二本の神木(しんぼく)            土田耕平


 ギリシャのフリジヤというところへまいりますと、ある小高い(おか)の上に、(かし)の木と菩提樹(ぼだいじゅ)が二本ならんで立っています。そのまわりに(かき)をめぐらして、人手にもふれぬようにしてあるのは、深いいわれがあるのです。
 遠い昔のこと、天の神さまのジユピタアが、貧しい老人に身をやつして、その岡の(すそ)をおとおりになりました。そこには富みさかえた立振(りっぱ)な家が(のき)をつらねていましたが、この貧しい老人、すなわちジユピタアを、大そうむごく(あつか)いました。食物はおろか、一ぱいの水をめぐもうとする人さえありませんでした。恐ろしい悪口をきくものもあり、うしろから石を投げつけるものさえありました。家はりっぱだが、その中に住んでいる人の心はこの上なくみにくい。ゆるしておくわけにはいかぬ、とジユピタアはお考えになりました。
 やがて村のはずれまでまいりますと、(かや)ぶきの貧しげな家がありました。おじいさんとおばあさんと二人、身にボロをまとって、その中に住まっておりましたが、この貧しい二人がジユピタアにはじめて慈悲(じひ)をほどこしたのであります。何一つめずらしいものはなかったけれど、二人の(あつ)い心づくしで、島に作られた野菜の料理が数々ならべられました。すすけた炉には、火が赤々と燃えたちました。ジユピタアははじめて()えと寒さをしのぐことができました。
 そのあばら家で一晩すごしたジユピタアは、つぎの朝早く二人の老人をともなって、(うら)の岡へ登りました。岡のいただきに立って、ふりかえってみますと、下は一めんの洪水(こうずい)で、村の家は残らず()しながされていました。その中にたった一軒(いっけん)、老人のあばら家だけが何のさわりもなく立っていました。見るまにそのあばら屋は金色にかがやいていかめしい神の御殿(ごてん)に変わりました。ジユピタアは貧しい老人のすがたから、これもまた神のすがたにたちかえりました。二人の老人はただただおどろくばかりでした。
「おまえたちの慈悲心にめでて、何なりと(のぞ)みをかなえてつかわすから申してみよ。」
とジユピタアはいいました。
 二人の老人はおそるおそる申しあげました。
「私どもはこの神の御殿のつかえ人になりとうございます。」
 願いはすぐききとどけられました。それから二人は、もう一つのお願いをいたしました。それは二人とも死ぬときに、同じ日同じ時刻でありたいということでした。これもききとどけられました。
 そしてジユピタアは天におかえりになり、二人の老人は神の御殿のつかえ人となりました。いく年かの月日がすぎまして、ある日のこと二人は御殿のうらの岡へのぼって、何かと物語りをしていました。ふと気がつきますと、お互いのからだはヒョロヒョロと細長くなって、足は地に()まって根となり、頭には緑の木の葉がそよいでいました。
 二人はしずかにうなづきあいました。おじいさんは樫の木となり、おばあさんは菩提樹となりましたまた。この上もない神木として、永くまつられることになったのです。村をうずめた大水は、今なお沼の形をのこしているそうであります。

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