夢の鯉 土田耕平
むかし近江の三井寺に、興義という坊さんがありました。画をかくことが大そう上手で、仏像山水花鳥何でも自在にかきあげましたが、とりわけて鯉の画が上手でありました。興義は寺のおつとめをする隙には、琵琶湖へ小舟をうかべて漁師らが釣をしたり網をひいたりしているところへ漕ぎより、鯉と見ればすぐに買いとって、もとの水の中へ放ってやりました。そして鯉がうれしそうに跳ねおどるのを見て、それを画にうつすのでした。興義はあまり鯉の画に一心になっていましたので、よく鯉と一所に水の中をおよぐ夢を見ました。そんな時は目がさめるとすぐに筆をとって、その夢の鯉をえがきました。興義はそれを自ら「夢応の鯉魚」と名づけて、何より大切にしてしまっておきました。
興義の画が大そう上手であることを知って、人々はみな欲しがりました。興義は少しも惜しむことなく、欲しがる人には誰彼のへだてなく呉れてやりました。ただ「夢應の鯉魚」だけはどうしても手離しませんでした。興義はたわむれてこんなことを云いました。
「おまえさん方、殺生をしたり膾をたべたりするような人たちには、この鯉はなかなかさしあげられませんね。」
こうして画をたのしみに年月を送っておりますうちに、興義はふと病みついて、わずか七日床についたばかりで目をとじ息をたえてしまいました。お弟子たち、また知人たちはあと枕にとりついて悲しみましたが、今はどうしようもなく、泣くなく葬のしたくをはじめました。その一人のお弟子が、興義のからだを棺に入れようとして、その胸へ手をふれました時、かすかな温みをおぼえました。おどろいて人々に告げました。人々も手をあてて見て、やはり温みのあることを知りました。みないぶかしく思いながら、しばらく葬をさしひかえておりますうちに、三日目の夕方になって何やらそのからだが動き出すようでしたが、たちまち溜息をついて目を見ひらきました。
「やれやれ、わしは幾日ねむっていましたかな。」
と興義は人々の顔を見まはしながら云いました。
みな喜ぶこと限りなく、興義の手をとり足をなでしながら、今までの容態を事こまかに語り、
「ほんとにもう少しで棺へお収めするところでした。」
と云いました。
興義はうなずいて、
「誰でもよろしいから、早く檀家の平の助殿の宅へ行って、助殿を呼んできて下さい。あの人は今酒もりをして新しい鯉膾をつくらせています。早くここへ呼んできて下さい。」
と云いました。すぐに使を走らせて見ますと、興義のことばに違いなく、あるじの助は、弟の十部、家の子の掃守などと一所に酒もりをしておりました。助は、興義がよみがえったと聞いて、箸もなげすててお寺へ駈けつけました。十部も掃守もそのあとへつづきました。
興義はすっかり元気になって、床の上へ起きなおってていましたが、助の顔を見てにこやかに、「よくおいで下されました。さつそくお尋ねしますが、君は今朝漁夫の文四に鯉をおあつらえになったでしょう。」
「ハイ。どうしてそれを御存知ですか。」
と助はいぶかしそうに云いました。
興義はことばをついで、
「そこで文四は君のおもとめによって、三尺あまりの大鯉を一匹籠に入れて君の宅へまいりました。その時君は弟御と碁を囲んで居られ、掃守どのはかたわらで桃を食べて居られたが、文四が鯉をたずさえて来たのを見て大そう喜び、桃を与えまた盃をとらせ、その鯉は料理方に云いつけてさっそく膾に作らせました。どうです。わたしの云うことに違いありますまい。」
助は、おどろき且つあやしんで云いました。
「全く興義殿の云われるとおりです。病の床に正体もなくて居られた君が、どうしてわが家の出来ごとをこまかに御存知なのか。どうぞくわしい話をきかせて下さい。」
そこで興義は、助はじめ皆のものに次のような話をいたしました。
病の床にうつらうつらしていた興義は、いかにも身体が熱苦しくてなりませんので、
しばらく涼風に吹かれたく思い、杖にすがって門の外へ出て見ました。すると身もかろがろとして病も忘れたように覚え、足にまかせて歩いて行きますうちに、湖水のほとりへ出ました。青々とすみたたえた水を見ますと、急に水をあびてみたくなり、着物をぬぎすてて淵をめがけて身をおどらせました。興義は日ごろ泳ぎの心得もありませんのに、ふしぎに楽々と身が浮かびます。うれしいことに思い、あちこちと泳ぎまわっていましたが、清らかな水をすかして大小の魚どもが遊んでいるのを眺め、じぶんも魚になりたい心地がしました。と、かたわらに見えた大きな魚が、
「あなたの願いはたやすく叶います。しばらくお待ち下さい。」
と云い置いて、水底はるかに身をかくしました。たちまち目のまえにうつくしい装束をした人が、さきの魚にまたがってあらわれ出で、
「あなたはかねがね私ども魚のいのちを数多く助けて下さいました。その御礼に金鯉の服をさしあげます。これから自由に湖の中をお遊びなさいませ。ただ釣糸にかからぬようくれぐれも御注意なさることが大切でございます。」
と言葉がおわるとともにその姿は見えなくなりました。興義はじぶんのからだをかえりみますと、いつの間にか金色の鱗につつまれたみごとな鯉に変わっております。尾をふり鰭をうごかすにつれて、右左おもいのままに走ることができます。興義は夢うつつともなく、ひろい湖の中を藻を分け岩をくぐり、いく日いく夜とも覚えず遊びまわりました。
そのうちに大そうお腹がすいてきました。何か食べるものはないかと、だんだん岸の方へ泳いでまいりますと、葦の間の船から釣糸が垂れて餌がひらひらうごいております。鯉の興義はさきの戒めを思い出しましたが、目のまえにこうばしい餌のかかっているのを見てはいかにも我慢ができなくなりました。船の釣手は一体誰であろうかと水の中からすかして見ますと、それはかねて顔なじみの漁夫の文四でありました。
文四ならじぶんに害を加えることもあるまいと、大きな口をあいてパクリとその餌を呑みました。と、たちまち釣糸に身をひかれて、船の上へとりあげられました。
「これ文四、何をするのか。わしは寺の興義であるぞ。」
と呼びましたが、文四は何知らず顔に、鯉の興義を籠の中へ投げこみ、船は岸へつなぎすて、やがて平の助の宅へと持ちはこびました。その時、助の宅では、あるじと弟の十部が碁の遊びをし、家の子の掃守が桃をたべていたことは前に云ったとおりであります。
鯉の興義は大声をあげて叫びましたけれど、誰ひとり聞き入れるようすもありません。
「みごとな鯉である。」
と云ってみな手を打って喜んでおります。やがて料理人のために狙板の上に載せられ、むざんや研ぎすました刃物を首にあてられると覚えて、興義は我にかえりました。
興義の話を聞いて人々は、世にもふしぎなことであると恐れあやしみました。中にも平の助は、すぐさま人を走らせて、その鯉膾をみな湖水へ棄てさせました。興義の病はぬぐうたように癒えて、老年まで生きのびたそうであります。惜しいことに、その鯉の画は世に残って居りません。それは興義が死ぬ間際に、みな湖水へ投げ棄てさせたのです。その時鯉の姿が紙を離れて、水の底へ泳いで行ったと云われています。 −「雨月物語」に依るー
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