西行の戻り橋 土田耕平
皆さんは西行法師を知っているでしょう。
西行法師ははじめ武士でありましたが、二十三の時に髪をおろしました。家を棄て妻子に離れ全くの一人ぼっちになりました。それから後の西行法師は、一張の桧木笠がじぶんの住処でした。夏のお日さまがかんかんと照りつける時も、冬になって雪や霰が降りしきる時も、西行法師はいつも同じ桧木笠の下に住んでいました。ある時は海鳥の飛びかわしている波うち際へ、ある時は兎や猪の走っている荒野の原へ、またある時は山家の煙がたなびいている静かな街道へ、じぶんの心の向くままに、この桧木笠の家を持って行くことができました。そうして西行法師は日本国中を行脚して歩きました。その行くさきざきで詠んだ歌は山家集という書物になって、今なお多くの人々に読まれています。
ある年のこと、西行法師は行脚して信濃の国へ参りました。佐久の布引観音へお参りして、それから別所の北向観音へ参ろうと思いまして塩田の原へさしかかりました。春もなかばをすぎて桜の花はもうすっかり散りました。今はやわらかい若草が一めんに萌え出て居ります。西行法師は大そういい心持ちになりました。いつも一人ぼっちの旅をしている人にとっては、自然の景色が何よりのお友だちです。秋草木が枯れる時は、じぶんの身も一しょに枯れしぼんで行くような心持ちになりますが、春は草木の伸びたつとともに、身も心も浮き浮きしてまいります。西行法師は桧木笠を傾けてあたりの景色を眺め眺めしながら、野原の一すじ道を辿って行きましたが、ふと足もとを見ますと、若草にまじってまだ短い蕨がむくむくと頭をもちあげていました。伸び出たばかりの蕨はふっくらと赤ん坊の振り拳でも見るようで、いかにも可愛らしいものです。西行法師は歌を作りたい心持ちになりました。両の眼を細くつぶるようにして歌言葉をいろいろと考えながら、とぼとぼと歩いて行きました。やがて塩田の原を通りこして山田峠の麓まで参りました。
「やれやれ」と西行法師は溜息をつきました。たった一つの歌が、その時はどうしても作り出せないのでありました。一休みしようと思いまして道ばたの石へ腰をおろしました。そして暫く腕組みをして考えこんでいますと、うしろの方で、とんとんとかるい足音がしました。ふりむいて見ますと、十ばかりになる美しい男の子が立っていました。片手に一握りの蕨を持っていましたのを、つと西行法師の鼻さきへ差し出しました。西行法師は思わずニッコリして、
「小僧さん、ワラ火を取って手を焼くな。」
と云いました。歌のことを一心に考えていましたので、我知らずこんな笑談が口をついて出ました。
すると男の子は、たちまちそれに答えて、
「法師さん、火ノキガサ着て頭を焼くな。」
と云いました。西行法師のしわかれ声にひきかえて、男の子の声は鈴をふるようにほがらかでありました。
西行法師は立ちあがりました。そして笠を脱いで男の子にお辞儀をしました。西行法師はじぶんが負けたことを知りましたので、何やらきまりの悪いような心地がして、さっさと歩き出しました。うしろで男の子の笑声がしましたが、ふり返ろうともせず、駈けるようにして峠道を登って行きました。
峠道はやがて木立の立ち掩うたところへ来ました。木々の芽は今吹き出したばかりで、どちらを見てもうす緑の幕をひきまわしたようです。あちこちに小鳥のこえが聞こえています。西行法師は男の子のことも歌のことも忘れてしまいました。足をゆるめてゆっくりした心持ちになって、木の芽の匂う中をぼつぼつと歩いて行きました。その中にお日さまも傾きまして、山風がひやひやと衣の袖を払う頃になりました。遠く近くボーンボーンと入合の鐘がひびきわたりました。峠の道を下りつくして向こうに村の灯の見えるあたりまで参りますと、そこに湯川と呼ぶ小さな川があって板橋がかかっていました。
西行法師は何心なく橋の上へ渡りかけました時、
「ヒノキガサきて頭を焼くな。」
と云った男の子の言葉がふとおもいうかびました。そしてあのうつくしい賢そうな顔が、チラリと目のさきに浮びました。西行法師は橋の上へ一足踏みかけたまま、何か考えこんでいましたが、つと踵を返してもと来た道の方へと歩き出しました。そして夕霧のたちこめた奥深く、西行法師の桧木笠はかくれてしまいました。
はるばる、訪ねてきた北向観音へお参りもせずに、なぜ西行法師は道をひき返してしまったのでしょう。また再び男の子に行き逢ったでしょうか。誰も知る人はありません。その湯川の橋は、今もなお西行の戻り橋と云い伝えられています。
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