せみのぬけがら      土田耕平


 夏になりました。お日さまは、空の上から大きな声で、
「みんな、目をさませめをさませ。生まれ出ろうまれでろ。」 と呼ばっております。まずかえるが目をさまして、ガヤガヤとなき出し、つぎにおけらがジイジイとつぶやきはじめます。かまきりは長いかまをふりふり、草の中からおどり出し、とかげは金ぶむめがねをかけて、ちょろちょろ走り出しました。地上は急ににぎやかになりました。
 せみは土の中にねむっていましたので、お日さまのよばる声もききませんでした。ある晩雨のおばさんがやってきて、土のとびらをトントンとたたいて、
「目をさませめをさませ。」 といいましたので、とうとうせみも目をさましました。土のとびらをあけて、外へはい出しました。
「おばさん、こんにちは。」 とせみはあいさつしましたが、返事(へんじ)はありません。雨のおばさんは、もうその時、一()もさきへとんで行っていました。
「お日さま、こんにちは。」
 せみはまたあいさつしましたが、やっぱり返事はありません。今は草木もねむるま夜なかで、お日さまは、シュミ山のかげてねむっていました。あたりはまっくらがりで、どっちへ行ってよいやらけんとうもつきません。おけらがジイジイジイわけのわからぬことをつぶやいています。ひとつ道をたずねてみようかと思いましたけれど、わからずやのおけらが、ろくな返事もしないだろうと思って口をききませんでした。
 せみはまっくらがりの中を手さぐりで歩き出しましたが、いや、からだの重たいこと、ひと足行ってはよろよろというありさまでした。なにかかたいざらざらしたものにぶつかりました。それは松の木の(みき)でした。
 まあどうなるものか、高いところへ登ってみようと、せみはあぶない足どりで、松の木の幹をよじて行きました。ようようのことで、三(じゃく)ばかりものぼりますと、すっかりくたびれてしまいました。からだじゅう鉄の皮をかぶったように、かたくて重たくて、もうひと足だって動きません。そのとき、
「おはようおはよう。」 とうきうきした笑いかけるような声がきこえました。
「どなたです。」 とたずねますと、返事はなくて、せなかをさらさらと二度ばかりなでてかけて行ってしまいました。せみのからだは、急にかるがるとして来ました。そして、あたりがきらきらとかがやいて、うつくしい大きなお日さまがあらわれました。
「ありがとうございます。お日さま。今私をなでてくださったのは、あなたでございましたか。」
「いいや。あれは、わしの妹の朝風だよ。」
「まあ、なんというおめぐみでしょう。目に見えるものは、みんな光りかがやいているし、せなかには、このとおり美しいすきとおった(はね)がはえてきたし、そしてこんなにほがらかな声でうたうこともできます。お日さま、私はこれから向こうの大きな森へとんで行きます。」
「まあ、お待ち。とぶ前にひとめ見て()くものがある。うしろへむいてごらん。」
 お日まにいわれて、せみははじめて気がつきました。かたわらに、じぶんの姿かたちにそっくりのせみが一ぴき、同じ松の木の幹にとりついているのです。ただちがうのは、じぶんのからだは生きいきして力がありますのに、そのせみは、ふるぼけて黄色く、からからにひからびていました。
「おまえはだれなの、いっしょにとんで行きませんか。」
といっても身うごき一つしません。どうしたらよいかわかりませんので、お日さまの顔を見ますと、お日さまは、にこにこ笑いながら、
「もうよろしい、なんにもいわずに、おじぎをしてとんで行くがいい。」
 せみはなんとなく悲しくなりましたけれど、いつまでも一つ木にとまっているわけにもいきませんので、
「ではさようなら。」 とおじぎをしました。
 そしてお友だちのおおぜいいる森の中へとんで行って、いっしょに声をはりあげて歌をうたいました。

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