およしと(じい)    土田耕平

 およしは、毎週土曜日の学校かえりに、山(うら)(じい)の家へ、寄ることにしていました。爺はおよしのお母さんのお父さんで、およしの名づけ親でありました。ある土曜日のことでした。いつものように、椹垣(さわらがき)の茂った木戸を入って行くと、日あたりのいい(えん)の上へ(こし)かけて、爺は新聞を見ていました。
 「さあ、ここへこうよ。」
 といってえんがわ(はし)の方へ寄って、「どうだ、みんなじょうぶか?」
といいました。およしは爺のわきにならんで腰かけました。すると、おばさんが、そら豆の()ったのをおぼんへのせて、持ってきてくれました。
 「およしさん、よくきてくれたね。爺やは、およしさんが来てくれるのが、どんなにうれしいか知れないだぜ。」
 とおばさんは、爺と二人を見くらべながらいいました。やがておばさんはあいさつして、内へ入って行きました。爺はやっぱりうつむけに新聞を読みふけったまま、
 「およし、豆を食べろよ。」
 といいました。「お爺さまは食べないかえ?」
 「うん、おれも食べる。おかげで歯はじょうぶだ。」
 夏のはじめのお日さまは、かんかんとまぶしくお庭の木や石を照らしていました。泉水のそばのとり小屋を見ると、いつものカナリヤがいないので、
 「お爺さま、鳥はどうしてえ?」
 「うん、昨日(きのう)どこかへ行ってしまった。」
 と気のない返事をして、新聞をポイとほうって、
 「およし、総理(そうり)大臣さまがピストルで()たれたって、えらいこんじゃないか?」
 といいました。
 「総理大臣は天子さまのお代りの方だろ、その方を殺すなんてどういうつもりかな……学校の先生さまは何か言ったかや?」
 「殺すのはよくないが、政党《せいとう》もよくないって……」
 「何、政党がよくないって、フンそうかも知れねえ。けれども犬養(いぬがい)さまはそんな殺されるような悪いことはなさらないと思うがな……どうだおよし。」
 「わし等にはわからないわい、お爺。」
 「わからない? そうともそうとも、まあいいや、豆でも食べてあそんで行け。」
 二人はポリポリ音をさせながら、(こう)ばしいそら豆を食べました。庭の明るい(なが)めは、不況(ふきょう)だとか暗殺(あんさつ)だとかいうことは、まるきり別の世界でした。およしは、安心したような、それでいて胸の中では泣きたいような、二つの心が入りまじっていました。
 「爺はな、もうながいきしないような気がするだ。」
 きゅうに、こんなことを言い出しました。
 「わしが死んだら、お(はか)まいりしてくれるずらな、およし?」
 と爺は言葉とはうらはらに、にこにこ顔でいいました。
 「お爺さま、そんなこといっちゃ、いやえ。」
 およしはそういうと(われ)知らず、涙がポロポロこぼれました。
 「うんうん、爺はまだ死になんかせん。総理さまより五つも若いんだもの。なあ、およし。」
 およしは前だれで涙をふいて、うなずいて見せました。
 その時青葉の間から、風が吹きまわしてきて、縁がわの上の新聞が泉水の方へパラパラとんで行きました。およしが拾いに行こうとすると、爺は、
 「よいわよいわ、新聞なんか、もううっちゃっておけ。」
といいました。そして、おだやかな、仏さまのような目つきで孫娘(まごむすめ)のすがたをながめました。 
次のお話   も く じ
inserted by FC2 system