岡のかなた 土田耕平
一人の老人がありました。病気になって、もう長いこととこについたきり、身うごきさえできませんでした。老人の家は、まちのなかのむさくるしいところでした。窓の外には、くずれかかった隣のあら壁が日をさえぎっていて、一日じゅうお日さまの光を見ることもできません。あわれな老人はうすぎたない壁を毎日ながめ暮していました。
ある日のことです。大雨がふって、たぶん屋根から雨もりのしずくがつたわったものでしょう。その壁のおもてに、一すじのまがりくねった線が、ふででなすったようにしみ出ていました。老人は寝床から、その線の形をながめていますと、それが一枚の画のように思われてきました。
「ああ岡だ。むこうの方が高くもちあがって、こんもりとやぶが茂っている。そして鳥がとまっている」
線がふとくしみて、ぼやけているところが、老人の目にはさまざまのものの形に見えました。
老人はじぶんがまだ子どもであった、遠いむかしのことを思いうかべました。森や岡につつまれた故郷のけしきを思いうかべました。壁にえがき出したこの岡は、雨のいたずらではない。神さまが、この病みほけたわしをなぐさめるために、むかしの故郷のけしきを、そのままここに示して下さるのだ、老人はそんなふうに考えました。岡のむこうには、小川が流れ花が咲き、子どもたちが走りまわっている。その中には幼い自分のすがたもまじっているのだ――ヤレヤレと老人はため息をつきました。そして目には涙さえうかべていました。けれど、老人の心はたいそうなぐさめられたのであります。
つぎの日に見ますと、壁にかかれた岡のけしきは、ぼんやりときりでもかかったように見えました。それは雨もりのしみが乾いてうすくなったためでした。
「春になったんだな」
あわれな老人は床の中でつぶやきました。そうすると、岡の上いちめん、うす緑の光がさして、やぶにとまっていた鳥は、枝をくぐって動きはじめ、やがてパッと舞いたって、岡のかなたへとんで行きました。
と、子供たちの唱歌、
春が来た、春が来た、
どこにきた
がはっきり聞えてきました。
老人は両手をのばして、床の上に起きなおりました。そしてなんの疑うこともなく、岡の方へ、子供の声のする方へと歩いて行きました。もはや老人のからだは、すっかりすこやかになり、目も耳もむかしのようにさえてほがらかになりました。やわらかな空気、若草のにおい、鳥のこえ、春のめぐみはすべてのものに満ちわたりました。
つぎの日、近所の人々は、老人の死んたことを語りあっていました。しかし老人のたましいがどこへ行ったかは、だれも知りませんでした。
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