高じゃないけれど、ずんぐりして力が馬鹿につよかった。おいらはみんな寅のいうことは、きかなくてはならなかった。
          (二)
 きょうのけんかは、何がもとで始まったのかおれは知らない。知らなくてもかまわない。ただひきょうのまねさえしなければいいのだ。みんな、もうお堂へ集まっているというのだから、おれは気がせいたけれど、松夫をつれて行く約束がある。しかたがない、松夫の家の前へ行って、よび出した。おれがよぶとすぐに出てきたが、けんかだときいて、きゅうに顔いろがかわった。松夫は神主(かんぬし)の子で、なかまうちで一ばん弱虫だ。おれは松夫をつれて行くのは、ほんとうはいやなんだがつれて行かないと、またみんなが何かいうにきまっている。おれは松夫にいった。
 「田辺村のやつら、いく人来たって、ちっともこわいことあねえ。いいから、おれのうしろについてきな。おれがかばって(、、、、)やる。」
 こういうと、松夫の白い顔に、ちょっと赤味がさした。そして、何かぶつぶついいながら、おれのうしろについてきた。
 お堂は、村のはずれの小高い(おか)の上で、大きな杉の木がこんもりしている。戦争のときは、ここがおれたちの本陣(ほんじん)だ。みると、寅をはじめ、もう大てい集まっている。さっき、おれに知らせにきたヒョロ高の伊平もまじっていた。早いやつだなとおもった。寅はおれの顔を見て、
 「なぜ、もっと早くこねえ。えらく待っていたぞ。」といった。
 「これより早く来られるけ、伊平にきいて、すぐやって来ただ。」
 「でも、ヒョロ高はとっくにきているじゃねえか。」
 「そうかも知れねえが、おれはこれでも、松夫をよばってきたんだ。」
 寅はおれのうしろに、ぼんやり立っている松夫の方をにらみつけた。何かいうのかとおもったら、何もいわなかった。
 それから、おいらはみんなお堂の(えん)(こし)をかけて、さくせんけいかくをたてた。場所はいつもの田辺川、軍勢(ぐんぜい)を二手にわけて、一方は寅が大将(たいしょう)で正面から進む。一方はおれが大将で、田辺川のうしろへまわって、不意うちをする。こんな風にきめた。歴史でならった小早川隆景(こばやかわたかかげ)のまねをしたのだ。
 人数をかぞえてみると、みんなで二十一人いる。寅の軍が十人、おれの軍が十一人と分ける。松夫はおれの軍に入れた。
 「大手が十人じゃ、少ないだろ。もちっと、ふやせ。」
とおれがいうと寅は、
 「おれの方にゃ、年かさのものがいるからいいや。それよりか、おめえの方は、遠まわりをするんだから、ぐんと足をのさなくちゃいけねえぞ。」といった。
 「むろんだ。けれどな、からめ手があんまり早すぎちゃ、いけねえ。大手が戦争最中のところへ、とびこまなくもゃ。だから、おいらがいくまでおめえの方は、十人でもって、田辺方みんなとはりあうんだがいいか。」
 「いいってことよ。」
 寅はつよそうにいった。
 それから、みんな用意してきた手ぬぐいで鉢まきをした。うしろの方できりきりこまむすびにする。いい気もちだ。
          (三)
 お堂の森を出て、寅の隊とおれの隊とはべつべつの道にわかれた。おれたちは、桑畑(くわばたけ)の中のあぜ道を行かなくちゃならないから、一列になった。おれのすぐあとに、松夫をくっつけて、そのあとはいいかげんにならべた。しんがりは、ヒョロ高の伊平だ。こいつは強くはないけれど、見かけが大きいので、(てき)はみんなこわがった。
 あぜ道が少しひろくなったところで、隊を二列にした。松夫はおれと並ばせようとしたけれど、うしろにくっついていて、どうしても前へ出ない。まっさおな顔をしていて、わらいもしない。
 「こわいのか?」
 ときくと、首を横にふった。けれど、ほんとうは(こわ)くてたまらないようだ。つれてこなけりゃよかったとおもった。
 やがて、道をずんずん行くと、桑畑がとぎれて、たんぼになった。寅の隊が、むこうの岡の上を進んでいくのが見えた。おたがいに手をあげて、あいずをする。寅の隊で唱歌をうたっているようだから、おれの隊でもうたった。そうすると、丑が伝令になって走ってきて「唱歌なんか、うたっちゃいけねえ。」といった。
 「なぜいけねえ。寅たちもうたっているじゃねえか?」というと、
 「大手の軍は、敵に見つかってもかまわん。からめ手は、こっそり敵に知れねえように、行動せにゃならん。」
 丑は寅のまねをして、えらそうなことをいった。けれどまったくそれにちがいないから、唱歌をうたうのはやめにした。
 たんぼをぬけると、草原になって、むこうに田辺川の(つつみ)が高く見える。おいらは、列をくずして、一かたまりになって、かけ足ですすんで行った。松夫はおれの背なかにくっつくようにして、息をハアハアいわせながら、かけてくる。ヒョロ高は、走ることは(だれ)よりも早い。ひとりで先へとんで行ってしまうから、
 「待て、軍律(ぐんりつ)を破るときかねえぞ。」といったら、とぶことをやめて大またに歩き出した。ヒ ョロ高が歩くのとおれたちがとぶのと、ちょうど同じくらいの早さだ。
 堤の上へのぼった。おれは、みんなを草の中へかがませておいてひとりで川をわたって、敵のようすを見に行くことにした。すると松夫はやっぱりおれのうしろにくっついてくる。しかたがない。つれて行った。
 田辺川は、川はばが五、六けんあってかなり大きい川だが、水はちっとしかない。河原の砂のあいだをちょろちょろ流れているくらいのものだ。わたるのはぞうさない。むこう岸へはいあがって、(ささ)をわけて田辺村の方を見おろした。桑畑の中を田辺街道(かいどう)が、うねうねと長くつづいている。敵のすがたはどこにも見えない。寅の軍はどうしたかとおもって、川下の方を見たけれど、堤のささ(、、)がしげっているので、さっぱり分からない。
 敵はもうとっくに進んできているぞ。おれは、ふっとそんな気がした。ぐずぐずしていちゃ、いけない。寅の軍がやられてしまう。おれは大急ぎで進軍と決心した。松夫にいいつけて、みんなをよびにやろうとしたが、松夫は一人で歩くのはこわがって、どうしても立って行かない。じゃおれが行こうと立ちあがると、伊平の顔が、むこう岸の草の中から、ひょっくり見えた。早くこいと、手であいずをした。みんないっさんに、川をわたってきた。
          四
 おれは、みんなにいってきかせた。
 「さあ、これからだれもしゃべっちゃいけねえ。だまって、おれのあとへついてくるんだ。もしか敵がいたら、いっしょにとっかかれ。いいか。」
 みんな、「うん。」といった。
 堤の上には、ささ(、、)やぶのあいだに細い一本みちよりほかないから、また一列にならんで、おれが先に立って、とっとと早足で、川下の方へむかっていった。一町ばかり行くと、ささ(、、)が低くなって、道のすぐ左下に川の砂原が見わたせる。ここらで、両軍が衝突(しょうとつ)しているだろうとおもってやってきたが、だれもいない。しんとしている。どうしたんだろうとおもいながら、堤の道をだんだん下の方へつたって行った。田辺街道が川をよこぎっているところを走りこして、またささ(、、)やぶのしげった中を半町(はんちょう)ばかり行くと、河原の方でワアッという声がした。
 おれは、むりやりにささをおしわけて、からだを前にのりだして見たら、すぐ下のところで、とっくみあいがはじまっていた。こっちは十人で、むこうは二十人あまりだ。一人に二、三人ずつ取りかかっている。味方は大ていのやつが、()したおされて下敷(したじき)になっているが、寅はまだ負けないで敵の大きなやつ四、五人をあいてにして、うんうんもみあっている。
 おれは、いきなり、一間半ばかりあるどての上から、とびおりた。頭がガンとした。すると、おれのあとから、また一人とびおりたやつが、おれの頭をのりこして、前へのめった。だれかとおもったら、松夫だった。松夫がまさか、とびおりようとはおもわなかった。敵の一人が、松夫にむかってきた。松夫はひょっくりおきあがって、逃げ出しそうなかっこうをしたが、急にむきなおって、むしゃぶりついて行った。敵はふい打ちをくって、びっくりしたようだったが、じきに足がらをかけると、松夫を押したおしてしまった。
 おれは、さっきとびおりて、しりもちをついたままぼんやりしていた。松夫がたおされたのを見て、パッとはねおきて、砂をけってとんでいった。敵のえり首をつかまえて力一ぱいひっぱると、そいつは、あおむきにひっくりかえった。
 それから、おれはやたらむしょうにあばれまわって、敵を一人ずつひき(たお)した。寅のそばへ行ったとき寅は大ぜいにとっくまれながら、おれの顔を見て、「よう。」といった。このときは、寅のつよそうな顔が、えらく喜んでいるように見えた。
 そのうちにだれかおれの足をすくったやつがある。ふいをくって、バッタリ倒れた。すると大きなやつ三、四人がかりで、上からおさえつけてしまった。
 おれは、あおむきに押さえつけられたまま、ふと堤の上を見たら、ささのあいだから、ヒョロ高がこっちを見おろしていた。そのうしろに、まだみんな立っているようだ。
 「それっばかりのところから、とべねえのか。早くあっちをまわってこい。」
 おれがいうといっしょに、伊平の顔はひっこんでしまった。おれは、(むね)(はら)をおさえつけられていて、苦しかったけれど、
 「みんな、しっかりしろ、援兵(えんぺい)がすぐ来るぞ。」と大きな声を出した。すると、敵のやつらは、
あっちこち見まわして、
 「うそだい。」
 「だれもこないや。」
 なんといっていたが、そのうちにみんな一度においらをおさえていた手をはなした。
 「来たぞ、大きなやつらが。」
 敵は急にバラバラ逃げ出した。川下へまわった伊平のなかまがやってきたのだ。
          (五)
 「逃げるじゃねえぞ。」
 敵の中で強そうなやつが、さけんでいるけれど、もうだめだ。どんどん逃げていってしまう。おいらは、あとから追いついては、大きなやつを()きころがした。ころげたやつは、もう手むかいもしないで、起きなおると、また(うさぎ)のように走ってゆく。とうとう田辺街道まで行って、おいらはついげきをやめた。大勝利だった。
 すると、おれのうしろで急にワァッと泣き出したやつがある。松夫だ。
 「どうした。傷でもしたのか。」
 ときくと、松夫は顔をおさえていた片手を、おれの方へさし出した。見ると小指のところがちょっとすりむけている。
 「それっばっかのことで、泣くじゃねえ。見ろ、丑は鼻血(はなぢ)が出ても平気な顔をしているに。」
 松夫は丑の方を見て、まだオイオイ泣きつづけている。おれは、松夫の泣き声が田辺方にきこえやしないかとおもって、気が気でなかった。けんかには勝っても、仲間のうちに泣いたやつなんかあったら、(はじ)になってしまう。
 寅がそばへきて、
 「ばか。」
  それから、みんな勢ぞろいして、こんどは二十一人一所になって、唱歌をうたいながら、お堂へひきかえした。
 丑が鼻血を出したほか、大てい手や足をすりむいていたが、(した)でねぶって、手ぬぐいをまきつけておいたら、みんな血はとまってしまった。おれは、着物のわきの下が大きくやぶけて、背中へスウスウ風がふきこむのがわかる。こん夜お父さんにしかられるとおもったら、少し心ぱいになった。
 もう夕方で、杉の木のあいだから、赤い夕日がさしこんでいた。おいらは、お堂の縁へ腰をかけているうちに、ひどくくたびれてきた。
 「もう、かえるべえか。」
 とだれかがいった。けれど寅がだまっているので、勝手にかえることはできない。
 「戦争に勝ったのはおめでてえが、泣いたやつがあったからなあ。」
 寅はこんなことをいい出した。おれは松夫をうしろにかばいながらいった。
 「そりゃ、松夫は泣くことは泣いたにちげえねえさ。けれどだれもほかのやつら、とびおりなかった堤をとびおりたからな。」
 寅はだまっている。みんな、困ったような顔をして、おれと寅のまわりに立っている。そのとき、杉のあいだからさしていた夕日が、かげってしまって、あたりはきゅうにくらくなった。
 「じゃ、かえるべ。」
 寅がいったので、おいらはまあよかったと思った。お堂を出て、別れ別れに家へかえった。 
次のお話   も く じ
inserted by FC2 system