八の字山         土田耕平

 私が(おさな)いころ、いちばんさきにおぼえた字は、八という字でありました。これは、先生から習ったのではない。山が教えてくれた字であります。
 村のうしろに、雑木(ぞうき)山が二つ向きあっている間から、すりばちをふせたような形の山が、のぞいていて、そのまん中どころに、大きな八の字が書いてあるのです。それは、岩のかたまりが、すそひろがりに二すじ長くつづいているのでしたが、遠くから見ると、りっぱな八の字になっています。わたしどもは、その山を「八の字山」と呼び、その岩を「八の字ゴウロ」と呼びました。
 前の雑木山へは、近所の子供といっしょにつれだっで、きいちごつみや、くりひろいに、よくあそびに行きましたが、八の字山は、高い山なので、まだ登ったことがありませんでした。たしか小学校へあがった春の日曜日だったとおぼえています。朝のごはんをいただいていると、お父さんが、
「きょうはいいところへつれて行ってやる。」 といいますので、
「どこへ?」 ときくと、八の字だという返事(へんじ)。わたしは、こおどりしてよろこびました。お父さんは、毎日、町のお役所へかよっていました。そして日曜の休みには、一日(おく)の間で本をよんでいて、外へ出かけることなど、めったにありませんでした。そのお父さんといっしょに山登りするということは、考えただけでも、うれしいことでありました。
「お父さん、八の字の道を知っているの?」
「知っているとも。」
「のぼったことがあるの?」
「あるとも。」
「いつ?」
「そうさ、いつだったかな。おまえがまだ生まれないころだろう。」 といってお父さんは笑いました。
 お母さんに、おにぎりをこしらえてもらって、遠足に行くときのような身じたくをして出かけました。
 やわらかく春の草がもえ出た、ほそい一本みちが、なだらかに山に向かっています。ステッキを片手に、まきたばこをすいながら、ゆっくりゆっくり歩いているお父さん。おにぎりの(つつ)みをしょって、先に走ったり、立ちどまったり、いそいそと行く幼い私。あたりの木立(こだち)には、うぐいすやめじろがまなくさえずりかわし、お日さまの光がうらうらとして、ほんとにいいお天気でした。
 前山がせまってきて、八の字は、そのかげにだんだん見えなくなります。道が二つに分かれるところへ出ます。私はいつも前山へのぼるときとはちがった方の道を指さして、
「お父さん、こっちだろ。」
「ウム、そうだ。」
「まだ、とても遠いの?」
「ウム。」
 すいしょうのようにすきとおった水が、ざんざん音をたてている谷川にそって、山と山のあいだを登って行きますと、さっき見えなくなった八の字山が見えてきます。下で見たときと、ちっとも変わらないくらいの遠さに見えるけれど、八の字の形がゆがんで、右の(ぼう)がちゅうとでちぎれているのが、目につきました。そして、山の原っぱが、うすくみどりがかって見えました。
 お父さんは、()いかけのまきたばこを、川の中へ投げこみますと、ジュツといって、水の中へ(しず)んで行きました。
「おべんとうが重たいだろう。お父さんによこしな。」 おにぎりの包と、お父さんのステッキと、取りかえっこしました。
 川の水は、だんだんほそくなって、やぶの中に見えたりかくれたりして、流れています。道が急に左に折れて、川と分かれわかれになるところで石に腰かけて一休みしました。わたしは、おにぎりといっしょに包んできた水筒(すいとう)を、ふろしきから出して、川の水をつめました。
「おとうさん、この水ぬくいよ。」
「そうか。わきだちの清水(しみず)だからな。」
 山風が、さっとふきおろしてきて、うぐいすの声が、しばらくとぎれます。しんとしばらくなんの音もきこえません。
「さあ行くぞ。」
 立ち上がって、お父さんに手をひいてもらって、急な坂みちをのぼって行く。()の高い枯草の間に、地べたへはいつくようにして、青いつめたい小草が、いっぱい頭をもたげています。
「春だ。春だ。」
 歌うようにいうお父さんの声をきいて、わたしも、なんだかうれしくてなりませんでした。
「やれやれ骨が折れるな。」
 お父さんが足をとめるたびに、私も立ちどまって、上の方を見あげる。八の字ゴウロはどこにあるのか、まるでけんとうがつきません。山の腹が大きくふくれて、落ちかかるように見えるだけです。ハァハァ(いき)をつきながら、また登って行きます。
 山の向きが変わって、お日さまの光が、背中(せなか)いっぱいにあたってきました。
「そら、来たぞ」
 お父さんにいわれて、顔をあげて見ますと、すぐ頭の上のところに、大きな黒い岩が一つ、枯れ草の中から、のりだすようにしていました。
「八の字ゴウロだ。」
「そう、これが?」
 かどのとがった、おそろしそうな岩でしたが、うしろへまわりましたら、わけなく、よじのぼることができました。そして山の上の方へかけて、同じような形の黒い岩が、いくつもいくつもころがっています。
 お父さんは指さして、
「これが八の字の右の棒だ。」
「左の棒は?」
「左の棒は、ここでは見えんな。どうだ。大きな八の字だろう。むかし、てんぐさまが書いたのだ。八万八千と書くつもりなのが、八の字一つかいたら、山いっぱいになってしまった…‥」
「八万八千って、なに?」
「てんぐさまのとしだろうさ。」
「そう。」
 私は、お父さんとならんで、岩の上へ腰かけました。いつもあそびに行く前山の(みね)の草っぱらが、ふみ台かなどのように、目の下に小さく見えました。
「やあ、おれの家が見える。見える。」
 私は、声をあげました。お父さんは、うまそうにまきたばこをふかしながら、
「おべんとう、たべないか。」
「ここで?」
「ウム。」
「もっと上へ行かないの?」
「じゃ、ゴウロのはしまで行くか。」
 岩からとびおりて、つぎの岩、つぎの岩とよじのぼっていきました。やがて、岩がなくなりましたので、これでおしまいかとおもってたら、むこうにまた、大きなのがころがっていました。そして、またいくつもいくつも数しれぬほどつづいていました。
 とうとう、大の字のはしへ来ました。山はまだ上の方へのびて、枯れ草がぼうぼうとしていますが、岩はこれでおしまいでした。そのいちばんはしの岩の上へのぼって、お父さんといっしょにおにぎりをたべ、水筒の水をのみました。お父さんは、岩の上へあおむきに寝て、目をつぶっている。私は、うつぶしになって、村の方を見下している。谷川の音がさんさんときこえます。
「お父さん、きこえる?」
「ウム。きこえる。」
「何が?」
「何がって、川の音だろ。」
「そうだ。」
「………」
「お父さん、ねぶたい?」
「ウム。」
「おれ、ねむたくない。」
「………」
 お日さまは、お昼すぎになって、ほかほかとあたたかくなりました。何か知らない鳥が頭の上をかすめてとびました。
「お父さん、かえろうか。」
「ウム。かえろうか。」
「こんどは、向うの方を――」
「よしよし。」
 お父さんの後について、やぶの中の道のないところをわけて行きますと、八の字の左の棒へつきました。やっぱり同じような、黒い大きな岩がころがって、これは、下の方へずっとのびていました。
 家へかえったのは、まだ夕日ののこっているころ。庭へ立ってふりかえって見ますと、八の字山の八の字の形が、山へのぼる前に見たとは、なんだかちがう字のように見えてなりませんでした。目に見えぬ底力(そこぢから)が、字のうらに感じられました。

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