ははき木物語            土田耕平


 むかし、京都に、一人のうつくしい(ひめ)がありました。ある夜の(ゆめ)に、日ごろ信心している住吉(すみよし)の神が、(まくら)がみに立って、
「おまえは、これから、信濃(しなの)の国園原(そのはら)というところへ行って、炭焼の吉次(きちじ)夫婦(ふうふ)になりなさい。それが、おまえに(さず)けられたこの世の運なのだから。」
 と(おお)せになりました。
 ふしぎなことに思っていますと、つづけて三晩とも、同じ夢を見ました。今は、神の()げをうたがうよしもなく、姫は、父母にむかって、夢の次第(しだい)をくわしく語り、信濃の国へ下ることになりました。
 一人旅の姫は、いっしんに住吉の神を念じつつ、はるばると山ふかい信濃の国へまいりました。神坂峠(みさかとうげ)という大きな峠をこえますと、神の告げにたがわず、園原とよぶ里があって、炭焼を業とする吉次が住んでいました。姫は吉次の妻になりました。
 姫は、吉次の妻になるとともに、身につけた金紗(きんしゃ)銀紗のたぐいを、ことごとくふりすてました。木綿(もめん)着物に姉さまかぶりの鄙女(ひなおんな)となって、朝夕、夫につかえて、立ち働きました。
 ある日のことでした。吉次はいつものように炭山へ出かけましたが、どうしたあやまちか、炭を焼きそこねてしまいました。そのまま山へ()ておくのも勿体(もったい)ないことにおもい、半焼きの炭を背負うてかえりました。姫はそれを見て、家に(まつ)ってある住吉の神にお(そな)えするようにと、すすめました。
 すると、一晩のうちに、半焼きの炭は、ことごとく、黄金に変わっていました。それから、吉次の一家は、富みさかえて、炭焼き長者といって、あがめられるようになりました。
 吉次は、姫がはじめて都からたずねてきた時の、うつくしい姿を思い出しました。
「わたしたちは、このような分限(ぶんげん)ものになった上は、炭焼き渡世(とせい)に年老いてゆくのも残りおしい。そなたは、たおやめの昔にかえって、うつくしい都ぶりを、もう一度わたしに見せてくれまいか。」
 といいました。しかし、姫はかるく笑っているのみでありました。
 吉次は、炭焼きの労苦(ろうく)が、日に日にうとましくなりました。ある日、吉次は、いまいましくなって、半焼きの炭をこしらえ、家に持ちかえりました。そして、神棚(かみだな)の下にそなえましたところ、それはいつまでたっても、黄金に変わろうともしません。のみならず、家のうちに山と積んであった黄金も、だんだん光がうすれて、みな半焼きの炭になってしまいました。
 姫のようすは、いつともなくしめやかになって、父母のいます西の方をながめては、ひとり(なみだ)をこぼしました。吉次がいくらなぐさめても甲斐(かい)がありませんでした。
 あるとき、姫がいつものように、西の方をながめていますと、はるか小高い(おか)の上に、なつかしいお母さまのすがたが、ありありと見えて、手招きをしておられます。やれなつかしやと、()けよって見ますと、それはお母さまではなくて、一本の名も知らぬ木が、枝葉をそよがせているのでありました。
 人々は姫の心をあわれんで、その木をははき木とよぶようになりました。
 今でも信濃の園原には、ははき木が残っていると、言いつたえられています。しかしそのははき木というは、とおくから見ますと、天をつく巨木(きょぼく)でありながら、近づいて見ると、かげかたちもなく、はかなきもののたとえに語りつたえられているのであります。

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