裏の庭の竹やぶの中に、お稲荷さんがまつってありました。おばあさんが、まだおさげ髪の子どものころには、山の方までつづいたひろい竹やぶでありましたとか。それが、だんだんきりはらわれて、家のお庭にだけ、むかしのかたみが残っているのだ、とわたしはきかされました。
春のさくら餅だとか、秋の里いもだんごだとか、その他時節々々のごちそうができますと、かならず裏のお稲荷さんにおそなえしました。縁さきから、ほこらの前まで、飛び石づたいに、赤い木の鳥居をくぐって、しげった竹のあいだを分けていくのが、わたしは、何だかおとぎばなしの国へ行くような気がして、好きでした。おそなえをのせたおぼんをもって、さきへ走って行っておばあさんのくるのを待っていました。
ほこらの前までいくと、こんもりとした、竹のかげになって、お家の屋根も、しょうじも見えない。あたりがしんとして、こわいようなさびしいような気がする。こつりこつりとつえの音がして、やがておばあさんが前かがみに歩いてくるすがたが見えると、わたしは、やっと安心した気もちになりました。
わたしは、両手でしっかりかかえていたおそなえものを、おばあさんがそばまでくるのを待っていて、
「いいよ、いいよ、おれがあげるから。」と背のびしてほこらの前壇へさしあげる。少し手がとどかないのを、やっと押しあげる。
「これでいいの?」
「ああよいよい。坊はえろう大きくなったぞ。」
とおばあさんにほめてもらうのがわたしはうれしくありました。
おばあさんは、少しあとへさがって、手をあわせて、長いこと拝んでおられる。わたしは、おばあさんの袖にすがって、ほこらの中をじっと見ていると、かたくとじたとびらが今にあいて、中から狐の王さんが出てくるじゃないかとおもわれました。狐の王さんのお話、それは、わたしが、桃太郎やかちかち山と一しょにおばあさんからならったお話です。
亡くなったおじいさんの、そのまた幾代か前のおじいさんが、大そう弓の名人で、ひまのときには、いつもりょうに出かけたとか。そのころは、ひろい竹やぶの中に、いろいろなけだものがすんでいた。ある日、おじいさんがいつものとおり弓矢をもって、りょうに出かけましたところ、やぶの奥で狐の行列にあった。一ばん先に立った狐は木の葉のかんむりをかぶって、長いしっぽが黄金色にかゞやいていたそうです。おじいさんは弓に矢をつがえて射ようとすると、狐たちがみんな、おじいさんの方へむいて手をあわせた。おじいさんは、矢をはずして射るのをやめました。その晩、狐の王さんの夢を見ましたので竹やぶの中へほこらをきずいてまつりました。それがこのお稲荷さんだ、というお話であります。
狐の王さんは、命をたすけられた上に、神さんに祭ってもらいましたので、その後、家にさいなんがあったとき、いくたびもふしぎなお助けを下したそうです。だから、生きものの命は大事にしなくてはならないと、おばあさんから、つねづねきかされました。
その後、おばあさんも亡くなり、わたしはよその国でいく年かくらして、久しぶりで家へかえりましたとき、お稲荷さんへおまいりしました。やぶの中のほこらは大そう古びて、檜皮の屋根にはこけが青々していました。このこけは、わたしが子どものときにも同じように生えていたのでしょうが、目にとめて見たのは、そのときがはじめでした。わたしは狐の王さんのお話をおもい出しました。そして長いことほこらの前に立っていましたが、おばあさんのつえの音は、もうふたたびきくことはできませんでした。
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