法華経を写した話 土田耕平
むかし、越後の国のある山寺に、ひとりの僧が住んでいました。毎日、持仏堂にこもって、法華経をよむのに余念なく、月日を送っていました。
堂のうしろには、山の老木が昼もくらいほど立ち茂っていました。僧は、いつも、経をあげたあと暫くは、目をとじて、あたりの静けさに聞き入る様にしているのがならいでありました。
ある日のこと、そうして坐っておりましたとき、木の葉のそよぐ音がして、きゃんきゃんとつづけさまに、猿のなく声がしました。
「ホウ、猿がお経をききに来たと見える。」
僧は、うなずきました。ただひとりぼっちの僧は、こんな些細な出来ごとに、ひどく心をうごかしたのでした。
つぎの日のこと、僧がお経をあげたあと、また持仏堂のうしろで、きのうと同じく、猿のこえをききました。立ちあがって、窓をあけて見ますと、一匹の年とった猿が、木の間をわけて、むこうへ走ってゆく姿が見えました。
つぎの日も、またつぎの日も、猿は同じようにやってきました。そのようすを考えますと、僧がお経をあげる間、堂のうしろの、石の上かなどに、うずくまっているらしいのです。お経がすむと、あわれな鳴きごえをのこして、木の間にすがたをかくしてしまいます。
「猿は人間に近い生きものだ。同じく経の功徳にあずかることができるであろう。」
僧は、そう思いました。ある日のこと、読経なかばにふいと、立ち上がって、窓をあけて見ますと猿はおもったとおり、窓の下にうずくまっていました。僧を見あげたその顔つきは、いかにも親しげで、何かもの言いたそうにしております。僧は猿にむかって云いました。
「わしはな、法華経八巻を書写したいと、年ごろ願っているのじゃ。けれど、見るとおりの貧しい身の上で、紙をととのえることが出来ない。なんと工夫はあるまいか。」
猿は頭をたれて、僧のことばを聞いているようすでしたが、しっかりうなずいてみせて、木の間にすがたをかくしました。
さて、つぎの日、まだ夜もあけきらぬ時分のこと、持仏堂のうしろで、常ならぬけたたましい、もの声がおこりました。
僧はいそぎ寝床からおきて、窓からのぞいて見ますと、いくらとも知れぬ大猿小猿どもが、手に手に楮の皮を抱きかかえてきて、堂裏の庭へなげ捨てて、森の中へ姿をかくしてしまいました。あとには、みごとな楮の皮が、山のようにつみあげられてありました。
「おお、これは大したおめぐみだ。」
と僧は、よろこびの声をあげました。これだけの楮があれば、法華経をうつしあげるに充分の紙が得られます。
僧は、まだ一匹の猿が、そこにうずくまっているのに気がつきました。それはきのうまで毎日、経をききにきた、あの年とった猿でありました。
「ああお前だったのか。」
僧は、いそいで庭へとび下り、猿の手をとって、おしいただきました。
それから幾日かの後、僧は持仏堂にこもって、法華経の書写をはじめました。猿のもちあつめた楮の皮は、りっぱな奉書紙に、作りあげられ、その一枚一枚に、経の文字が書きうつされていきました。
そして年とった猿も、むだには時をすごしませんでした。山の中をかけまわって、木の実や、山の芋などをさがしもとめて、寺へはこびました。僧は日々の食べものに、心づかいをすることもいらず、専念に仕事をつづけることができたのであります。
やがて、まる一年の月日がたちました頃には、法華経八巻のうち、五巻まで書きあげてしまいました。僧はまだ年若でありましたので、すこしも倦み疲れたようすはなく、いよいよ筆がはかどりました。けれど、猿は、この一年のあいだに、めっきり年とっておとろえました。夕方になって、木の実などをかかえて来るようすが、いかにも力なく見えました。そのたびに僧は、
「もうしばらくだぞ。辛棒してくれ。」
こう云って猿をはげましました。
とある日のこと、夕方になっても、猿の姿が見えません。どうしたのだろうと、ふしんに思いながらも、僧は書写をつづけて、その晩は寝てしまいました。あくる日になったが、やはり猿の姿は見えませんでした。
はてどうしたのだろう、僧は猿のことが気になってなりませんので、書写の筆をうちおき、山のあいだを、歩きまわって、ようやくその姿を見つけました。あわれ、老いほけた猿は、山の芋を取ろうとして、みずから掘りさげた穴の中へ落ちこんで、死んでいたのでありました。僧の悲みは、たとえようもありませんでした。猿のなきがらを抱いて寺にかえり、幾日幾夜、手厚い供養をしましたが、さて、その後、法華経の書写をつづけるはげみがなくなってしまいました。いく度筆をとってみても、
「ああ、可哀そうな猿よ。」
と思うこころが一ぱいで、経の文字も目には入りませんでした。とうとう僧は、経五巻を写したままで、のこりの三巻は思い切ってしまいました。
月日のすぎ去るのは早いものであります。四十年は夢のまに過ぎて、むかし若かった僧も、今はもう七十あまりの老人になり、写しかけの経のことも、あわれな猿のことも、忘れるともなく、忘れはててしまい、ただひとり、山寺に日を明し暮らしておりました。
そこへ、思いがけなく、たずねてきたのは、こんど新たに、越後へ赴任してきた、記躬高朝臣という人でありました。老僧は、何用であるかと思い、出迎えましたところ、国守は、いいました。
「御僧は今から四十年前に、法華経をお写しになったことがあるでしょう。」
「はい、そんなことがございましたかな。このとおり老いぼれて、何もかも忘れてしまいましたが――」
僧はしばらく目をつぶって考えこんでおるようすでしたが、
「いや、たしかにございましたわい。五巻までは写して、そうしてそのあとは――」
とことばをつづけているうちに、老僧の目からとめどなく涙があふれ出ました。もうながい年月のあいだ、忘れていた猿のことを、思い出したのであります。僧の顔を、見守っていた国守は、
「ああやっぱり正夢であった。」
と言いました。
国守がはじめて越後へ赴任してきた、その夜のこと、夢の枕に仏様があらわれて、お前の前世は猿であったが、法華経書写の僧を供養した功徳によって、こんど人間の身に生まれかわることができたのだ。しかし経は五巻だけ写されてまだ三巻残っている。どこそこの寺をたずねて、早くその住職に逢うてみるがよい。というお告げがありました。で赴任早々この山寺をたずねてきたのでありました。
国守の語る次第を、つぶさに聞きとった僧は、今さら感に堪えませんでした。かつて、法華経書写の中途で、あえなく猿の死に逢ったときは、仏様の慈悲を疑う心をおこしたのでありましたが、そのあやまちを今ふかくさとりました。
国守は、あまりに年老いた僧の労苦をおもって、書写のつづきを他の誰かにゆずらせようと言いました。しかし、僧は、
「仏さまのお慈悲にすがって、ぜひ――」
こう言って、四十年ぶりで再び、書写の筆をとりました。ふしぎな力が、老いの身に加わって、その筆力は生き生きと、若き日のごとく、残り三巻の文字を、またたくまに書き上げてしまいました。
今、乙寺と呼ぶのが、その昔語りの跡であります。
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