夕焼の歌            土田耕平

   夕焼、小焼、
   あした、天気になぁれ……
 なんといい歌でしょう。(みな)さんのような少年のむかしがなつかしくなり、故郷(こきょう)の空がこいしくなるのは、この歌です。
 私は信州(しんしゅう)諏訪湖(すわこ)のほとりに生まれ、そこで大きくなりました。諏訪湖は浅いたまり水の湖水(こすい)で、まわりの山は木がとぼしく、(みね)が低く、けしきとしておもしろみの少いところであります。ただあの盆地(ぼんち)の空に見る夕焼(ゆうやけのうつくしさは、たとえようもありません。私は大きくなってから、あちこちの国の夕焼を見ましたが、諏訪の空がいずれにもまさっていることを知りました。インドはたいそう夕暁のうつくしい国だそうです。それで、遠いむかしインドの人は、西の空をながめて、あのはるかむこうに極楽(ごくらく)世界があるということを考え出しました。夕焼の空をながめていますと、遠いとおいあこがれの心がわいてきます。私はまだおさないころ、湖水のほとりに立って、鉢盛山(はちもりやま)の空が夕方おそくまでそまっているのをながめた、その心持ちがいまだに忘れられないのであります
 たんぼの(いね)がかりとられて、(しも)がまっしろにふりますと、たくさんのいなご(・・・)たちはぼろぼろと死んで行きます。空をうずまくように()れとんだとんぼ(・・・)も、見るみる数がへって行きます。夕焼のいちばんうつくしいのはそのころです。土蔵(どぞう)白壁(しろかべ)があかるく反射(はんしゃ)した村のひろばで、私たち子どもなかまは、男の子も女の子もいっしょになって、わけもなく大さわぎをしているうちに、「お夕はんだよ。」という声に、一人二人とみなちりぢりになってしまいます。私も家にかえろうと思いながら、湖水のむこうをながめますと、夕焼のなごりがまだ空をそめています。もえるような光はしずんで、一片(いっぺん)旗雲(はたぐも)が、深い黄金色(こがねいろ)にこりかたまり、雲と山との間のわずかの空が、水をたたえたふち(・・)のようにすみとおって見えます。急に一人ぼっちになって、しいんとした私の心は、その遠いお光をどんな気持でながめたことでしょう。それは大人になっても老年になっても、いつまでも変わることのない深い気持であろうとおもいます。
 私が一人たたずんでいるところへ、家の祖母(そぼ)がむかえにきてくれます。
「さあさあお帰りよ。」 といいながら、祖母もしばらく遠い空をながめております。そして、低い声で私にいいきかせるように、
   夕焼、小焼、
   あした天気になぁれ………
を口ずさむのでした。やがて祖母と二人手をひきあって、丘の上の道をかえって行きますと、木の間の家にはもうあかりがついていました。

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