灯台守 土田耕平
三郎さんは、年とったお父さんと二人きりで、岬の灯台守をして居ました。それは、町から二里もはなれたところで、近くには人家は一つもありませんでした。あけてもくれても、ただ波の音や風の音をきくばかりでした。
灯台は、きりたったような崖のはたにありました。底知れぬふかい海が、すぐ目の下にせまっていました。ときどき、汽船がとおりすぎるのを、灯台の上から見おろしますと、甲板に居る人の姿が、人形のように小さく見られます。
どの汽船にも、大てい西洋人が乗っていました。西洋人の姿は、同じ服装でも日本人とは違って、一目ですぐ分かります。小さな女の子も甲板に立っていました。三郎さんはお父さんから聞いた、ロシア、ドイツ、イギリス等の国の名まえをならべてみて、じぶんと同じ年ごろの小さな子が、しかも女の子が、どうしてそんな遠いところから来たのだろう、と思ったりしました。汽船はズンズン動いて行きます。甲板の人はもう見わけがつかなくなります。船の形もだんだん小さく一点になってやがて細い煙だけが、沖のはてにのこります。その煙も消えてしまうと、ただ青い海と空ばかりです。
灯台は、夜になって火をともしますと、他に用事もありません。お父さんは、いつも炉のはたにうずくまって、煙草を吸ったり、講談本を読んだりしています。たまたま町へ用事に出かけたかえりに、お父さんは、きっと新らしい本を二三冊買って来ました。三郎さんは、来年は八つになって、小学校へあがりますので、そうなれば町の叔母さんの家に寝とまりして、土曜の晩でなくては灯台へはかえりません。お父さんは、三郎さんが居なくなったら、どんなにかさびしくなるでしょう。
霧のふかい日には、灯台では霧笛をボオボオとならします。これは汽船がうっかり岬の岩などに衝突しないよう、「気をつけろ、気をつけろ。」と知らせてやるのです。そうすると、海をとおる汽船も、ボオボオと汽笛をならしてお互にあいずをします。
一番おそろしいのは、あらしの晩です。さえぎるものもない高みの灯台は、風の音波の音がぶつかってゴウゴウと吠え狂う中に、じっと立って耐えていなくてはなりません。けれど、灯台は神のように強いのです。決してあらしなどには負けません。
三郎さんがまだ生まれない時のこと、大きな汽船が、この灯台の下で難破したことがあるそうです。そのとき、お父さんは命がけの働きで、幾人もの人を助けてやったという話を、三郎さんはよく聞いておぼえています。あらしの晩には、三郎さんはきっと難破船のことを考えます。そして、じぶんが勇ましいはたらきをするありさまを、寝床の中で思い浮かべてみたりしました。西洋人はからだは大きいけれど、臆病だそうだから、命を助けてやったら、どんなにか喜ぶだろう。そしてあの小さな女の子がその船に乗っていたら、第一番に助けてやろう。お腹がすいているだろうから、この僕たちの室へつれてきて、何か食べさせてやろう。三郎さんは、むかし武者修行の話かなどのように、いろんなことを空想してみました。けれど、あらしの音がゴオーとはげしくなってくるときには、とてもおそろしくて、夢にもそんなことは考えられませんでした。お父さんの胸に抱かれて、小さくなってねむるのでありました。
はげしいあらしは、大てい一晩でなぎます。翌朝、海のはてからのぼるお日さまが、まず第一に灯台の尖った屋根をてらすとき、三郎さんもお父さんも、安らかにすやすやねむっているのであります。
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