時男さん――それは私のおさな友だちの名まえです。年は三つちがいで、私が小学校三年生の時、時男さんは六年生でありました。だから、お友だちというよりも、まあ兄さんのようなものでした。
私は、父と母と三人ぐらしで、町はずれの
時男さんは、うつって来た次の日から、私と同じ学校へかよいました。けれども、二人は組がちがいましたし、学校のかえりも私の方がいつも早くありましたので、いっしょになることはめったにありません。朝起きて、庭さきで顔を洗いながら、時男さんの家の方を見ると、竹ぼうきで外をはいている時男さんの
時男さんと友だちになったいとぐちは、ほんのちょっとしたことです。なんでも土曜日のことで、雨あがりの道が、たいそうぬかっていました。学校から家へ帰る
「おが切れたの?」
といいました。私がうなずきますと、
「ちょっと待っていな。」
といって、時男さんは、じぶんの
「
といいますので、私は片足を持ちあげて、時男さんの肩によりかかっていますと、
「もういいよ。」
といいました。時男さんは、手早くげたのおをすげてくれました。私がげたをはきなおしますと、時男さんは、なぜか顔を赤くして
私は家へかえって、時男さんからげたのはなおをすげてもらったことを、母に話しますと、
「それはよかったね。こんど行きあったら、遊びにいらっしゃいっておいいよ。」
と母はいいました。
昼ごはんをしまうと、私はかどぐちへ出て、なにか待ち心で時男さんの家の方を見ていました。しばらくたつとくぐり戸があいて出て来たのは時男さんでした。ふろしき包みをさげて、どこかへ、使いに行くらしく、私の家の前を通りかかりましたが、私を見て、
「もうあれきり、おは切れなかった?」
といいました。私はうなずいて、
「あの、お母さんがね。時男さんに遊びにおいでって。」
時男さんは、ちょっと私の家の中をのぞくようにして、
「用事に行って来てから。」
と、ふろしき包みをふって見せて、小走りに行ってしまいました。私はなお、かどぐちに立っていました。やがて間もなく、時男さんは、から手で走って来ました。
「およりな。」 と私がいくどもいいましたが、時男さんは、家のなかをちょいと見ているだけで、なかなか入ろうとしません。家にいた母が、その時、
「だれなの? オヤ、時男さんですかえ。よくいらしったね。」
といいましたので、時男さんはやっと、私のあとについて、家へ入りました。そして、母の前へすわって、ていねいにおじぎをしました。
母が、げたのおの礼をいいますと、時男さんは、きまりわるそうにまっかな顔をしました。何か聞かれても、「エエ」とか「イエ」とか返事するだけで、大そうきゅうくつそうにして
「さあ、お前さんがた二人でゆっくり遊びなさい。」といって、母は次の間へ立って行きましたが、お
「食べない?」と私がいっても、時男さんはお菓子の包みを手にしたまま、だまっています。いくどもいうと、時男さんは立ちあがって
「どこへ行くの?」と聞きますと、
「お母さんに見せて来る。」といいました。
それを聞いて、私の母が、
「まあ時男さん、もっと大事なものなら、お母さんにお見せになった方がいいけれど、そんなお菓子など、ここでおあがりになればいいのよ。」
といいますと、時男さんは、また坐りなおして、はじめてお菓子の包みをひらきました。
時男さんがかえってから、母は、
「時男さんは、お母さんが
とひとりごとのようにいいました。その時私には、母のいうたことばの意味がよくわかりませんでしたが、ただなんとなく時男さんがかわいそうだ、と思いました。
晩になって、役所からかえった父に、今日時男さんが遊びに来た、と話しますと、父は、
「そうかえ。」
といいました。私の父はむくちの人で、何をいっても、「そうかえ」という返事よりほかしたことのない人です。けれど私は、そのことばの調子で、父がきげんがいいのか悪いのか、いつも聞きわけることができました。私が時男さんと友達になったことを、父は喜んだのでありました。
それから時男さんは、毎日のように私の家へ遊びに来ました。いつ来ても、時男さんは、母にていねいにおじぎをしてぎょうぎよく坐っていました。けれども、はじめて来た時のようにきゅうくつそうではありませんでした。うちとけていろいろのことを、私とも話し母とも話すようになりました。時男さんのほんとのお母さんは、時男さんが生まれると間もなく
「ここから太陽までいく
私が「知らない」というと、時男さんは、何万何千何百里あるのだよと、大へんこまかい数をいって聞かせました。また、
「ジャンダルクという人を知っているかい。」 などということもありました。
私はその時、時男さんは年が上だからいろいろ知っているのだ、と思っていましたが、後になって考えて見ると、時男さんは年よりもませたかしこい子であったのです。ある日、私の家では母がるすで、時男さんと二人きりでいた時のこと、時男さんは、こんなことをいいました。
「君はお父さんとお母さんと、どっちが好きだい。」
「分からない。」と私がいうと、時男さんは、しばらく何か考えていて、
「お母さんの方が好きだろう。」
というのです。私がだまっていると、
「ねえ、お母さんの方が好きだろう。」
とまたいいました。私は何の気もなく、
「ああ。」と軽く答えますと、時男さんは、
「そうだ、
といって、ニコニコと笑いましたが、その顔つきが何だか悲しそうに、私には見えました。
私は、時男さんのお母さんという人が、なぜかきらいでした。うつくしい身なりで、うつくしい顔の人でしたが、どういうわけか、そのうつくしいのが、かえっていやな気持ちがしました。もっとも私は、時男さんの家へ遊びに行ったことは、一度もありませんでした。
「遊びに行きたい。」と母にいったら、「まあ。行かない方がいいよ。」といわれましたので、もうそれきり行こうとも思いませんでした。
私の母は、時男さんを大そうかわいがりました。よそから何かめずらしいもらいものでもあると、
「時男さんが来た時にいっしょにあげようね。」といって、しまっておくことがありました。時男さんが来ると、母は、
私の父は、夜でなくては家にいませんので、家で時男さんと一しょになることはそういく度もありませんでした。(時男さんは夜は決して遊びに出ませんので。)けれども、時男さんのことを、よく口にしました。夕ごはんの時なぞ、
「時男さんは今日も来たかな。」
と私に聞きますので、私が時男さんのことをいろいろ話しますと、父は、きげんのよい調子で、
「そうかえ。」といいました。
ある日曜日のこと、時男さんが来て、
「君、きょうは
といいました。洞というのは、町から一里あまり
「お母さんに
と聞きますと、
「きょうはお母さんはるすだよ。お父さんにいって来た。」という返事でした。
私はこれまで、外へあそびに行く時には、きっと時男さんをさそうのでしたが、時男さんはいつも「お母さんに叱られるから。」といって頭をふりました。その日にかぎって、時男さんの方からさそいに来ましたので、私は大へんうれしくありました。母にいうと、母はさっそくゆるしてくれましたが、ただひと、
「洞の中へお入りでないよ。」
といいました。
軽いわらぞうりをはいて、おべんとうを用意して、昼近い時分に二人は出かけました。町をはずれるとたんぼ道で、それからくわ畑の中を通って、細い一すじの道が山の方へ向かっています。秋の
「僕はね、きょう洞へ入って見るんだ。」
といって、ふところから、ローソクとマッチと、白いもめん糸をからげた
洞の入口のところで、二人は石に腰かけて、おべんとうを食べました。
そのあたりは、草がぼうぼうと立ち
おべんとうを食べてしまうと、時男さんは、ローソクへ火をともしました。それから、糸巻きの糸をほどいて、そのはしを枯草の根へゆわいつけました。そうして、糸をひきのばしながら、洞の中へ入ろうというのです。私は、道の途中で、時男さんから糸巻とローソクを見せられた時、ローソクの使いみちはすぐ分りましたが、糸巻きの方はなんにするのかわかりませんでした。今時男さんのすることを見て、私はなるほどと感心しました。こうして洞へ入れば出る時に道を
時男さんは、私の方をふりむいて、
「君も入らない?」
といいました。時男さんが入るなら、私もむろん入るつもりでいましたから、私はだまって時男さんのあとに
しばらくのうちは、洞の外から来るあかりが強いので、ローソクの光はそれにおされていましたが、ひと足ひとあし進むにしたがって、ローソクの光の方が強くなって、洞の土壁にゆらゆらとうつるようになりました。二人は糸をたぐりながらしずかにしずかに足をはこんで行きました。
洞の高さは、私たちの
私は思わず、
「つめたい!」
といいますと、その声があたりへこだまして、気味わるくひびきました。
やがて洞がふたみちに分かれるところへ来ました。時男さんは、しばらく立ちどまっていましたが、右の方の道をえらびました。私はだまってあとへついて行きました。やがて又別かれ道へ来ました。
こんどは左へと入りました。それからなお幾つも分かれ道がありました。時男さんは、ずんずん
「時男さん、かえろうよ。」
と私はいいました。
時男さんは、足をとめました。と、その時、時男さんの持っていたローソクが消えてしまいました。
「どうしたの?」
と聞くと、
「水がかかった。」といいました。
あたりはまっくらやみになってしまって、何も見えません。私は手をのばして、時男さんの肩にさわりました。
「マッチは?」と聞くと、
「どこかへ落とした。」と力のない返事でした。
そのうちに、時男さんは身をかがめて、なにかしきりと手さぐりをはじめたようすです。マッチをさがすのだろうと思っていますと、やがて、
「糸がない。」というのです。
泣き出そうとするのを、やっとこらえているような声でした。私はくらやみの中で、時男さんの手から糸巻きを受けとって、さわって見ると、なるほど糸のはしが切れています。
私はなんの心もなく、そこへかがんで、地べたへ指のさきをつけますと、何かほそいものがさわりました。つまみあげて見ると糸でした。
「時男さん、あったよ。」
といいますと、
時男さんは、手さぐりに私の手から糸のはしを受けとって、
「ああよかった。」
といいました。やみの中だけれど、私は、時男さんのニッコリする顔が見えるように思いました。
それから二人は、一すじの糸をたよりたよりして、洞の口へ
「洞へ入ったこと、君のお母さんにいってはいけないよ。」というのでした。私は、うなずきました。その後、私は、洞に入ったことは、母ばかりでなく、だれにも話しませんでした。
つぎの年の春、小学校を卒業すると、時男さんは遠いところの町へ、
「時男さんは
と母はいいました。
時男さんは、毎日のように使いに行く姿ばかり見えて、あまり私の家へ遊びに来なくなりました。
時男さんが
時男さんは、時々私の方を見ては赤い顔をしました。私は時男さんのそばへ行きたいが、行ってはわるいような気がして、遠くから見ていました。
間もなく、汽車は、時男さんを乗せて行ってしまいました。私は、ひとり道をかえりながら、なみだが流れてたまりませんでした。母に見られると、きまり悪いと思って、まわり道をして、夕方になって家へかえってみますと、
「時男さんは、もう行ったかえ。」
という母の目に、
晩の
「そうかえ。」といったきりでしたが、その時、父の心がさびしくしていることを、私ははっきり感じました。
その後、時男さんはりっぱな商人になりました。私は今でも手紙のやり取りをしています。