昔の友            土田耕平


 私は十(いく)年ぶりで、ふるさとへ帰りました。人々は私の姿かたちの変わったのにおどろいたようすでした。しかし、変わったのは私だけではありません。ふるさとの人々も、みな同じように年をとっていました。その昔血気(けっき)さかりの人は、今は白髪(しらが)まじりの老人でした。そして、私のおさな友だちが今は村のおじさんになって、中には、子どもの三人もかかえていたのには、私の方でおどろいてしまいました。
 となりの五平さん、これは私と同じ年で、毎日学校の行きかえりに()れあった、したしいお友だちです。そのころは、(たけ)のひくい小さな子でした。チビチビと言ってからかったことなどありましたのに、どうして今ではりっぱなお百姓(ひゃくしょう)になって、見あげるような体格でした。
「どうです五平さん。畑の柿の木は変わったこともありませんかね。」
と私はたずねて見ました。
「あいつだけは無事そくさい。むかしのままでさあ。」
と五平さんは笑いながら答えました。
 私どもの(うら)の畑に、一本の柿の木がありました。そのむかし、五平さんと二人して、毎日その柿をとって食べたことを、私は思い出したのであります。学校からかえると、(かばん)(えん)がわへほうり出したまま、()けて行ったものでした。
 五平さんはからだの小作りに似あわず、木登りはさっぱり駄目(だめ)でした。私がいつも登り役でした。五平さんを四つに()わせて踏台(ふみだい)にして、木の(また)へ片手がかかるとするすると身がるく(さる)のように、高い枝のさきまでものぼって行きました。
 私がふところ一ぱいふくらませて、下へおりると、五平さんはにこにこ()みわれそうな顔をしながら、
「今日は二十くらい取ったかい。」
などといいました。
 それから二人は、畠のくろへ()そべりながら、かたくはりきった大きな柿を、皮ごとほうばったものですが、そのおいしかつたこと、今だに忘れません。
「五平さん、どうです。柿の木に()いに行きましょう。むかしのお友だちに――」
 私は五平さんをさそって、裏の畑へ行って見ました。ちっとも変わらずに、むかしのまんま、柿の木は立っていました。私は手をのばして、そのなつかしいざらざらした木の(はだ)にさわって見ました。十幾年前、五平さんを踏台にして、やっと手のとどいた木の股は、今は丁度(ちょうど)私の顔の高さでした。
「わたしたちは、こんなおじさんになってしまったのに、柿の木はまだ子供ですね。」
 私が言いますと、
「人間と(ちが)って木の寿命(じゅみょう)というものは長いもんだね。」
と五平さんは言いました。

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