炭屋の子    土田耕平

 私のお家は、炭屋(すみや)でした。
 お父さんは、毎日炭山へいって炭をやいている。お母さんと私とお家にるすばんしていて、もしか炭のちゅうもんがくると、お母さんは、大きな炭だわらを肩へのっけて、もって行きました。
 私も、いっしょに行きたくて、
 「お母さん、つれてって!」といいますけれど、
 「じき帰ってくる、待っていな。」といって、ひとりで行ってしまいます。私は、さびしかった。
 すると、ある日のこと、
 「きょうは、つれてってやろ。」
 といわれましたので、うれしくって、
 「ほんとうかい、お母さん。」
 といいながら、あとついて、なやへ行きますと、お母さんは、天びん(ぼう)を出して、片っぽへ炭だわらをつるし、片っぽへからのモッコつるして、
 「さあ、ここへ入りな。」といいました。私はぞうりはいたまま、モッコの中へ入って、しゃがみました。
 お母さんが、どっこいしょといって、天びん棒かついで、立ちあがりますと、私のからだは、モッコといっしょに、ヒョイと地べたをはなれました。
 お母さんは、私のかおを見て、にこにこしています。私は何だか、へんで、
 「のっててもいいかい?」ってきゝますと、
 「ああ、いいとも。」
 こういって、お母さんは、すたすた歩き出しました。
 おうらいへ出ると、ばかにひろい気がする。いつものおうらいじゃなくてどこか知らないとこのようだ。でんしんばしらや、むこうの森が、ぐらぐらゆすれて見える……。
 「やあ、坊んち、うまいな。」
 どこかのおじさんが、こんなこといったようだが、だれだったかよくわからない。
 少し行くうちに、私はなれて、平気になりました。モッコなわにしっかりつかまっていた手をはなして、ぶらんぶらんゆすれるまんまになっているのが、おもしろかった。私の鼻のさきに、三尺帯(さんじゃくおび)しめたお母さんの(こし)が、調子とって、ヒョイヒョイとうごいている。そのむこうがわに、炭だわらが見えたりかくれたりして、何だか、こう、私とかくれん坊でもしているようなぐあいでした。
 まわりが、急に青くなりましたので、見ると、桑畑(くわばたけ)の中のほそい道です。
 「お母さん、どこへいくの?」ってききますと、
 「そら、あの三ちゃんとこさ。」といいました。
 三ちゃんは、私と同じ年で、いつも、ひろっぱで(おに)ごっこしてあそぶ子です。こんなとこ見せたら、きっとうらやましがるだろ、とおもいました。
 桑畑をつっきって、道をまがった門のところで、お母さんは、天びんをおろしました。炭だわらをかついで、ひとりで門の中へ入って行きました。私もついて行こうか、どうしようかと思っていると、お母さんは、はや門から出てきました。
 私は、モッコの中へしゃがんで、「またかえりも、のっていくんだ。」と思ってよろこんでいると、
 「さあ、出なよ。」とお母さんがいいました。
 「いや、のってく。」
 私は、かぶりをふりました。
 「いけないよ。おまへ一人じゃ、天びんがきかねから。」
 「なぜ。」
 「なぜって、天びんがきかねよ。」
 しかたない、私は、モッコから出ました。何だかつまらなくなって、お母さんに手をひいてもらってかえりました。途中でねだって、あめんぼう買ってもらいましたっけ。
 それから、私はいつも、お母さんが炭をもっていくときは、モッコにのせてもらったものですが、帰りには歩かなくちゃならない。
 「炭だわらと一しょならかつげる、おれ一人じゃかつげぬ。へんだな。」
 そのじぶん五つか六つだった私には、とけない(なぞ)でありました。 
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