はくしゃくのむすこ            土田耕平


  むかしスイスの国に、一人のはくしゃくが住んでいました。はくしゃくは、ちえしゃとしてひょうばんの高い人でありましたが、そのひとりむすこは、反対に、おろか者で、年ごろになっても、何一つおぼえることができませんでした。
 ある時、はくしゃくは、むすこをよんで、
「これから、一年ひまをやるから、そのあいだに、どこぞへ行って、何かひとつ、よいことをおぼえて来るがよい。それができないようならおまえは、もうわしの子ではないぞ。」
といいました。
 むすこは、家を出て行きました。そして、一年たって、かえって来ましたので、はくしゃくは、
「さて、お前は何を習ってきた。」
とたずねました。するとむすこは、
「お父さま、わたしは、犬のことばをおぼえてきました。」
と答えました。はくしゃくは、たいへん(おこ)って、
「ばかものめ。もう一年、ひまをやるから、ちっと、人間らしいことをおぼえて来い。それができないようなら、こんどこそ、わしは、おまえの父親じゃないぞ。」
といいました。
 むすこは、出かけて行きました。やがて、一年たつと、のこのこ帰ってきましたので、はくしゃくは、
「さて、こんどは、何を習ってきた。」
とたずねますと、むすこは、答えていいました。
「お父さま、わたくしは、かえるのことばを、習ってきました。」
 はくしゃくは、ためいきをついて、
「やれ、なんという事だ。わしはもう一年だけひまをやる。早くどこぞと、行って来い。」といいました。
 一年たつと、むすこはのこのこ帰ってきました。はくしゃくは待ちかまえていて、
「こんどは、何をおぼえてきた。」
とたずねました。むすこは、
「お父さま、わたしは、はとのことばをおぼえてきました。」 と答えました。
 はくしゃくは、とびらをピシャンとしめてしまいました。それっきり勘当(かんどう)でした。
 仕方ない、むすこは、ひとりとぼとぼ、足のむく方へ歩いて行きました。
 やがて、日の()れに、お(しろ)のそばをとおりかかりましたので、ひとばんとめてもらおうとしますと、お城の番人は、お城のうしろの方をゆびさして、
「あそこに、ほら穴がある。ほらのなかには山犬がたくさんいて、旅の人を、みんな食いころしてしまう。それでもかまわぬなら、行ってとまるがよい。」
といいました。
 むすこはほら穴のなかへ入って行きました。そこには、番人のいうたとおり、たくさんの山犬どもが、うろうろしていました。
 むすこは、犬のことばが、よくわかりましたので、いちいち、あいさつしました。山犬どもは、ウォーウォーほえるだけで、むすこに、なんの(がい)もしませんでした。
 よくあさ、むすこが、平気でほらの中から出てきましたので、番人どもはおどろいてしまいました。むすこのいうには、
「あのほらのおくには、宝物(たからもの)がぎっしり、うめてあります。山犬どもは、その宝物をいつまでも番せねばならぬので、それが苦しさに、人に(がい)をするのです。わたしに、つち(・・)(ふくろ)をかして下さい。」
といって、また、ほらの中へ、入って行きました。おくの方の土壁(つちかべ)を、つちで、トンと一打ちすると、宝物が、ざらざら流れ出ました。すると今まで苦しそうにウォーウォーほえつづけていた山犬どもは、うれしそうに、しっぽをふって、どこともなく去ってしまいました。
 むすこは、宝物を、みんな袋の中へ入れて、持ちかえり、番人にわたしておいて、お城をあとに、またあてもない旅をつづけて行きました。
 むすこは、だんだん、旅をつづけて、ある日のこと、(ぬま)のはたをとおりすぎました。すると沼のなかでたくさんのかえるが、ギャアギャア鳴いていました。それをきくと、むすこの顔は、陰気(いんき)になって、ふさぎこんでしまいました。息子(むすこ)はかえるのことばから何を聞きこんだのでしょうか。
 ちょうどその時のこと、ローマでは、法王(ほうおう)さまが、なくなられて、おあとつぎがありませんでした。大僧正(だいそうじょう)たちは、みな、とほうにくれておりますと、ある朝、にわかに、天から御光(ごこう)がさして、二わの(ぎん)いろのはと(・・)()いおりてきました。そして、おりから、お寺の殿堂(でんどう)の下を通りかかった若者(わかもの)の、両肩(りょうかた)にとまって羽ばたきました。
 それを見た大僧正たちは、これこそ、神のつかわされた、新法王であると、みなそでをつらねて、若者の前にひざまづきました。この若者は、さきにお話したはくしゃくのむすこなので、ローマ法王殿(でん)とも知らずに、ここへ通りかかったのであります。
 はくしゃくのむすこは、もじもじこまったようすをしていますと、両肩にとまった銀色のはとが、
「あなたのひたいには法王になられる幸運(こううん)の星が、かがやいています。何も御心配(ごしんぱい)はいりません。僧正たちのいうとおりになさい。」
とささやきました。はとのささやきは、僧正たちの耳には、ただククククときこえるだけでしたが、むすこには、そのことばが、よく聞きわけられました。
 で、はとのいうとおり大僧正たちにあがめたてまつられて、りつぱな殿堂の中へ、入って行きました。二わのはとは、両肩にとまって、銀色の御光(ごこう)を、四方にかがやかせながら。
 むすこは、法王の(ころも)に着かえさせられ、きよめの式をうけ、そして経文(きょうもん)をよむだんになりましたが、息子にはむずかしい経文の文字など、一字だって、わかりませんでした。けれども肩にとまったはとが一字一字よみほどいてくれました。それについて、よんで行きましたので、一字もまちがいなく、りっぱによみとおして、すっかり法王の威厳(いげん)をそなえました。
 その同じ日のこと、むすこのお父さまのはくしゃくは、故郷(こきょう)のふるびた家で、ひとりぽっつり死んで行きました。ばかなむすこが、ローマ法王になったなどとは、(ゆめ)にも知ろうはずはなく……。

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