雨の朝顔            土田耕平


 夕方、かきねの朝顔のつぼみが三つ、ほんのり赤くふくらんでいます。
 これは三つとも、あしたの朝ひらく花なのです。
 だれも知っているとおり、朝顔の花はただひとあさだけ()いて、それでしぼんでしまいます。だから朝顔にとっては、そのひとあさが、どんなに大切なことでしょう。私どもの一生が私どもにとってかけがいないと、まったく同じなのです。
 今その大切な朝が近づいている朝顔のつぼみは、おたがいに顔をならべて、むっつりだまりこんでいました。とても言葉になどいいあらわせないはりつめた心をいだいており、おたがいにその気持ちがわかっていますとき、いらぬおしゃべりする必要(ひつよう)が、どこにありましょう。
 夜あけのさわやかな風は、どんなふうに、じぶんたちのからだにふれてくることであろう。はじめて目をひらいて見る世界は、どんなにうつくしいであろう。そしてお日さまの慈悲(じひ)にみちた光が、じぶんたちに何を教えて下さるであろう。三つのつぼみは、ともに手をたずさえて、そのはかり知れない世界へ生まれ出ようとしているのであります。
 けさ生まれた朝顔、きのうの朝生まれた朝顔、おとといの朝の朝顔と、前前に生まれた兄姉たちは、数しれぬほどたくさんあります。けれど今いっしょに生まれ出ようとしているのは、この三つだけであります。三つのつぼみは、どんなにかしたしみ深い目と目を見合わせたことでしょう。同じひとあさの光をいっしょにながめて、いっしょにそのめぐみをわかちあうということは、考えてみるとふしぎなふしぎな(えん)でありました。
「なんですか、あたりがたいそう(くら)くなったようですね。」
「夜になったんでしょう。」 
「この暗い夜がやがてすぎてしまうと、いよいよ私たちは、目をひらいて、新らしい世界を見ることができます。」
 三つのつぼみは低い声で語りあいました。
 朝顔の葉のかげに、そのとき一わのちょう(・・・)がねむっていましたが、三つのつぼみのひそひそ声に目をさましました。
「みなさん方は、あした咲くのですか。」
 ちょうはたずねました。
「ハイ、そうです。私たち三つともね。」
 つぼみたちは(よろこ)びにみちた声で答えました。
「まあ、それはそれは。あしたは雨ふりなんですよ。」
 ちょうは気の(どく)そうにいいました。
「雨ふり、それはなんのことですか。」
「今あなた方にお知らせしていいことかどうか分りませんけれど。雨ふりに咲いた花は、しょぼしょぼ泣いて(くら)さなくてならないのです。」
「泣いて暮らすんですって。私どもは今、こんなにはればれした気持ちでいますのに。」
「それは、あなた方がどんなお心持ちでいようと、ひとりでに(なみだ)が流れ出てとまらないでしょう。あなた方が泣かなくても、天の神さまがお泣きになるのですから、その涙にぬれないわけにはいきません。」
「でもお日さまのお顔さえ(おが)めれば、それで私たちはまんぞくします。」
「いいえ、そのお日さまがあしたはお出ましにならないのです。だから、天の神さまがお泣きになるのです。」
「まあ、それはほんとのことてしょうか。」
「あなた方が、お気のでなりません。」
 ちょうはもはやことばをつづけようとしませんでした。
 三つのつぼみたちは、いいようのない悲しみに打たれました。じぶんたちはただお日さまの顔が拝みたいばかりに、生まれ出ようとしているのだ。そのお日さまが、あしたの朝にかぎって、姿(すがた)をおかしになるとは。だれもかれも、その生まれ出る日は、前からちゃんときまっていました。じぶんの力で、それをどうすることもできません。三つのつぼみたちは、予期(よき)しない不幸(ふこう)の日にめぐりあわせたのであります。
 同じめぐみを分ちあおうとしていたつぼみたちは、今は同じ悲しみを分ちあおうとしているのです。おたがいにだまっているうちにも、その心持はよく通じました。
 つぎの朝は、ちょうのことばどおり雨ふりでした。雨にぬれて、三つの赤い朝顔が咲いていました。(まず)しいものにもおめぐみはあるものと見えて、この朝顔たちは泣きながらも夕方まで咲いていました。それは朝顔としてはたいへんな長生きでした。

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