王になりそこねた(きつね)       土田耕平

 これはインドのむかし話です。
 一ぴきのきつねがありました。ある日のこと山寺のうらを通りかかりますと、お(きょう)をよむ声が聞こえました。きつおはしばらく立ちどまって、きき耳を立てていました。そのお経のことばに、
「たとえけだものなりとも、心高く持たば、ものの王たるべし。」
という一句(いっく)がありましたので、きつねはみちみち考えました。おれはけだものだ。たとえけだものでも心高く持てば王になれるというのだ。お経のことばにいつわりはあるまい。おれもけだものに生まれたからには、一度獣王(じゅうおう)になってみたいものだ。しかし心を高く持つとは、いったいどうすればよいのか。心? 心? 心というものはどこにあるのだ。
 きつねはしきりに考えていましたが、やがて前足をあげてポンと打ち、
「ここだここだ。」
 きつねは頭をグッと高く持ちあげて、ゆらりゆらりと歩いて行きました。
 するとむこうから来た一ぴきのきつねが、
「たいへんなやつが来たワィ。これはきつねの王かもしれないぞ。」
と思いましたから、わきへよってうやうやしく平伏(へいふく)しました。
 頭を高く持ちあげたきつねは、たちまちその背中(せなか)()び乗って、
「進め。」 といいました。
 きつねに乗ったきつねが、(いきお)いよくかけて行くのを見て、山じゅうのきつねはみなとび出しました。そして、
「きつねの王さま、きつねの王さま。」
と口々にわめきながら、その後へぞろぞろとついて行きました。やがて何百何千とも知れぬたいへんなきつねの行列(ぎょうれつ)ができあがりました。
 そこへ一ぴきのおおかみが来ました。おおかみはじっときつねの行列を見ていましたが、
「何千何百のきつねがこようとも、それに(おそ)れるおれではない。ただ、あのまっ先に立ってきつねに乗っているやつはなみのきつねではあるまい。うっかり手出しはならぬぞ。」
と思いましたから、きつねの行列が近づいて来るのを待って、道ばたへ平伏しました。
 頭を高く持ちあげたきつねは、さっそくおおかみの背中へ乗りうつりました。そして、
「進め。」 といいました。おおかみはきつねのいきおいにすっかり気をのまれて、その号令(ごうれい)どおりに歩き出しました。あとからは数限りないきつねがぞろぞろとついて行きます。
 このありさまを見て、山じゅうのおおかみはみなかけ出して来ました。そして、
「王さま、王さま。」
とわめきながらそのあとへつき(したが)いました。きつねの数にまけぬほどたくさんになりました。
 そこへ一ぴきのとらが出てまいりました。
「なんとすばらしい行列だろう。おおかみが何百何千来ようとそれに恐れるおれではない。きつねなんどはおれの鼻息(はないき)()きとばすにはたらぬやつどもじゃ。ただ、あの真先(まっさき)に立っておおかみの背にまたがったきつねはじんじょうのきつねではあるまい。うっかり手出しはならぬぞ。」
と思いましたから、道をゆずってうずくまっておりました。
 頭を高く持ちあげたきつねは、おおかみの背中からとらの背中へとびうつりました。そして、「進め。」 とさけびました。
とらはきつねを乗せてすごすごと歩き出しました。
 このありさまに、山じゅうのとらはみなかけ出して来て、その後へつき従いました。とらにおおかみにきつねにその他山じゅうのけだものはみなかけ出して、われもわれもと後に従いました。
 すると、そこへ一ぴきのししが出てまいりました。ししは金色のたてがみをもたげて、じっとこちらを見ております。今まで勢いよく歩いていたけだものたちは、ししを見ると一度に足をとめてしまいました。頭を高くもちあげたきつねは、今さらあともどりするわけにも行きませんので、声をはりあげて、
「むのども歩め!」 とさけびました。そこで、またけだものたちはぞろぞろ歩き出しました。
 ししはこれを見て、
「とらに乗ったきつねはとらよりも強いにちがいない。すると、このわれとどちらが強いだろうか。ひとつ組みあって勝負(しょうぶ)をしてみょうか。」
と思いましたが、きつねがいよいよ頭をもちあげ耳をそばだてて、こちらへ近づいて来ますので、とうとう気おくれがして、道ばたへうずくまってしまいました。
「どうじゃ。(おそ)れ入ったか。」 と、きつねはいたけだかにいいました。
「ハイ。」 と、ししは頭をさげました。
「そちの背中へ乗るがよろしいか。」
「ハイ。」 ししは全く平伏しました。
 頭を高く持ちあげたきつねは、ししの背中へ乗りうつりました。これでいよいよおれも獣王になったのかと思うと、きつねはうちょうてんになりました。声をふりしぼって、「進め。」 とさけびました。
 ししは、やおら身をもたげて前足をはり、はるかむこうをグッとにらまえました。
「どうしたのじゃ。」 と、きつねが問いますと、
「一度ほえようとおもいます。」 と答えました。
「何? ほえるとな。」
「ハイ。私どもししは、さあこれからかけ出そうとする時には、腹いっぱいの声を出すのが習慣(しゅうかん)でございます。」
 ししのことばを聞いて、うしろにつき従っていたけだものたちは、みなガタガタふるえ出しました。
「待って下さい。待って下さい。ししどのの叫び声をまのあたり聞かされてはたまったものではない。」 と、とらやおおかみは耳をおさえて地べたへ平伏してしまい、きつねやその他(よわ)いけだものたちは森の中へ逃げこんで行きました。
 さあ困ったことになったと、頭を高く持ちあげたきつねは急におじけだちましたが、もうどうしようもありません。ししのたてがみをしっかりにぎりしめているばかりです。ししはまず低い声で、「ウウウ――」と、うなり出しました。
 その声は、きつねの頭から足のさきまでビリビリとしみわたりました。それからししは少し首をあげて、二度目の声を発しました。きつねはもうたまらぬここちになりました。ししが三度目の声を発した時、きつねは背の上からはじけるようにころげ落ちてしまいました。
 ししは、じぶんの背中が軽くなりましたのでふりかえって見ますと、今まで王さまとばかり恐れていたきつねは、正体(しょうたい)もなくそこにころげています。
「なんだ。ただのきつねじゃないか。ばかにしているな。」
といまいましそうに(した)うちして、ししはじぶんの()へ立ち去ってしまいました。
 多くのけだものたちの中には、気絶(きぜつ)したものも多くありましたが、やがてみな息を吹きかえしました。ただ、王になりそこねたきつねだけは、ふたたび起きあがることができませんでした。

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