私が十一か二の年の、冬の夜だったとおぼえている。お父さんは役所の
「
「ええ。」 とからへんじをしたままでいると、
「孝一や。」 と、またお母さんの声がする。私は読みさしの本を置いて、顔をあげた。お母さんは、ぽっとほほを赤らめて、(これはお母さんのいつものくせだった)
「あのね、お前
「ええ?」 と私は聞きかえした。おかねをいただいて買いぐいをしたことなど、一度だってなかった。まして、お母さんから、そんなことをいい出したことなどあろうはずがない。
私はなんだかうそのような気がして、ぼんやりお母さんの顔を見ていると、
「あのね、じゅくしを一つ買ってきておくれよ。おいしいだろうと思うから。」 とお母さんは、顔を赤くしてまたいった。
かりかりと氷った冬のじゅくしほど、身にしみておいしいものはない。私はいなかの
「ああ、買って来るよ。」 と答えて、こたつからはねおきた。お母さんは、たんすの引出しから、
「これで、大きなのを一つ買っておいで。」 といった。
私の家は、細いろじの
大通りへ出たすじかいに、くだもの屋のあることは、よく知っていたけれど、ふだん買いつけたことなんかないので、なんといってよいか、すぐ
「ぼっちゃん、なんですい。」 といわれて、私は少しまごついてしまって、
「か、かき。」 といった。店さきには、みかんやバナナが山のようにつんであって、かきなんか見えなかった。
「はい、これが二銭、この大きい方が五銭。」 とじいさんの指さす方を見ると、店のすみの方に、たんとはなかったけれど、うす皮のまっかにじゅくしたかきが山もりにしてあった。
私は大きい五銭のを一つえりとって、氷のように冷たいやつを、両手でにぎりしめて、かけてかえった。
お母さんは、こたつの上に
お母さんは、かきを二つに切って、大きいぶんを私の前において、
「さあ、お食べよ。」 といって、小さい方を自分で小口に食べながら、
「ああ、おいしいわね。」 といった
お母さんは今は生きてはいない。そして、一生