昔の奇術師 土田耕平
支那のある田舎町の辻に、六十あまりの白髯の老人が、十二三の子供を相手に、さまざまの奇術を示していました。たとえば、子供の頭をポンと一打ちすると、たちまち水がほとばしり出たり、互いに手をつなぎあわせると、その間から火の玉がころがり出たり、なかなかめざましい見ものでありました。
老人と子供をとりまいて、二三十人の人が奇術を見物していました。商人やら百姓やらお役人やらいろいろの人が集まっていましたが、みんなねむたそうな顔つきで、長きせるをくわえて煙草をスパリスパリふかしています。支那人はもともとおおように生まれついているので、こんな奇術など何の心をひくこともないのか。それともまた、支那という国は奇術のさかんなところだけに、ふだん見なれてしまって、別にめずらしいと思わぬのかも知れません。
さて老人は、一時あまりもさまざま変わったしぐさをしてのけますと、やをら見物人の方へ向きなおって、こんなことをいいました。
「さあ、手品もこれかぎりじゃ、何なりと望みのものをいいなされ。客人の望み次第、どんなものでもひねり出して進ぜる。」
すると見物の中の一人の男がいいました。
「桃をくれ。」
「桃?」
「そう、桃なんだ。」
「これはいかい難題じゃ。今この寒空に桃のなる国がどこにあろう。」
時は冬のなかばで、目に見えるものは皆枯れつくしていました。
老人はしばらく首を傾けて、ふしぎな笑みをたたえていましたが、
「いやよろしい。客人の望みじゃ。天上の常夏の国へなりとまいらそう。」
と片袖のあいだから取り出した細引を、ピュウと一しごき振りあげました。するとその一端は矢よりも早く飛んで、天上高く雲とも霞とも分らぬところへ行って、さらりとひきからんだようすです。老人は.細引のはしを二三度たぐってみて、
「まずまずよかろう。道は通じた。小僧!」
とかたわらの子供をさしまねきました。
子供はたちまち細引にとりついて、するすると身がるくよじのぼりました。そのすばやいことは、毬をころがしたようで、見ているまにその姿は雲のあいだへかくれてしまいました。ただ細引だけが、凧のきれ去った糸のように、気味わるくゆらりゆらりうごいていました。今まで悠々たばこを吹かしていた見物人たちも、これには少しおどろいたようすで、みんな一せいに空を見あげました。
ただ老人だけはあいかわらず落ちつきはらった、ふしぎな笑顔で、片眼は見物人に向け、片眼は細引のかかっている天の方へ向けていました。やがて、細引の揺れかたが急にはげしくなったと見るまに、パタリ音がして落ちてきたものがありました。それは今しがた細引をよじのぼった子供の首でした。つゞいて落ちてきたのは、その胴、手、足です。老人はちぎれちぎれになった子供のからだを鞄の中へ入れてしまって、
「さて客人たち、このとおり子供はしくじりました。桃は手に入れることが叶わぬ。なれど、たってのお望みとあれば、この老人が行ってくるまでじゃ。」
「いやもうたくさんだ。」
と先に桃を所望した男が、うめくような声でいいました。
「では、これで御免々々。」
と老人は、おどろきあきれている見物人をしりめにかけて立ちあがりました。すると、その片手にさげた鞄が、ムクムクとうごいて中から飛び出したのは、五体そろって傷のあと一つない先の子供でした。老人は子供の手をひいて、スタスタ歩いて行ってしまいました。
昔はこんな奇術師をよく見かけたものだそうです。
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