親ざる子ざる          土田耕平


  高い木のてっぺんへ、するするとよじのぼった子ざるは、枝のはしへ長いしっぽをまきつけで、ぶらりとさかさまにつるさがりました。うれしそうにキャンキャンと(さけ)んで、
「お母さん、お母さん、こっちを見な。」
 そのとき親ざるは、下の枝へ(こし)をかけて、バナナの皮をむいていました。子ざるの方を、あおむいて見て、
「何か見えるの。そんな高いところへ(のぼ)って!」
 子ざるはぶらりぶらりからだをゆすぶりながら、
「ああ、ずいぶん遠くの方が見えるよ。お母さんも来て見な」
 バナナを食べてしまった親ざるは大きなおしりをもたげて、ゆっさゆっさとよじ登って行きました。
「何も見えないじゃないの、遠くなんぞは!」
 (しげ)った森の木をすかして見ながら、親ざるはいいました。
「ぼくのように、こうしてさかさまにならなくちゃだめだよ。さかさまになれば、世界じゅう見とおしだ」
 親ざるは、前足をはなして後足だけでぶらりとさかさまになってみました。
「何も見えやしないじゃないの。これじゃ同じことだわ」
「だめだよ、お母さん。後足もはなさなくちゃ。ぼくのようにしっぽでぶらさがらなくちゃ――」
 親ざるは、しっぽを枝にまきつけて、後足をはなそうとしましたが、それはあぶなくて、とても親ざるにはできないことでした。
「お母さんにはおまえのまねはできないよ。さあもう、そんなとおいところは見なくともいいから、ぞれよりかやし(・・)の実でもとりに行きましょう」
「やしの実? そんならぼくも行こう。」
 子ざるはくるりと、からだをはねかえして、親ざるの頭をとびこえてするするとすべるようにみきをはいおりました。後から、親ざるは重たいからだをふりふりおりて行きました。
 これは、一年じゅう青葉(あおば)のしている南の島です。親ざる子ざるはこうして片ときはなれることなく、むつみあっていましたのに、かわいそうにある日のこと、その親ざるだけが猟人(かりうど)にとらえられて、遠い日本の、ある町の動物園(どうぶつえん)へつれて行かれてしまいました。
 動物園には、たくさんのさるなかまが集まっていました。けれど、子ざるに(はな)れた親ざるのこころは、なんのたのしいことがありましょう。おりのすみにうずくまって、目をつぶって、子ざるのことばかり考えていました。
 ある日のこと、町の女の子がお母さんと二人で、おりのそばへ来てながめていましたが、
「このさるは元気がないのね。病気かも知れないわ。」といいながら、投げこんでくれたのは、一本のバナナでした。動物園へきてから、毎日おさつばかり食べていましたので、バナナは大へんめずらしいものでした。親ざるは、かつて子ざるといっしょに島の高い木の枝へのぼって、さかさまにぶらさがったことを思い出しました。
「しっぽでぶらさがれば、世界じゅうが見えるって、あの子がいったが、わたしも一つやってみようかしら。そして、あの子の姿を一目見ることがてきたら、どんなにうれしいことだろう。」
 親ざるはこう考えると悲しげな目がにわかにかがやきました。おりの金網(かなあみ)をよじて、天井(てんじょう)横棒(よこぼう)へとつたわって行きました。そして一番高い柱へしっぽをまきつけ、まず前足をはなして、ぶらりさかさまになりました。それから後足をはなそうとしますとぶるぶるからだがふるえました。でも思いきってはなしてしまいました。そうすると、子ざるのいったとおり、遠く遠く世界じゅうが見えてきました。海のむこうに、やし(・・)やバナナのみのっている島も見えました。そして、あのかわいいかわいい子ざるが、今、木のてっぺんからさかさまになって、こっちを見ているではありませんか。
「オーイ。」 と呼びかけますと、
「お母さん、はやく来な。」 と子ざるは手まねきしました。
「そーらとんで行くよ、お母さんは。」
と親ざるは、一とびに、子ざるのいる島めがけてとんでしまいました。
 その日、動物園では、さるが天井(てんじょう)から落ちて死んだといって、うわさとりどりでした。なんとうかつのさるだろう、などとあざける人もあったそうです。
 

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