(わす)れ島       土田耕平


 遠い遠い海のはてに忘れ島という島がありました。この島にはふしぎなにおいぐさかいっぱいに茂っていて、そのにおいをかいだ人はだれでも(みな)自分の故郷(こきょう)のことを忘れてしまうのでした。はじめはさびしい無人島(むじんとう)でありましたが、難船(なんせん)して流れついた人がおいおいに住みこんで、今では何十人という人数になりました。その人たちは皆におい草によわされて、ふるさとのことをすっかり忘れてしまいました。(おき)を通る船が見えても呼びとめようとせず、またいかだをつくるくふうもせず、ただぶらぶらと日を送っていました。
「わたしたちはいつどこからこの島へ来たのだろう。」こういううたがいを()こすことはあっても、だれひとりそれに答えることはできませんでした。どこから来たか思い出せないのだかち、どこへ(かえ)るというあてもなく、あやしい心持(こころもち)で日を送り、日を(むか)えていました。
 ある晩のこと、月の光が明るく照りわたって、心地よいながめになりましたので、忘れ島の人々はそろってはまべに出ました。キラキラとかがやく波を見ながら、みんないっしょにうたいました。
    明るい明るいお月さま
    東を見ても 西見ても
    光るは キラキラ波ばかり
    いったいどうして わしたちは
    こんな所へ 来たのやら
    どこからどうして 来たのやら
    東を見ても 西見ても
    光るは キラキラ波ばかり
    明るい明るいお月さま……
 こうして、歌いつづけていますと、やがて夜中ごろ、一ぴきの白うさぎが、どこともなくヒョイとあらわれて皆のまえに立ちました。うさぎは両手にかかえて来たたくさんのかまをそこへ投げ出して、
「さあ、皆さん、このかまをあげますから、それで島じゅうのにおい草を(のこ)らずかりとってしまいなさい。」 といいました。
 一同のものはびっくりしてうさぎのすがたを見守っていましたが、やがてひとりが口をひらいて、
「おまえさんはどこから来たのです。そして、このたくさんのかまをどこから持って来ました?」 と聞きました。
 うさぎは、
「私はあの月の世界から来ました。お月さまがみんなの歌をお聞きになってあわれにおぼしめされたのです。さあ、このかまて島じゅうの草をかってしまえば、おまえさんがたの(うん)がひらけてきますよ。」 といい残してたちまち姿(すがた)を消してしまいました。
 うさぎの()いて行ったたかまの数はちょうど忘れ島の人数と同じだけありました。みんな一つづつのかまを持って、次の日から草かりをはじめました。かり取った草は残らず海の中へ投げすててしまい、三月ばかりたったころには、どこを見てもにおい草一本見えなくなりました。
 人々は(ゆめ)からさめたように、今まで忘れていた故郷のことを思い出しました。
「そうだ。私たちは難船してこの島へ流れついたのだ。家には親兄弟が待っているのだ。早く家へかえらなくてはいけない。」
 こう考えついて、みんないっしょにいかだをくんで、海へ乗り出しました。そして、(おり)から通りかかった大船に助けられて、めいめい自分の故郷へ帰ることができました。
 忘れ島はもうにおい草がなくなったのだから、その後だれが流れついても故郷を忘れてしまうようなことはありませんでした。

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