仏の山 土田耕平
下野の国と、常陸の国のさかいに、仏の山という山があります。其の山のふもとに、昔のこと四郎左衛門と呼ぶ浪人が住んでおりました。
四郎左は大そうな貧乏でした。妻は早く亡くなって、幼い娘と二人暮しでありましたが、その娘に着せるものにさえ困っておりました。四郎左は自分一人ならどんな貧しさにも耐えていたでしょうが、娘の事を思うたびに心が乱れて来ました。此の可愛い子供にだけは、美しい着物とおいしい食物を与えたいものだと思いました。
といって、浪人の身では猟や商いも得手ぬし、これという仕事がありませんでした。四郎左はさんざん、考えぬいた揚句、世にも恐ろしい事を始めました。それは人を殺すことでした。仏の山を通りかかる旅人と見ると、四郎左はそっとあとをつけて行って、弓で射殺しました。そして旅人の身についたものを奪って来ました。
四郎左は始めの中は大そう気がとがめました。しかしだんだん平気になりました。旅人から奪ったお金で娘のほしがるものを買い求めて、それを何よりの楽みにしました。誰一人、四郎左がそんな恐ろしい事をしているとは思いませんでした。むろん四郎左の娘はまだ子供の事で、何も知りませんでした。只々なさけ深いやさしい父だと思っておりました。
そうして五年、六年と無事に過ぎました。娘はようやく成人しました。四郎左の心づくしで、姿といい、顔かたちといい、人なみすぐれて美しくなりました。
ある日のこと、四郎左は娘を相手に酒を酌みながら、つぶやくようにいいました。
「考えて見ると、おれもずいぶん罪なことをして来た。しかし、みんなお前のためだ。」
娘は聞きとがめて、
「お父上、何でございますか。」と、目を見張りました。
「いや何でもない何でもない。」と、四郎左は首をふりました。しかし娘はどこまでも、父の言葉の意味を突きとめようとしました。とうとう四郎左は、何もかも娘の前にうちあけてしまいました。
娘の驚きは、たとえようもありませんでした。畳の上にうつ伏して、しばらくは身もだえしておりましたが、やがて顔をあげてふるえ声にいいました。
「お父上。あなたは何という恐ろしいことをして下さいました。私は美しい着物も何もほしくはございません。どうぞ此後人を殺すことだけは止めて下さい……。」
四郎左は娘の言葉をさえぎって、
「お黙りなさい。お前の口を出すことではありません。」と、きつく叱りつけました。
やがて四郎左は酔ったままそこへ眠ってしまいました。娘は悲しげに父の寝顔を見守っていましたが、そっと立ち上がって菅笠と茣蓙を身につけ、男の旅人らしくよそおいして、家の裏口からしのび出ました。
そんなこととは知らぬ四郎左は、目をさますや、さっそく弓と矢を取って立ち上がりました。また旅人を射殺す心組みだったのです。家を出て谷間の方へ下りて行きますと、むこうに旅人の姿が見えました。四郎左は弓に矢をつがえて射放ちました。ねらいはあやまたず、旅人の背を射通した様子。四郎左は満足の笑みを浮べながら、倒れ伏した旅人のかたわらに歩み寄りました。見ると茣蓙の下にうつぶしている姿がどうやら女らしいので、
「はてな?」と思いながら抱きおこしました。
南無三宝! それは四郎左の娘でした。娘は父の心をひるがえすため、自らその矢おもてに立ったのであります。四郎左は娘の死骸に抱きついて泣きました。しかしもう何とも仕方ありませんでした。
四郎左は其の場で髪を切りすてて出家しました。それから諸国の寺々をめぐって、娘のために、又じぶんが射殺した人々のために、一生を仏様にささげたということであります。
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